香取郡東庄町宮本の東大社(とうだいしゃ)の概要

奥に社殿が見える

東大社(とうだいしゃ)(別称 東大神(とうだいじん))は、創建年不詳、玉依姫命等を祀る、香取郡東庄町宮本に鎮座する神社です。
中世は東庄三十三郷の総鎮守、明治期から終戦期まで県社に列格していました。
祭神
祭神として次の神様が祀られています。
- 玉依姫命(たまよりひめのみこと)
- 鸕鶿草葺不合(うがやふきあえずのみこと)
創建の由来
当社創建の由来は、以下の伝承があります。
- 古代より「香取神宮」の末社であった(『香取郡誌』)
- 「香取神宮」の祭神「経津主神」の末裔「香取連」が創祀した
- 「景行天皇」が当地(旧名 八尾岡(やつお-))に滞在し、のち東海鎮護のために「春日命」に当社を創建させた。そのためかつては「八尾神社」と号した
どの伝承も、創建時の祭神は不明です。また、創建当初は「東宮」「八尾社」と称していたそうです。
祭神に霊玉が追加
1102年(康和四年)、海上郡 高見(現 銚子市高神)に大地震と津波が何日も続き、これが朝廷にも伝わりました。
「堀河天皇」がくだした宣旨のごとく、当社の神輿を高見に渡御させると、災いが収まりました。
この時、海中から得られた霊玉を新たに祭神に祀り、また、「玉子大明神」の名を賜りました。
社名について
千葉県HPの宗教法人一覧には「(とうだいじん)」と記されていますが、境内由緒書・鳥居社号碑には「東大社(とうだいしゃ)」となっています。ほかに次のような社名があり、
- 総社明神社
- 総社東宮
- 玉子大明神
- 王子社
- 東王子社
- 八尾神社
- 東宮
俗称として、「オウジン様」とも呼ばれているそうです。
写真図鑑
社殿

拝殿






拝殿向拝の彫刻



本殿


本殿の彫刻







鳥居




狛犬




常夜灯


境内社
子安宮


神明社

石像


手水舎
境内裏手の古い手水


神楽殿


神輿庫

ご神木




社務所






弓道場


境内風景


その他


参拝順路
一之鳥居からの参拝






南の裏参道からの参拝

右の崖に小さな赤い鳥が見える。
この目の前の森が、当社の鎮守の杜。



基本情報
社号 | 東大神 |
ご祭神 | 玉依姫命(たまよりひめのみこと)鸕鶿草葺不合(うがやふきあえずのみこと) |
住所 | 香取郡東庄町宮本406番地 |
参考
下記を参考にさせていただきました。
抜粋
東大神(とうだいじん)(通称 おおじん様) 旧県社
祭神
玉依姫命(たまよりひめのみこと)鸕鶿草葺不合(うがやふきあえずのみこと)
由緒沿革
景行天皇五三年、天皇親しく皇子日本武尊の御東征の跡を巡視せられた折、当地に一社を営み玉依姫命を祀られた。下って堀河天皇の康和四年、海上国高見の海上が長日に亘って荒れ怒り、住民の生活が困窮したとき、本社に臨時の祭祀を行なうべしとの宣旨あり。四月八日神輿が初めて高見の浦に神幸し海神を和められた。これが今に伝える二〇年一度の式年大神幸の始めである。大正八年県社に列す。代々の朝廷、武門、氏子らの倉仰が厚い。

(前略)
社名
創建当時は東宮、八尾社と称したが、康和四年に朝廷から総社玉子大明神の号を賜り、爾来、王子大明神と共に永年併せ用いられた。世上で親しみ呼ばれるオオジン様はこの王子大明神のなまったものと言われる。現在は東大神、東大社と共に正式に用いている。
創立
人皇第十二代景行天皇の皇子の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は武勇に優れ、九州の豪族、熊襲武(クマソタケル)、出雲の豪族、出雲式(イズモタケル)等当時まだ大和朝廷に従わぬ豪族を従え、次いで東国地方を平らげ、大和へ凱旋の直前に伊勢の国で薨じられた。天皇は追慕の御心抑え難く、皇子の歴戦のあとを親しくご視察なさるため、この東国へ行幸なさり、その途上、当社の裏の白幡の地に船でお着きになったと言われる。そこで七日間お留まりの際に、東海の鎮護として一社を営まれたのが、当社の創めと伝えられる。千八百数十年前の事である。
(後略)
Webサイト
- 東庄町観光協会 東大社
https://www.tohnosho-kanko.jp/spot/toudaisya/ - 東庄町商工会 東大社
https://www.tounosho.com/towninfo/toudaisha/
書籍
- 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
- 『日本の神々 神社と聖地 11 関東』谷川 健一 編 1984年