四街道市上野の上野神社の概要


上野神社は、天香々背雄命(あまつかがせおのみこと、別称 天津甕星(あまつみかぼし))と天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)を祭神とする、四街道市上野に鎮座する神社です。明治期から終戦期まで村社に列格していました。
当社は、鎌倉末期、千葉氏一門の粟飯原(あいはら)氏が当地に土着するに及び、上野集落の鎮守神として奉斎された神社です。
佐倉街道古道の目立ったランドマークである「四街道総合公園」や「千葉ヤクルト工場」近隣の角を東方向に曲がった奥に、上野集落のひと気のない森があります。この森の最奥のどん詰まりに、当社が鎮座しています。
祭神 天香々背雄命(あまつかがせおのみこと、あまつかかせおのみこと、天香香背男)
祭神の天香々背雄命(天津甕星(あまつみかぼし))は、大甕(おおみか。現 日立市大みか町)に拠点を置いた、天孫族の支配に最後まで抗った神様です。
天香々背雄命は「星(月)」を司る神様で、この点も「太陽」を司る天照大御神(あまてらすおおみかみ)と対照の存在となります。
建葉槌命による天香々背雄命 討伐
天孫降臨前段階の葦原中国(あしはらのなかつくに)平定の際、経津主神(ふつぬしのかみ)・武甕槌命(たけみかづちのみこと)の武神二柱をもってしても天香々背雄命を倒すことができず、その指令は武甕槌命の部下で倭文神(しとりがみ)(織物の神様)の建葉槌命(たけはづちのみこと)に下ります。
大甕(おおみか。現 日立市大みか町。鹿島の北約70km)を拠点とする天香々背雄命に対し、瓜連(うりづら。現 那珂市瓜連)に陣を構える建葉槌命が、見事これを討ち果たします。

左上:【瓜連】建葉槌命が陣を構えた
右上:【大甕】天香々背雄命の拠点
左下:【香取神宮】経津主神を祀る
右下:【鹿島神宮】武甕槌神を祀る
(国土地理院の「自分で作る色別標高図」より筆者作成)

祭神とし建葉槌神を祀る。
神宮の社殿参拝の前に、高房神社を詣でるのが慣例
上記の天香々背雄命 討伐が、経津主神・武甕槌命の千葉・茨城への来降、ひいては香取・鹿島両神宮の創建に繋がると考えると、天香々背雄命の存在は、本邦の神社史にとって、かなり重要な意味を持つように考えられます。
悪縁切り神社!?
ネット上で、当社を「悪縁切り神社」とする記事をいくつか見ます。由来や理由は調べた限りでは見つかりませんでした。
宮崎県高千穂の上野神社に、悪縁切りのご利益があるそうですが、そちらに関係があるのでしょうか?
参拝日記
ひとけのない神社ですが、境内の枯れ木や枯れ葉はきれいに処理され、社殿もとても綺麗に保たれています。何といっても、背景の竹やぶから注ぐ柔らかい光と神社の光景が大変神々しく、一見の価値のある神社です。

本殿や幣殿はなく、この社のみである





由緒
鎌倉末期、千葉氏の一門粟飯原氏が当地に土着するに及び、鎮守神として奉斎した神社です。
祭神は、天香々背雄命と天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)です。
巻1 巻2 第三 旭村誌
村社上野神社
上野区字下にあり天香々背雄命を祭る
祭神
天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)
由緒沿革
鎌倉末期、千葉氏の一門粟飯原氏が当地に土着するに及び、鎮守神として奉斎されたという。上野部落の産土神である。
写真
社殿

本殿や幣殿はなく、この社のみである





鳥居


摂社、末社


境内風景


おまけ
Google map で「薬師堂」とある近隣の 場所(八幡神社前)



Google map で「小社」とある近隣の場所



参拝順路


まっすぐ進みます









詳細情報
社号 | 上野神社 |
ご祭神 | 天香々背雄命(あまつかがせおのみこと) |
境内社 | |
由緒・歴史 | |
神紋 | |
住所 | 四街道市上野128番地 |
その他 |