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側高神社│成田市取香

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目次

成田市取香の側高神社の概要

側高神社は、大同二年(807年)創建と伝わる、成田市取香に鎮座する神社です。

明治期から終戦期まで村社に列格、昭和四十八年に東関東自動車道空港線の建設に伴い現在地に遷座しました。

往昔は「素羽鷹大明神」「側鷹神社」などと称しました。

祭神

祭神として次の神様が祀られています。

  • 彦火火出見命

創建の由来

『千葉県神社名鑑』には、創立年代未詳とあるだけで、創建の由来等については記されていません。

『成田市史 中世・近世編』によると、当社を含む成田市内に三社あるソバタカ神社は、香取市大倉の「側高神社」の分社であり、すべて「彦火火出見命」を祭神とするとされています。また、創建年と往古の社名については次のように記されています。

住所と社名創建年往古の社名
取香村の側高神社(当社)大同二年(807年)寛永十年(1633年)に見つかった棟札に「素羽鷹大明神」と記される
小菅村の側高神社大同三年(808年)古くは「杣棚大明神」と称していたが、明和八年(1771年)に「側鷹」と改称
小泉村の脇鷹神社

昭和四十八年、東関東自動車道空港線の建設に伴い遷座

成田空港建設に伴い、境内地の中央に東関東自動車道空港線が通ることになりました。

そのため、昭和四十六年に「側高神社」の所有地を日本道路公団に譲渡し、昭和四十八年に隣地である現鎮座地に社殿が遷座されました。

東関東自動車道空港線とは、現在の地図にある新空港自動車道(成田IC~新空港ICか?)のことかと思われます。

旧鎮座地

上述の情報から、旧鎮座地は、現鎮座地の隣地かつ新空港自動車道上にあったことがわかります。

昭和40年代後半までは、現鎮座地のすぐ西方の新空港自動車道のある場所に鎮座していたのではないかと考えられます。

社名の変遷

  • 寛永十年(1633年)に見つかった棟札には「素羽鷹大明神」と記される
  • 現在、神額に「側鷹神社」と記される
  • 現在、『千葉県神社名鑑』に「側高神社」と記される

写真図鑑

社殿

拝殿

鳥居

狛犬

境内社

『千葉県神社名鑑』に、境内神社に「香取神社」が鎮座していると記されていますが、それらしい社はありませんでした。

石尊大権現と古峰神社

金比羅大権現と庚申塔

月読大神

手水舎

石碑、説明書

境内風景

成田空港第3ターミナル帰路から見える社殿

参拝順路

成田第3旅客ターミナルからの参拝経路です。警察の物々しい車両やパトカーが複数停車していますが、気にせず参拝しましょう。

基本情報

参考

下記を参考にさせていただきました。

抜粋

『千葉県神社名鑑』抜粋

側高神社(そばたかじんじゃ) (通称 産土様) 旧村社

鎮座地
成田市取香二七六番地

祭神
彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)

境内神社
香取神社

由緒沿革
創立年代は未詳。元境内地は杉・椎等の古木が鬱蒼と茂り、神社の神域に相応しかったが、成田空港建設に伴い境内地の中央に東関東自動車道が貫通して神社を隣地に移築した。例祭日には近郷近在より参拝者多数あり。

神事と芸能
市の無形文化財に指定された三番叟の神賑芸能あり。

『成田市史 中世・近世編』抜粋

P805

側高(そばたか)神社

取香村の側高神社、小菅村の側高神社、小泉村の脇鷹神社と市域に三社あり、いずれも鎮守としている。社名は異なっているが、香取神宮第一の摂社と称される香取神宮第一の摂社と称される香取郡大倉村(佐原市)の側高神社の分社である。祭神は彦火火出見命で、山の幸・海の幸の兄弟神話で知られる山の幸である。取香村の側高神社は大同二年(八〇七)の創建と伝えられる以外は評細不明。寛永十年(一六三三)社殿再建の折の棟札には「素羽鷹大明神」と記されている。毎年四月三日の花見祭りに行われる三番叟(さんばそう)の舞いは、古式豊かな伝統芸能である。小菅村の側鷹神社は大同三年の創建と伝えられ、古くは杣鷹大明神と称していたが、明和八年(一七七ー)に側鷹と改称している。領主旗本松平助九郎正稚より子の正房の誕生祝いに下賜された祝儀金で作った、宝暦六年(一七五六)の幟を所蔵している。

『成田・寺と町まちの歴史』抜粋

P263

小菅の側鷹神社

東関東自動車道成田インターの北方、林の中にある神社。氏子である小菅の住民が、飛行機の騒音のため他所へ移転してしまい、いまでは訪れる人も少ない。
御祭神は彦火火出見命、つまり山の幸・海の幸の兄弟二幸神話で知られる山の幸の神である。
創建は大同三年(八〇八)九月と伝えられる。
『側鷹大明神俗縁起』によると、当社は子授け・安産の神にして、佐原市の側高明神(側高神社)を分祀したもので、本地は四天王の一つ持国天という。
また同書には、側高神社の名が「延喜式』神名帳に載っていないことから、一時巷間(こうかん)で、「側高明神といっても明にあらず昏なり、神にあらずして晦(かい)なり。これ昏晦(暗いこと)の神とて狐の邪神なり」との誤った風聞が流れたが、決してそうではなく、天孫の神を祀り、香取神宮より古い由緒をもつものと記している。
もとは杣鷹大明神と称していたが、明和八年(一七七一)にいまの側鷹に改めている。
社内には、領主の旗本松平助九郎正雅より、子の正房の誕生祝いに下賜された祝儀金で作られた、宝暦六年(一七五六)の幟を所蔵している。

『遷座記念之碑』抜粋

本側高神社昭和四十六年九月所有地八八六六平方米を東関東自動車道空港線の建設用地として日本道路公団に譲渡し現在地に社殿を移築数備し昭和四十八年三月選座祭を斎行する蓋し本事業は取香有史以来の大事業なるも克く区民一丸となり神徳の発揚と神社護守を根繋としこの国家的施策に協力完成せる美事として永く記録さるべきである仍つて茲に噂を建て念々国運の隆昌と氏子崇敬者の加護を祈念する

昭和四十八年三月吉日

Webサイト

書籍

  • 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
  • 『成田・寺と町まちの歴史』小倉博 著 1988年
  • 『成田市史 中世・近世編』成田市史編さん委員会 編 1986年

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