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成田市船形の麻賀多神社 奥津宮(手黒社)の概要

麻賀多神社 奥津宮は、1800年余前、印旛国造 伊都許利命(いんばのくにのみやつこ いつこりのみこと)によってに創建された、稚日霊命(わかひるめのみこと)を祭神とする、成田市船形に鎮座する神社です。成田市台方の社が本社、こちらの船形の社が奥津宮となります。

当社のすぐ横には、伊都許利命のお墓である公津原古墳群第三十九号墳と、命を祀る伊都許利神社(いつこりじんじゃ)が鎮座しています。

台方の本社と伊都許利神社/公津原39号墳については下記をご覧ください。

創建者

創建者の伊都許利命は、神武天皇の皇子 神八井耳命(かむやいみみのみこと)の8世の子孫です。応神天皇の時代(270~310年)、印播国造に命じられ印旛周辺地域を治めました。

御神体

御神体は、日本尊命(やまとたけるのみこと)が五穀豊穣を願って大木の虚にかけた鏡で、これに祭神の稚日霊命(わかひるめのみこと)が祀られています。

御祭神

稚日霊命は、同じ読みの稚日女尊と同神でしょうか? 稚日女尊は、機織神(『日本書紀』で天岩戸隠れの直前に登場)とも、天照大神の幼名または妹神(→ 生田神社)とも、はたまた御子神とも言われています。漢字が似ており紛らわしいのですが、下記のごとく、本社は稚産霊命(わかむすびのみこと)を、こちらの奥津宮では稚日霊命(わかひるめのみこと)を祭神としています。

神社名創建者祭神住所
麻賀多神社 本宮(稷山社)伊都許利命稚産霊命成田市台方
麻賀多神社 奥津宮(手黒社)伊都許利命稚日霊命成田市船形
伊都許利神社伊都許利命、
大名持命
成田市船形

※ 境内社に祀られている加志波比売も天照大神の幼名という説あり

創建・由緒

1800年余前、伊都許利命により創建された、稚日霊命(わかひるめのみこと)を祭神とする神社で、明治期から終戦期まで旧村社に列格していました。

次の境内神社が鎮座しています。

香取神社・世直神社・熊野神社・天神社・祓戸神社・高津神社

『伊都許利命由緒』
伊都許利命墓の由緒書

伊都許利命は 神武天皇の皇子神八井耳命の八代目の御孫で 応神天皇の命を受けて 印旛國造としてこの地方を平定され 産業の指導などに多くのご功績を残されています。
その昔、日本武尊 ご東征の折大木の虚に鏡をかけ 根本に七つの玉を埋めて 伊勢神宮に祈願されました 命は「この鏡をあがめ祀れば永く豊作が続く」との教をきゝ その鏡をご神体として この地に稚日霊命(わかひるめのみこと)を(手黒神社)祀り、その後 ご霊示によって 七つの玉を掘り出して稚産霊命(わかむすびのみこと)(台方神社)を祀り 共に麻賀多眞大神として 里人の崇敬を指導されてから 益々豊年と楽土が続きました
(中略)

伊都許利神社々務所

『千葉県神社名鑑』抜粋

麻賀多神社 旧村社

祭神
稚日霊命(わかひるめのみこと)

境内神社
香取神社・世直神社・熊野神社・天神社・祓戸神社・高津神社

由緒沿革
千八百余年前、日本武命が国内平定のため水路ご東征の折、当地に上陸されて農作の不振を知り、里人を集めて大杉の幹に鏡を掛け、伊勢神宮に祈願され、「印波国魂瀛津鏡(いんばのくにたまおきつかがみ)」として崇め祀れば、永く豊作が続くと教えられた。応神の御代、伊都許利命(いつこりのみこと)によってこの地に瀛津宮として祀られる。その後、天照稚日霊社(あまてらすわかひるめのやしろ)、麻賀多大明神、同大神宮と改称、産業諸願成就の神として特に千葉家の崇敬をうけた。式内社麻賀多総社。境内地は市の史蹟とされている。

写真図鑑

社殿

拝殿

本殿

拝殿/幣殿/本殿


鳥居

狛犬


摂社、末社


ご神木の大杉

本社同様、奥宮にもご神木の大杉が立っています。樹齢650年とあります。

参拝順路

台方の麻賀多神社からの経路

台方の麻賀多神社と船形の麻賀多神社は直線で1km程度しか離れていませんが、一度平地におり川を渡って反対側の台地に登る必要があり、特に後半は道も急であるため、脚の元気な人にのみお勧めします。

途中、日月神示で有名な岡本天明さんの住居跡があります。

12月の麻賀多神社

鳥居の白、玉垣の朱、本殿の蒼、地面を覆うイチョウの黄、様々な色の樹々が、柔らかい夕日に照らされとても美しかったです(vivid 設定で撮影)。

詳細情報

社号麻賀多神社 奥宮
ご祭神稚日霊命
境内社香取神社、世直神社、熊野神社、天神社、祓戸神社、高津神社、他
由緒・歴史1800年余前、伊都許利命により創建
神紋麻紋
本殿の向き
住所成田市船形834
その他■麻賀多神社 公式HP
https://makata-jinja.com/

参考

上記のWeb サイトのほかに、下記を参考にさせていただきました。

  • 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
  • 『千葉県印旛郡誌』印旛郡 編 1913年
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