香取神宮の摂社概要
香取神宮の摂社はとても面白い
祭神秘密の第一摂社、神宮の北を固める東西の「男」神社、祭神 経津主神の親神・御子神など、神宮摂社には興味深い神社が多数鎮座しています。
- 実権を握った中臣氏/藤原氏が、彼らの祖神 天小屋根命を祀らなかったのはなぜか?
- 摂社序列の高いものほど、神宮から離れた場所にある?
- 忌部との関りは?(鹿島には天富命と天日鷲命が祀られているが香取には…)
など、想像するだけでわくわくさせられます。
香取神宮境内社とその主な役割一覧
※順番は神宮編纂『新修 香取小史』による
摂社名 | 役割 | 祭神 | 住所、鎮座場所 |
---|---|---|---|
側高神社(そばたか-) | 第一摂社 | 神秘、言わず語らずの神、側高大神、経津主神の后神、天日鷲命 | 香取市大倉1│神宮の東北東2.5km |
返田神社(かやだ-) | 火と土の神を祀る | 加具土命神、埴安姫神 | 香取市返田729│神宮の南南西2.7km |
大戸神社(おおど-) | 経津主神の親神、岩戸開きの神を祀る | 手力雄神、磐筒男神と磐筒女神(両神は経津主神の親神) | 香取市大戸521│神宮の西5.9km |
忍男神社(おしお-) | 東宮、神宮浜手守護神。 風の神を祀る。 | 伊弉諾尊、級長津彦命、倉稲魂命、級長戸邉命 | 香取市津宮560│神宮の北1.4km、津宮鳥居からの旧表参道沿い |
膽男神社(まもりお-) | 西宮、神宮浜手守護神。 大国主と海の神を祀る。 | 大名持命(おおなむち-)、綿津見命 | 香取市津宮345│神宮の北1.4km |
鹿島新宮社 | 鹿島神宮の神を祀る | 武甕槌神(たけみかづち-)、天隠山命(あめのかくれやま-) | 神宮境内 |
又見神社(またみ-) | 経津主神・武甕槌神・天児屋根命の三柱の御子神を祀る | 天苗加命(経津主神の御子神)、武沼井命、天押雲命 | 神宮近傍(駐車場から350m) |
奥宮 | 経津主神の荒魂を祀る | 経津主神の荒魂 | 神宮宮中 |
匝瑳神社(そうさ-) | 経津主神の御子神を祀る | 磐筒男神、磐筒女神(両神は経津主神の親神) | 神宮境内 |
以下では、「何度も香取に来るのは難しい…」という人のために、神宮本殿から徒歩で参拝できるか否かで、境内社・摂社を分類しています。お気に入りの境内社に足を運ぶ一助になれば幸いです。
香取神宮境内の摂社
神宮本殿から徒歩で参拝できる摂社は、祭神 経津主神と国譲りで活躍した建御雷神(たけみかづちのかみ)を祀る鹿島新宮社、祭神の荒魂(あらみたま)を祀る奥宮、家族を祀る匝瑳神社(そうさじんじゃ)の三社で、どれも祭神と関係の深い神社です。
- 鹿島新宮社
- 奥宮
- 匝瑳神社(そうさじんじゃ)
鹿島新宮社
武甕槌神(たけみかづちのかみ)は、当神宮祭神が国譲りの際に一緒に尽力した神様で、鹿島神宮の祭神でもあります。
もう一柱の祭神、天隠山命(あめのかくれやまのみこと)の読み方に関して、鹿島神宮 宮司を務めた東 実(とう みのる)氏は、著書『鹿島神宮』のなかで、武甕槌神は「天香具山」(あめのかぐやま)近隣の産まれで、「鹿島」の旧字「香島」は「かぐしま」と読むのが正しい、と記されていますから、「天隠山命」も「あめのかぐやまのみこと」が本来の読み方でしょうか?
社号 | 鹿島新宮社 |
ご祭神 | 武甕槌神(たけみかづちのかみ)、天隠山命(あめのかくれやまのみこと) |
住所・鎮座場所 | 神宮境内 |
奥宮(おくのみや)
香取神宮 奥の宮は、神宮祭神 経津主神の荒魂(あらみたま)を祀る神社で、商店ひしめく神宮表参道の北80mほど、神宮社殿の西南280mほどに鎮座しています。
荒魂とは、神様の攻撃的で荒々しい側面のことです。一方、平静で穏和な面は和魂(にぎみたま)と言います。
現在の社殿は、1973年の伊勢神宮御遷宮の折の古材によるものです。「伊勢神宮の材で造られた香取神宮の奥宮」という言葉だけで、とてつもないパワースポット感が湧いてきます。
余談ですが、千葉県において、元の鎮座地を奥宮とするケースはいくつか見てきましたが(成田氏の麻賀多神社、宮下の莫越山神社など)、”荒魂を祀るための奥宮”が設けられているケースは香取神宮と佐倉藩鎮守 麻賀多神社のほかに見たことがありません。香取神宮と対を為す鹿島神宮にも、立派な奥宮が鎮座しています。
社号 | 奥宮 |
ご祭神 | 経津主神の荒魂 |
住所・鎮座場所 | 神宮宮中 香取市香取1679 (住所の番地は異なるが神宮近傍に鎮座) |
匝瑳神社(さふさじんじゃ)
匝瑳神社(そうさじんじゃ)は、神宮本殿からみてすぐ右後ろに鎮座する摂社で、神宮祭神 経津主神の親神である磐筒男神(いわつつおのかみ)、磐筒女神(いわつつめのかみ)を祀っています。
匝瑳(そうさ)の字は、千葉県民にも読むのが難しいでしょう。平安時代、香取郡南東に置かれたのが匝瑳郡で、現在は、一部が匝瑳市としてその名が残り、JR匝瑳駅が置かれています。かつては、匝瑳神社の造り替えは、長い間匝瑳郡の役割だったそうです。
ところで、匝瑳駅の北北西1.2kmの台地の上には、匝瑳郡の式内社 老尾神社(おいおじんじゃ)が鎮座しています。老尾神社は、匝瑳神社同様、神宮祭神の親神 磐筒男神、磐筒女神を祀るほか、子神である朝彦命(あさひこのみこと、天苗加命と同神か?)も祀っています。
神様の親子関係と、それを祀る神社は下記のようになります。
続柄 | 神名 | 祀っている神社 |
---|---|---|
祖父・ 祖母 | 磐筒男命・ 磐筒女命 | 老尾神社(匝瑳郡 式内社) 匝瑳神社(神宮 摂社) |
親 | 経津主大神 | 香取神社 |
子 | 朝彦命(天苗加命) | 老尾神社(匝瑳郡 式内社) |
社号 | 匝瑳神社 |
ご祭神 | 磐筒男神、磐筒女神 |
住所・鎮座場所 | 神宮境内 |
香取神宮境外の摂社
- 側高神社(そばたか-)
- 返田神社(かやだ-)
- 大戸神社(おおど-)
- 忍男神社(おしお-)
- 膽男神社(まもりお-)
- 又見神社(またみ-)
側高神社(そばたかじんじゃ)
側高神社(そばたかじんじゃ)は、神宮の東北東2.5km の台地の北端に鎮座する、香取神宮の第一摂社です。
「起請することあれば、必ずこの神に質す」とあるほど重要な神社で、神宮同様、紀元前643年(神武一八年)に創建されました。
古来より祭神は、神秘、言わず語らずの神とされ、公式には語られていません。千葉県神社庁には側高大神と届けられています。文献によっては、経津主神の后神、天日鷲命とする記述もあります。
文献によっては、脇鷹神社、側鷹神社、曽波鷹神社などとも記載されます。
神宮近隣に同名の社があるため、参拝の際は「香取市大倉1」の住所を確認しましょう。
社号 | 側高神社 |
ご祭神 | 公式:神秘、言わず語らずの神 県への届け出:側高大神 各種文献:経津主神の后神、天日鷲命? |
住所・鎮座場所 | 香取市大倉1 |
返田神社(かやだじんじゃ)
返田神社(かやだじんじゃ、かえだじんじゃ、萱田神社)は、神宮の南南西2.7km、香取市返田に鎮座する神社で、軻遇突智神(かぐつちのかみ)と埴安姫神(はにやすひめのかみ)を祭神としています。創建年不詳、側高神社同様、香取神宮の第一摂社です。
祭神の二柱は、伊邪那美命の産んだ自然神で、軻遇突智神(加具土神)は火、埴安姫神は土・農業・肥料・便所・鎮火・陶芸等を司ります。当地では、母神を大火傷させた祭神 軻遇突智神を悪王子神と呼び、当社を返田悪王子神社と呼んだそうです。
1201~1203年頃、千葉介常胤の五男 國分五郎胤通が、返田神社を通り過ぎる際、「下馬され給え」との忠告を聞かなかったため、馬から落ちてしまいました。神の怒りを恐れた常胤は、馬の鞍を当社に奉り、徒歩にて神宮に参詣したそうです。
社号 | 返田神社(かやだじんじゃ) |
ご祭神 | 軻遇突智神(かぐつちのかみ)、埴安姫神(はにやすひめのかみ) |
住所・鎮座場所 | 香取市返田729│神宮の南南西2.7km |
由緒沿革
創立不詳。当社は香取神宮第一摂社で、神宮大祭のうち霜月一三日の返田祭には大宮司以下神官が参向して祭典を執行、明治維進後も神宮の支配で祭典を行ない、現在も神宮より奉幣使が参向される。古来、当社を返田悪王子神社とも称し、長治三年の香取古文書に「寄進悪王子御社神田事合三段半在草那谷里云々」と記し、また康永四年ーニ月の同古文書に「香取大神宮廿年」の項に「一宇返田悪王子神社国司御沙汰の由」とあり、神宮と共に社殿が改造され、元禄より天明まで香取神宮の経費を以って奉祀された。
大戸神社(おおどじんじゃ)
大戸神社は、神宮の西5.9km、香取市大戸に鎮座する神社で、手力雄神、あるいは磐筒男神と磐筒女神を祭神としています。
祭神は、天の岩戸開きで有名な手力雄神(たぢからお-)です。一方、経津主大神の親神である磐筒男神と磐筒女神が祭神であるという説もあります。
創建に関しては、日本武尊東征の際(110年?)の勧請とも、天武天皇の白鳳年(650年〜654年)の創建とも言われています。
由緒沿革
景行天皇の御宇、日本武尊が東夷御征討のとき勧請、宮柱造営。その後天武・伏見・霊元各天皇のとき社殿の改築をし、伏見・後小松両帝より社領一万貫の御寄進があった。その後瀕家・北条家・豊臣家・千葉家等の武将の崇敬が厚く、御宝物、寄進状その他がある。徳川家よりは社領一〇〇石を寄せられ、明治六年県社に列せられた。香取神宮の摂社で氏子は佐原市、大栄・栗源各町、茨城県東村に及ぶ。
社号 | 大戸神社 |
ご祭神 | 手力雄神、あるいは磐筒男神と磐筒女神 |
住所・鎮座場所 | 香取市大戸521│神宮の西5.9km |
忍男神社(おしおじんじゃ)(東宮)
忍男神社(おしをじんじゃ)は、香取神宮の北1.4km、香取市津宮に鎮座する神社で、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、級長津彦命(しなづひこのみこと)、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)、級長戸邉命(しなとべのみこと)を祀っています。
級長津彦命(しなづひこのみこと)と級長戸邉命(しなとべのみこと)は同一神とも考えられ、伊弉諾・伊邪那美の間に生まれた、風を司る自然神です。この神様は、同社に合祀された風神神社の祭神でしょうか?
忍男神社は東宮とも呼ばれています。同社の西方100m、橋の反対側には、同社と対になる膽男神社(まもりおじんじゃ)が鎮座しており、こちらは西宮と呼ばれています。
「男」の名を冠する東宮 忍男神社と西宮 膽男神社の両社は、香取神宮浜手の守護神と言われています。伊弉諾(東宮)と大国主命(西宮)の二柱の男神が神宮の北を守っている、ということでしょうか?
社号 | 忍男神社(おしをじんじゃ) |
ご祭神 | 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、級長津彦命(しなづひこのみこと)、倉稲魂命(うがのみたまのみこと)、級長戸邉命(しなとべのみこと) |
住所・鎮座場所 | 香取市津宮560│神宮の北1.4km、津宮鳥居からの旧表参道沿い |
由緒沿革
創建不詳。香取神宮の摂社で、香取神宮浜手守護神である。神宮造営ごとに社殿を改造す。往昔、六月晦夏越祓があり、また白状祭という祭典もあったが今は行なわれていない。昭和三五年五月一六日風神神社を合祀。
膽男神社(まもりおじんじゃ)(西宮)
膽男神社(まもりおじんじゃ)は、香取神宮の北1.4km、香取市津宮に鎮座する神社で、大名持命(おおなむち-)、綿津見命(わだつみのみこと)を祀っています。
大名持命は大国主命(おおくにぬしのみこと)のことで、神宮祭神 経津主神が国譲りを迫った相手です。綿津見命は、伊弉諾・伊邪那美の間に産まれた海を司る神様です。後者は、膽男神社に合祀された境内社 沖宮神社の祭神でしょうか?
膽男神社は西宮とも呼ばれ、上記の東宮 忍男神社とともに香取神宮浜手の守護神と言われています。
社号 | 膽男神社 |
ご祭神 | 大名持命(おおなむち-)、綿津見命(わだつみのみこと) |
住所・鎮座場所 | 香取市津宮345│神宮の北1.4km |
由緒沿革
創建年代不詳。忍男神社を東宮と称するのに対し本神社を西宮と称し、共に香取神宮浜手守護神である。香取神宮の摂社として神宮造営には必らず社殿を改造された。昭和五六年、氏子の浄財により境内全体を盛土し、社殿の屋根を銅板葺に葺替えるとともに、大修理を完成した。昭和五六年、樹齢二〇〇有余年の名松が虫害で枯死した。昭和三五年五月沖宮神社を合祀。
又見神社(またみじんじゃ)
又見神社は、神宮の西560m、香取市香取に鎮座する、天苗加命(あめのなえますのみこと)、武沼井命(たけぬまいのみこと)、天押雲命(あめのおしくもねのみこと)を祭神とする神社です。
祭神の三柱は下記のように、有名な神様の御子神となります。
- 天苗加命:経津主神の御子神
- 武沼井命:武甕槌神の御子神
- 天押雲命:天児屋根命の御子神
上述の東 氏の書籍『鹿島神宮』に、又見神社の社名の由来が記載されています。中臣寿詞(なかとみのよごと)という祝詞の中に、高天原から地上へ天降った天忍雲根命(あめのおしくもねのみこと)が、その土地の水が悪いため天の神様に相談に行く、という逸話があるそうです。神様にとっては、一度天降った天忍雲根命が「又見えた」わけです。天忍雲根命と天押雲命は同一神で、「又見えた天押雲命」を祀るから又見神社というわけです。
社号 | 又見神社 |
ご祭神 | 天苗加命(あめのなえますのみこと)、武沼井命(たけぬまいのみこと)、天押雲命(あめのおしくもねのみこと) |
住所・鎮座場所 | 香取市香取1480│神宮の西560m |
詳細情報
社号 | 香取神宮 |
住所 | 香取市香取1697 |
その他 | ■香取市HP 香取神宮信仰と式年神幸祭に見る歴史的風致 https://www.city.katori.lg.jp/culture_sport/bunkazai/fuuchi_keikaku/310326.files/Katori-rekimachi-2-2-4.pdf ■香取市HP アーカイブ香取遺産 Vol.191~200 https://www.city.katori.lg.jp/culture_sport/bunkazai/isan/191-200.html |
参考
上記のWeb サイトのほかに、下記を参考にさせていただきました。
- 『新修 香取神宮小史』香取神宮社務所 編 1995年
- 『鹿島神宮』東 実 著 1968年
- 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年