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黒砂浅間神社 – 創建の考察│千葉市稲毛区

黒砂浅間神社コンテンツ
目次

黒砂浅間神社の創建について

黒砂浅間神社の創建の由来については、次の3点しか情報がありません。

  • 千年以上前、黒砂村開祖の折に郷の守り神を祀る(境内石碑)
  • 1815(文化12年)、「浅間大菩薩」を遷宮して創建(『千葉県神社名鑑』、公式リーフレット表)
  • 約400年前、本宮から黒砂に分霊(公式リーフレット裏)
  • ②と③は、同リーフレットの内容にも関わらず両立しない

ところが、近隣の情報を整理していたところ、思いもかけず興味深いエピソードが明らかになりました。「黒砂浅間神社」と「稲毛浅間神社」は、もともと小中台にあった「浅間神社」に由来するようなのです。

以下に、参考情報をもとにした筆者の推測を列挙します。素人考えですので、どうぞご容赦ください。

小中台のシロヤマに「浅間神社」が勧請される

808年(大同3年)、小中台のシロヤマ(城山)または稲毛山という場所に、「浅間神社」の分霊が祀られました。この社は、なぜか本社・末社の2つがあり、「富士浅間神社」は「同時に分霊したもので特に区別はない」と言っているそうです。本社・末社2つの社を同時に分霊するというのは珍しいことに思えます。

本稿の舞台となるシロヤマ集落の、往昔と現在の地図を示します。これを見ると、次のようなことがわかります。

  • シロヤマ集落は「日栄寺」のすぐ西にあった。
    現在、「城山」の付く建物がいくつかあり、シロヤマ集落の名残が見える。
  • 「日栄寺」は現在と変わらず。
    一方、その北にある社は、往昔は「浅間神社」、現在は「熊野神社」である。

「稲毛浅間神社」の創建

上記古地図には、「浅間神社」は1社しか書かれていません。ここに鎮座していたのが「稲毛浅間神社」の前身となる社で、後年、東京湾岸の富士を望める現鎮座地に遷座したようです。

残された旧鎮座地には「熊野神社」が創建されました。

ところで、筆者は以前から、「熊野神社」近隣住民の方より、「『稲毛浅間神社』はもともとは『熊野神社』の場所にあった」という話を聞いていました。今回、古地図と照らし合わせることで、この口碑の正しさが証明されるとともに、口碑を伝えていくことの重要さを再認識させられました。

「黒砂浅間神社」の創建

江戸期に「浅間大菩薩」と呼ばれた社が、1815年に富士を望める黒砂に遷宮され、「黒砂浅間神社」が創建されました。この「浅間大菩薩」なる社の鎮座場所については一切、情報がありません。

ところで、「黒砂浅間神社」氏子の菩提寺は、シロヤマ集落近傍の「日永寺」が多い、という報告があります。これは、黒砂近隣に住む氏子の多くは、シロヤマから移り住んで来た歴史を持つということを意味します。

ひとつの説として、「江戸時代まで、シロヤマ集落に「浅間大菩薩」なる社が鎮座、集落にはその氏子が住んでいた。何らかの理由で、社と氏子が一緒に黒砂の地に移ってきた」と考えるのが最も妥当に思えます。

黒砂村には、もともと、1,000年以上前の入植民が祀った村の守り神があったとされ、恐らくこれと合体する形で「黒砂浅間神社」が創建されたのでしょう。

どちらが本社だったのか?

上述の説が正しいとすると、シロヤマには「稲毛浅間神社」および「黒砂浅間神社」の前身となる2つの社があったことになります。

先ほど、シロヤマの「浅間神社」は本社・末社の2社があった書きました。この2社が、「稲毛浅間神社」および「黒砂浅間神社」になったのでしょうか? その場合、本社はどちらになるのでしょうか?

筆者は、次の二点から「黒砂浅間神社」の前身が本社だったと考えています。

①「黒砂浅間神社」は「稲毛の姉様」

「黒砂浅間神社」は、別称「稲毛の姉様」と言われていたそうです。

両浅間神社の祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)という女性の神様ですから、両社は「姉妹」関係にあります。本社を「姉様」、末社を「妹」とするのが自然でしょう。

②「黒砂浅間神社」は旧鎮座地と結びつきが強い

さきほど、「黒砂浅間神社」氏子の菩提寺は、シロヤマ集落近傍の「日永寺」が多く、社と氏子がともに黒砂の地に移ってきたのだろうと述べました。

一方、「稲毛浅間神社」氏子の菩提寺は、シロヤマ集落から離れた「千蔵院」が多いそうです。遷座に際し、シロヤマの氏子は従って行かなかったようで、現鎮座地に落ち着いてから新しい氏子を増やしていったのでしょう。

旧鎮座地シロヤマとの結びつきは、「黒砂浅間神社」の方が圧倒的に強いわけですから、こちらが本社であったと考えるのが自然に思えます。

なぜシロヤマを去ったのか?

両神社とシロヤマの人々が、なぜこの地を去ったのか? その理由が気になるところです。

現在より海面を5m刻みで上昇させた地形図を作ってみました。シロヤマ集落の西は、二本の川が合流し、いかにも土砂がたまって陸地化したような地形をしています。

江戸時代、シロヤマ集落に住んでいた漁労民が、海へのアクセスに徐々に不便を感じることとなり、一念発起して、海側の新天地へ鎮守の社とともに大移動したのではないでしょうか? こうしてできたのが「黒砂浅間神社」というわけです。

旧社地との結びつきの薄いもう一社は、富士を眺めるのに絶好の新天地に遷り「浅間神社」としての性格を強めた「稲毛浅間神社」となります。江戸期に爆発的に広まった富士講の流れにのり、現在に至るのでしょう。

鎮守の社としての役割を残した前社と、時流にのった後社で、色合いのまったく異なる神社になったわけです。

創建・祭神に関する参考情報

本稿で特に参考になった箇所に下線を引いています。

『千葉県神社名鑑』抜粋

浅間神社(通称 浅間様)旧村社

鎮座地
千葉市黒砂三丁目九番十三号

祭神
木花之開耶比賣命(このはなのさくやひめのみこと)
菅原道真霊(すがわらみちざねのみたま)
八衢比古命(やちまたひこのみこと)
八衢比賣命(やちまたひめのみこと)

由緒沿革
文化十二年夏浅間大菩薩を遷宮す。文久元年十二月社殿を再建、慶応元年十一月石段を再建。明治四十四年六月稲毛台鎮座の天神社・道祖神社を合祀。昭和四十九年七月社殿・社務所を再建した。

境内石碑 抜粋

黒砂浅間神社は今より一千有余年前黒砂村開祖の折郷の守りとしてお祀りしたのが始まりです

リーフレット『黒砂浅間神社』抜粋

御祭神

主祭神
木花開耶姫命(木花開耶比賣命)

末社
金刀比羅宮(大国主命・金山彦命)
稲荷神社
三峯社
天満宮(菅原道真霊)
子安社
疱瘡社(月夜見神)
嚴島社
道祖社(八衢比古命 八衢比賣命)
(御室浅間社•磐長比命賣命)
─()は神社明細帳による─

黒砂浅間神社の由緒沿革

1815(文化12年)浅間大菩薩を遷宮
(中略)
1911(明治44年)稲毛台鎮座の天神社 道祖神社を合配
(後略)

黒砂浅間神社祭神縁起

(前略)
約四百年前江戸時代山岳仰の最も隆盛をきわめた頃本宮から分霊し当黒砂の地に鎮座土人信仰の的として現在に至る
(中略)
旧黒砂村の随所にあった社や石碑などは、黒砂浅間神社に移し大切にお守りしています。

『千葉市史 史料編 8 (近世)』抜粋

P499

6 小中台(こなかだい)村

大同三年(八〇八) 浅間社が勧請され、後に稲毛に移ったと伝承(布施家文書)
中世 字城山に城が築かれた(常滑焼の壺が出土)。

P365

社寺
浅間神社の縁起
(前略)
九五 稲毛山根本記 大同三年
(中略)
天皇御字大同三年戊子五月晦日云云
(中略)
夜々竜灯照山中近所隣国之万民坂東之鎮守今此山ニ御出現ト従成郡集ヲ以来有本社末社之造立下総国稲毛山奉浅間大神東宮ト崇諸人之立願不叶無事清心清躰二而参詣之貴賤今世万端女音子孫繁昌無疑者也如件
(後略)
(布施幸子家文書二一)

【当サイト筆者の現代語訳】
毎夜、竜灯(龍神の光とされる霊火)が山中を照らし、周辺の村々や隣国の民衆は、「坂東の守護神が、この山に御出現されたのだ」と信じるようになり、以来、人々が集まり社殿(本社・末社)が造られるに至った

ここ、下総国の稲毛山では、浅間大神をお祀りし、これを「東の宮」として崇敬し、人々が立てた願い事が、成就しなかった例はないほどである。

身と心を清らかにして参詣する身分の高低を問わぬ人々は、この世においてあらゆる願いが叶い、女子の声が絶えることなく、子孫は末永く繁栄すること、疑いようもない。
以上、件(くだん)の通りである。

『千葉市の民俗芸能』抜粋

P15

2、稲毛周辺の分化史

謎のシロヤマ

ところで、稲毛浅間神社はもと小中台町に奉仕されていたという言い伝えがあるが、それはどのあたりを言うのだろうか。
(前略)
小中台の旧集落の古老達は口を揃えて、稲毛の浅間さまは、もとこの村のシロヤマにあったというのを昔の親の代から代々聞かされているという
(中略)
ところで、稲毛の南隣、黒砂にも「黒砂浅間神社」があり、こちらも無視出来ない問題である。黒砂の浅間神社は小高い山の上にあるが、稲毛と違い、地のりが悪かったためか訪れる参拝者もほとんど見かけない。地元の人の話では、稲毛の姉様という言い伝えがあるそうだが、富士浅間神社の方では、同時に分霊したもので、特に区別はないと言っている。ただ、ここで問題になるのは、むしろ、この黒砂浅間神社氏子の菩提寺がかなり距離があるにも拘わらず、シロヤマの裏、小中台の日永寺であるということだ。(一方、稲毛浅間神社の氏子は同じ真言宗ではあるが近くの千蔵院である(後略)

詳細情報

社名黒砂浅間神社
ご祭神木花開耶姫
境内社
由緒・歴史
神紋棕櫚(シュロ)紋、九曜紋、巴紋
本殿の向き
住所千葉市稲毛区黒砂3-9-13
その他■ためになる参考サイト
・黒砂の資料を保存する会
http://samidare.jp/kurosuna/
・千葉氏を語る会>『黒砂将門落武者伝説』に原氏が絡む??新たな伝説!!
https://chibaujikataru.sakura.ne.jp/info/news/20221115benkyoukai.pdf
・千葉氏を語る会
https://chibaujikataru.sakura.ne.jp/

参考

上記のWeb サイトのほかに、下記を参考にさせていただきました。

  • 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
  • 『社寺よりみた千葉の歴史』和田 茂右衛門 著 1984年
  • 『千葉市史 史料編 8 (近世)』千葉市史編纂委員会 編 1997
  • 『千葉市の民俗芸能』千葉市教育委員会 編 1981
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