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市原市島野の島穴神社(しまあなじんじゃ)の概要

島穴神社(しまあなじんじゃ)は、114年(景行天皇四〇年)に日本武尊によって創始された、市原市島野に鎮座する神社です。通称「しまあなさま」。

『延喜式』「神明帳」に記載される式内社で、上総国の海上郡二座の一社です。明治期から終戦期まで、県社に列格していました。

祭神

祭神として次の神様が祀られています。

  • 志那都比古尊(しなつひこのみこと)…伊弉諾・伊弉冉より生まれた「風」を司る二神の一柱
  • 日本武尊(やまとたけるのみこと)
  • 倭比賣尊(やまとひめのみこと)…日本武尊の叔母で、「伊勢神宮」を創建した

同じく市原市に鎮座する式内社「姉崎神社」と共に風鎮の夫婦神となります。

  • 島穴神社:夫神 志那都比古尊(しなつひこのみこと)
  • 姉崎神社:妃神 志那斗弁命(しなとべのみこと)=志那都比売神(しなつひめのかみ)

当社創建について

旧鎮座地での伝承

当社はもともと、現鎮座地の北北東100mほど、内房線の反対側(海側)にありました。絶妙に私有地のような農地の奥、線路に面した林の中にあり、筆者は参拝がはばかられています。気になる方は、Google で「島穴社原地碑」と調べてみましょう。

114年(景行天皇四〇年)、日本武尊一行の船を襲った暴風は、弟橘姫命が大和国の風鎮神「龍田の神」に祈り身を捧げるとにわかに静まり、一行は無事に房総に上陸することができました。上述の旧鎮座地を訪れた尊は、弟橘媛命を偲び、風鎮の神「志那都比古尊(しなつひこのみこと)」を祀り当社が創建されたと言います。

  • 「龍田大社」の祭神は風神「志那都比古神」「志那都比売神」の二柱

この森には深い穴があり、中から清い風が常に吹いていたそうです。社名の「島穴」はそこから来ると言います。

現鎮座地での伝承

平安初期の826年(天長3年)、現在地に遷座したと伝わります。

『上総国誌』に、江戸初期の1615年(元和元年)、当時の神主が当社の由来を「春日明神」と幕府に報告したという記載があるそうです(『房総の古社』)。

細かな経緯は不明ですが、現在は近隣の式内社「姉崎神社」と共に風鎮の夫婦神として祀られています。

写真図鑑

社殿周辺

拝殿

本殿

鳥居

一之鳥居

二之鳥居

狛犬

境内社、摂社、末社

『千葉県神社名鑑』に、道祖神社・古川神社・日宮神社・十七夜神社の記載がありますが、どれも見当たりません。

疱瘡神社

大六天神社

天神社

八雲神社

子安神社・愛宕神社・淡島神社

浅間神社

名称不明の社

手水舎

社務所、参集殿?

おがたまの木

おがたまの木

境内の外観

島穴神橋(赤い橋)と石製の白い橋

参拝順路

基本情報

社号島穴神社
ご祭神志那都比古(しなつひこのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、倭比賣尊(やまとひめのみこと)
境内社
由緒・歴史
神紋
本殿の向き
住所市原市島野1129・1130
その他

参考

下記を参考にさせていただきました。

抜粋

『千葉県神社名鑑』抜粋

島穴神社(しまあなじんじゃ)(通称 しまあなさま) 旧県社

祭神
志那都比古(しなつひこのみこと)日本武尊(やまとたけるのみこと)倭比賣尊(やまとひめのみこと)

境内神社
道祖神社・古川神社・日宮神社・十七夜神社

由緒沿革
神階正五位上勲五等。当宮は『延喜式神名帳』所載の上総五社の内の一社。景行天皇四〇年(一一四)日本武尊が東征の折、相模国走水より上総国へ航行中、にわかに暴風に遭われ、危く船が覆りそうになった時、同乗されていた妃君の弟橘姫命が大和国の風鎮神龍田の神を遥かに拝み、海中に身を投ぜられると暴風は止み、一行は無事当地へ着くことができた。尊は妃のご祈誓に従いこの地に風鎮の神志那都比古尊を創祀された。のち景行天皇が当地へ行幸(一二七)の折日本武尊、倭比売尊を合杞された。また陽成天皇八年(八八四)には朝廷より正五位上の神階を授けられ、明治一二年(一八七九)に県社に列格、今日に至る。松平定信候奉納の扁額・社紋幕等が奉護されている。

Webサイト

書籍

  • 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
  • 『房総の古社』菱沼 勇、梅田 義彦 著 1975年
  • 『日本の神々 神社と聖地 11 関東』谷川 健一 編 1984年

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