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八幡神社│袖ケ浦市上泉

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目次

袖ケ浦市上泉の八幡神社の概要

八幡神社は、創建年不詳、袖ケ浦市上泉に鎮座する神社です。

かつては「八幡大菩薩」と称し明治時代に現社名に改称、明治期から終戦期まで村社に列格していました。

祭神

祭神として次の神様が祀られています。

  • 誉田別尊(ほんだわけのみこと)

素晴らしい境内と彫刻

高木に囲まれた幽遠な境内は、適度に陽の光が指すため怖さを感じることはなく、とても居心地が良い空間です。

凛とした佇まいの社殿には、大変造形の良い素晴らしい彫刻が多数設置されています。どれも彫りが細いうえに形も良く、一つ一つに目を奪われました。

かつての社名

かつては「八幡大菩薩」と称し、明治時代に社号を改めました。

下記の文献を合わせて考えると、現在の「八幡神社」となる前に、「上泉神社」「愛宕八幡神社」などと称した時期があるようです。現在も、鳥居に「愛宕神社」の文字が記されています。

写真図鑑

社殿周辺

社殿

礼拝用の建物の中に小神殿を置く外殿方式(これは袖ヶ浦市周辺地域に限定される用語)の社殿としては、袖ヶ浦市最大規模のもので、幕末~明治維新期、恐らく慶応3年(1867)頃に建てられたものだそうです。

社殿の彫刻

当サイト筆者が当社を訪れた際、幽遠な境内の美しさだけでなく、社殿の彫刻の素晴らしさに大変感動しました。

当社の彫刻は、袖ヶ浦市の調査報告書にも「非常に優秀で県内でも注目される作」と記されています。

向拝上部の彫刻

向拝の龍は、幕末~明治維新期に特徴的な、複雑で動きに富んだ表現をしているそうです。

蟇股:龍の彫刻

左右の木鼻:見返りの龍

左右の木鼻は「見返りの龍」で、髭が水平に伸びているのがこの時期の特徴だそうです。両側の龍が、勾配柱(両側の縦方向の太い2本の柱)や貫に溢れ出す、立体的で大変迫力のある彫刻です。

六体の見事な木鼻

四隅の柱にある頭貫の木鼻は45度を向いています。幕末期に流行した手法とのことです。

正面左の木鼻

正面右の木鼻

側面の木鼻

背部左の木鼻

背部右の木鼻

社伝正面の彫刻

鳥居

境内社

三峰神社

境内の風景

参拝順路

基本情報

参考

下記を参考にさせていただきました。

抜粋

『千葉県神社名鑑』抜粋

八幡神社(はちまんじんじゃ) 旧村社

鎮座地
君津郡袖ヶ浦町上泉一、二六三番地

祭神
誉田別尊(ほんだわけのみこと)

由緒沿革
創建年代不詳。現在の社殿は慶応三年九月に造営の工を成す。往時は八幡大菩薩と号したが、明治維新の初め八幡神社と改める。以前は九月一日に例祭の式を行なっていたが、町村合併により七月二四日に変更する。

『袖ケ浦町史 通史編 上巻』抜粋

P309

頼朝軍が北上したと思われる経路をたどると、源氏と千葉氏にゆかりの神社が極めて多い。木更津市方面から袖ヶ浦町に入り、台地に上がった場所から、鎌倉街道沿いに、市原市に接するまでの間に次の一〇社がある。

下新田白羽 八幡神社
三ツ作大宮台 妙見神社
勝若宮 若宮八幡宮
下泉宮坂 八幡神社
永地善場下 八幡神社
上泉打越岱 八幡大菩薩(現在の上泉神社)
上泉大和田 妙見大菩薩(現在の大和田神社)
上泉花和 妙見大菩薩(現在の台神社)
川原井八幡下 八幡神社
三箇櫃 端妙見神社

『袖ケ浦市史料目録 1』抜粋

P21

上泉村には、北斗山常福院、廣沖山光徳寺、薬王山医徳寺、富士見山泉長寺の4ヶ寺がある。常福院・光徳寺・医徳寺の3ヶ寺は、いずれも真言宗智山派に属し、高谷村の延命寺の末寺であった。泉長寺のみが曹洞宗である。

また、上泉村の神社についてみてみたい。上泉村の内、石川では上泉神社(愛宕八幡神社)、大和田では大和田神社、向台では台神社、房根では房根神社を祀っている。これら4社のうち、上泉神社が上泉村の氏神で、字打越岱にあり、祭神は誉田別尊である。上泉神社の世話人は、石川・大和田・向台・房根から2名ずつ出した。大和田神社は、字大和田岱にあり、祭神は天御中主神である。台神社は、字花和にあり、祭神は天御中主神である。房根神社は、字房根岱にあり、祭神は神皇産霊神である。

Webサイト

書籍

  • 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
  • 『千葉県印旛郡誌』印旛郡 編 1913年
  • 『袖ケ浦町史 通史編 上巻』
  • 『袖ケ浦市史料目録 1』袖ケ浦市史編さん委員会 編 1995年

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