市原市不入斗(いりやまず)の小鷹神社(こたかじんじゃ) の概要


小鷹神社(こたかじんじゃ) は、市原市不入斗(いりやまず)の深く幽遠な森のなかにひっそりと鎮座する神社です。
明治期から終戦期まで村社に列格していました。
祭神
祭神として次の神様が祀られています。
- 日本武尊(やまとたけるのみこと)
創建の由来
- 景行天皇五三年九月、天皇がこの地に視察
- 同年十月、日本武尊がこの地に数日滞在し、大高谷(おおだかやつ)他の住民より食を奉った
- 鈴木太良大夫氏が所有地に奉祀、同家が祭主を務める
- 安徳天皇の寿永元年(1182年)、改めて当岳に鎮祀
- 明治三十二年(1899年)現社殿を造営
「小鷹神社」の社名の由来
社名から、南房総市千倉町の「下立松原神社(旧社名 小鷹明神)」の勧請かと思いましたが、まったく異なるようです。
後述の書籍に指摘されるように、袖ケ浦市滝の口の「小高神社」と社名・祭神・由来がそっくりなため、当社も本来は「皇鷹神社」と称していたのかもしれません。
ちなみに、当社の北東4.3kmには紛らわしい社名の「大鷲神社(おおわしじんじゃ)」が鎮座しています。こちらは「天日鷲命」を祀っています。
『失われた英雄 新・阿久留王伝説』の舞台

(露崎 清美)

当社の境内地は、鹿野山の「阿久留王」について書かれた名著『失われた英雄 新・阿久留王伝説』(露崎 清美)に、「不入斗皇居」として登場します。
蝦夷への狼藉に怒り狂った「阿久留王」が滝口と不入斗の皇子を倒し、当地の「不入斗皇居」を奪います。しかし、「日本武尊」の副将軍「吉備武彦」により奪還される、というものです。
これから読むという方には、
- 当社周辺の「片又木遺跡」から、弥生後期/古墳前期にかけての竪穴建物群が高い密度で検出(奈良文化財研究所)
- 日本武尊の軍が、この地に数日留められた(『千葉県神社名鑑』)
などの情報も理解の一助となります。
当サイト筆者は本書を未読の状態で参拝したのですが、もし読後に参拝していたら当社の幽遠な空気にかなりの怖さを覚えていたかと思います。
写真図鑑
拝殿





拝殿向拝の彫刻




本殿






鳥居
一之鳥居




二之鳥居


西の鳥居



狛犬
社殿正面の狛犬
阿形の狛犬の口の中の玉がコロコロ転がります。初めて見ました。




西側の狛犬




境内社
参詣路左手の複数の石碑、祠











疱瘡神社
当社から100mほどの場所に「疱瘡神社」が鎮座しています。
扱いとしては当社の境内社でしょうか? 地元の方が、「小鷹神社のとなりに疱瘡神社もあるよ」と教えてくださいました。地元では、独立した別の社として見られているようです。


手水舎
彫刻が細かくゴージャスな風情の手水石です。






ご神木




境内風景


参拝順路
南からの参拝経路














西からの参拝経路






東からの参拝経路




基本情報
| 社号 | 小鷹神社 |
| ご祭神 | 日本武尊(やまとたけるのみこと) |
| 住所 | 市原市不入斗189 |
参考
下記を参考にさせていただきました。
抜粋
小鷹神社(こたかじんじゃ) 旧村社
祭神
日本武尊(やまとたけるのみこと)
由緒沿革
景行天皇五三年九月、天皇この地に御巡幸の時親祭される所という。また、日本武尊が同一〇月御東征の時、軍をこの地に数日留められ、その間大高谷その他の住民より食を奉った由緒により、氏子は一〇月一五日の例祭当目毎戸苞飯を神前に供する慣例がある。


小鷹神社由緒
祭神
日本武尊
由緒沿革
(前略)鈴木太良大夫氏が所有地に奉祀
同家が祭主で守護神と伝へられる人皇第八十一代安徳天皇の御代
寿永元年(皇紀一、八四二年・西暦一、一八二年)改めて当岳に鎮祀
社殿を建立村の鎮守産土神として崇敬造営される。
(中略)明治三十二年(皇紀二、三四一年・西暦一、八九九年)現在の社殿を造営する。
(後略)
Webサイト
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書籍
- 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
- 『失われた英雄 新・阿久留王伝説』露崎 清美 著 2020年
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