千葉市花見川区幕張町の子守神社(こまもりじんじゃ)の概要


ガラス張りなので、内部の本殿が見える。
子守神社(こまもりじんじゃ)は、JR「幕張」駅と「幕張本郷」駅の中間ほど、千葉市花見川区幕張町に鎮座する神社です。
創建年不詳ですが、1180年(治承4年)の時点で、大須加庄本郷に建っていたという記録があります。「朱塗りの神々しい玉垣」「深紅の玉殿」を有する立派な神社だったようです。
明治期から終戦期まで指定村社に列格していました。
「下総三山の七年祭り」の九神社の一社で、役割はその名の通り「子守」です。
祭神と社名
往古は、素戔嗚命(すさのおのみこと)を第一に祀る「素加天王神社」でしたが、いつの頃からか、后神の奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)を第一とする現在の「子守神社」に変わったようです(明治期に「天王」の文字が問題になったのでしょうか?)。
祭神として、次の素戔嗚ファミリーが祀られています。往古からは、順番のみ変更になりました。
- 稲田姫命(いなだひめのみこと)
- 素戔嗚命(すさのおのみこと)
- 大己貴命(おおなちのみこと)
また、『千葉県神社名鑑』に、次の境内社が記載されています。
- 稲荷神社
- 大宮神社
- 三神社
- 厳島神社
「素加天王神社」が「子守神社」となる流れ
当社の呼び名と祭神について、『三山の七年祭 : 二宮神社式年大祭 資料編』をもとにざっと調べてみたところ、以下のように変遷したようです。
「素加天王神社」→「素加天王三社」(「子守神社」「幕張大明神」を内包)→「馬加大明神」→「素加天王三社」に戻る→「子守神社」
- 素加天王社:素戔嗚尊
- 安産子守大明神:奇稲田姫命
- 馬加大明神:大己貴命
詳細はこちら
1180年(治承4年) 、藤原時平の子孫の藤原諸常が、大須加庄本郷の「素加天王神社」に祈願したところ、妻が無事安産し一子を儲ける。この時の社は「朱塗りの神々しい玉垣」「深紅の玉殿」。
→ 「素加天王神社」の初出。祭神不明
参照:『三山の七年祭 : 二宮神社式年大祭 資料編』
1193年(建久4年)、鎌倉公(頼朝か?)の命を受け、大須加胤信が「素加天王本殿三社一座」を造営。
翌1194年(建久5年)の神札に、右:「子守神社」、中央:「素加天王」、左:「幕張大明神」とある。
→ 「子守神社」「幕張大明神」の初出。三社の祭神不明
1445年(文安二年)、馬加(千葉、平)康胤(やすたね)が、「素加天王」と「宮山」の両神主に、奥方の安産の祈祷をさせ無事安産となる。
両社は祭礼に祭馬を多く集めたことから、康胤は「素加天王社」のうち「幕張大明神」を「馬加大明神」と改号、里号を幕張郷から馬加郷に改める。次の記載あり。
素戔嗚尊を素加天王と申、奇稲田姫命を安産子守太明神と申、御児幕張大明神大己貴命をバ祭馬多集を以馬加大明神と改号シ、里名も此時より馬加郷とたらためける。
→ 三社の祭神が下記と判明。社名・地名共に「幕張」が「馬加」となる。
- 素加天王社:素戔嗚尊
- 安産子守大明神:奇稲田姫命
- 馬加大明神:大己貴命
馬加氏の滅亡と須加本郷の移住等により、「馬加大明神(須加天王の改名)」が凋落。
1508年(永正5年)、領主没落後、氏子の移住に伴い旧社地「縫坂」より遷座、仮殿造営。
1729年(享保14年)の札に、右:「産神 子守神社」、中央:「本郷総氏神 素加天王」、左:「鎮守 馬加大明神」の記載が見える。
→ 再度「素加天王」が中央に記載される。この時点では「子守神社」がメインではない。
創建・由緒
子守神社(こまもりじんじゃ) 旧指定村社
祭神
稲田姫命(いなだひめのみこと)素戔嗚命(すさのおのみこと)大己貴命(おおなちのみこと)
境内神社
稲荷神社・大宮神社・三神社・厳島神社
由緒沿革
当社は、昔、当町が素加の庄といった頃は素加天王神社と称し、祭神素戔嗚命・稲田姫命・大己貴命三柱の大神等を奉斎、安産子育の社として崇敬される幕張町の総鎮守産土神であった。一方、建久四年、千葉介平常胤子息四男素加城主大須賀四郎平胤信が、将軍源頼朝卿に従って富士野狩場の勤役をするにあたり当社に祈願したところ、神々の感応があって事なく忠勤することができ、平胤信満願として建久五年八月本殿その他を造営された。続いて永仁・享徳・永禄の造営等千葉氏の崇敬厚く、その後度々社殿の修築をなされた。
P1
一、同庚子年霜月、従二位藤原朝臣時平公ノ後胤藤原諸常、平清盛二被押挾東国へ下向の折から海上にて、風波烈敷豆州の洋中より、東国諸神へ祈誓しければ、海く此浦辺に着船して、海崎を見渡せバ、神社あり。如何成神ぞと尋けれバ、是こそ大須加庄本郷素加天王神社という。依之社頭にすすめバ朱の玉坦神さびてしんくたる玉殿ニしばらく丹誠をこらし、出所に止りけれバ、無程諸常が室安産して一子を儲ク。諸常出所に三ヶ年中忍び居、翌寿永二卯年、当国千葉県深山二至居住す、諸常ノ子成長の后、大進藤原時家尚此神を奉崇敬、則彼地二奉勧請、亦境内二靈祖時平公ノ御霊を祭り終二社職となる、
<当サイト筆者による概要>
治承4年(1180)、藤原時平の子孫の藤原諸常が、平清盛により東国へ配流される途中、大須加庄本郷の「素加天王神社」に立ち寄って祈願した。朱塗りの玉垣は神々しく、深紅の玉殿にしばし祈念したところ、諸常の妻が安産で一子をもうけた。
諸常は密かにこの地に住み、翌寿永二年(1183年)に千葉県の深山に居住した。諸常の子が成長すると、大進(官職名)の藤原時家は、この神を崇敬し、その地に勧請、社の境内には祖先の時平公の御霊もともに祀って、社職(神職)を務めるようになった。
写真図鑑
社殿周辺の風景


拝殿







本殿
全面ガラス張りの覆屋を始めてみました。中の本殿を観察することができ、大変ありがたいです。



鳥居
一之鳥居




狛犬


境内社
厳島神社
鳥居、狛犬、池、社殿と、かなり立派な境内社です。












稲荷神社







天神社


その他




参拝順路





基本情報
社号 | 子守神社 |
ご祭神 | 稲田姫命(いなだひめのみこと)、素戔嗚命(すさのおのみこと)、大己貴命(おおなちのみこと) |
境内社 | |
住所 | 千葉市花見川区幕張町2-990 |
その他 | ■下総三山の七年祭り/千葉県 https://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/p321-061.html |
参考
上記のWeb サイトのほかに、下記を参考にさせていただきました。
- 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
- 『三山の七年祭 : 二宮神社式年大祭 記録編』船橋市教育委員会社会教育課 編 1975年(https://dl.ndl.go.jp/pid/12169243)
- 『三山の七年祭 : 二宮神社式年大祭 資料編』船橋市教育委員会社会教育課 編 1975年(https://dl.ndl.go.jp/pid/12169246)