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鷲神社(おおとりじんじゃ)│茂原市鷲巣

茂原市鷲巣の鷲神社の概要

鷲神社(おおとりじんじゃ)は、1689年(元禄二年)創建、茂原市鷲巣の丘陵の上に鎮座する神社です。

創建以来、地域の産土の神として「鷲宮大明神」「鷲妙見大菩薩」「鷲宮神社」「おとり様」などと呼ばれ、明治期から終戦期まで村社に列格していました。

祭神として次の神様が祀られています。

  • 天日鷲神
  • 日本武尊(やまとたけるのみこと)
  • 瓊々杵尊(ににぎのみこと)
  • 蒼稲魂尊(うがのみたまのみこと)
  • 大日靈貴命(おおひるめむちみこと)
  • 天穂日命(あめのほひのみこと)
  • 他四柱

1959年(昭和三四年)、鷲巣141の第六天神社、鷲巣525の天神社、鷲巣529の稲荷神社の三社を合祀しました。

清浄な境内、剛胆な彫刻

綺麗に清掃された境内、振り返るたびに景色の変わる坂、コミカルな龍、アグレッシブな獅子鼻など、見所が多く居心地の良い神社です。

鷲山寺(じゅせんじ)末寺 長國寺が鷲神社の別当

茂原駅から西へ1.6kmほど、当社が鎮座する丘陵とその周辺には、

  • 鷲山寺(じゅせんじ)
  • 藻原寺(そうげんじ)
  • 茂原公園
  • 茂原市役所

があり、往古から現在にいたるまで、茂原の中心地であったと思われる場所です。

鷲山寺(じゅせんじ)と藻原寺(そうげんじ)は隣り合っており、日蓮聖人に関するそれぞれ別途の逸話があります。

鷲山寺の末寺 長國寺が、鷲神社の別当職を務めました。

鷲神社(おおとり-)と鷲妙見大菩薩(わしみょうけん-)について

当社について調べると、「酉の市」のほかに「鷲妙見大菩薩」というキーワードがついてまわります。

鷲神社創立と鷲妙見大菩薩の誕生について考察してみました。素人考えですので、どうぞご容赦ください。

鷲山寺(じゅせんじ)と鷲神社(おおとり-)創立の流れ

まずは、鷲山寺および鷲神社の創立の流れを箇条書きにまとめました。

1264年
小松原法難

小松原(現鴨川市)にて東条景信に襲われた日蓮聖人は、数ヵ月間、石窟などに身を隠し傷を癒す。

1265年
茂原の鷲巣へ

日蓮聖人は、上総国領主 小早川内記の藻原(現茂原)鷲巣(わしのす)の邸宅に迎えられる。内記の挨拶「私は鷲巣という所に住む、小早川内記と申す者。」に、「鷲巣」の地名が見える。
11月酉の日、聖人が国家平穏を祈ると、明星(金星)が動き出し「鷲妙見大菩薩」が現れ出でる

1277年
鷲山寺(じゅせんじ)の開創

日蓮聖人に「上総鷲巣の地に長國山鷲山寺を建立すべし」と命じられた日弁聖人が、堂宇を創建。

鷲神社(おおとりじんじゃ)の創立

元禄二年、鷲神社の創立(『千葉県神社名鑑』)。鷲山寺末寺の長國寺が別当職。

鷲妙見大菩薩とは?

1265年、日蓮聖人のもとに「鷲妙見大菩薩」が現れ出でる、とあります。この方は、いったいどのような神様(仏様)なのでしょうか?

「妙見信仰」は、北極星や北斗七星を神格化した「妙見菩薩」を崇める信仰です。

問題は、「鷲」が何を意味するかです。墨田区法華寺の石川修道住職は、聖人生国の先住民に関する論文のなかで、「鷲」は神武天皇を先導した天太玉命・天日鷲命を意味する「忌部の象徴」で、これと日蓮法華宗の妙見信仰が結びついたのが「鷲妙見」である、と述べられています。

『宗祖生国の先住者』抜粋

(七)日蓮聖人と産鉄民

(前略)神武天皇の持つ弓の先に止まっている黄金に輝く鳥(金鵄)が、神武帝を先導した天太玉命と天日鷲命である。つまり忌部の象徴なのである。その「大鷲(おおとり)」が日蓮法華宗の妙見信仰と結びついて発展したのが「鷲(わし)妙見」である。茂原にある鷲宮(おおとり)神社と法華宗本門流の本山・鷲山寺である。その分身で有名なのが、浅草「酉(とり)の市」である。鷲宮(おおとり)神社は「おとり様」と呼ばれ、鷲山寺の末寺・長國寺が明治時代の神仏分離令までは、神社の別当職として管理していた。阿波忌部族による神武東征の出発日が「酉の日」によるものである。

参考:『宗祖生国の先住者─安房に移住した阿波忌部族の動向について』石川 修道

ここで二つの疑問が生じます。

  • なぜ「妙見信仰」と「鷲」を結びつけたのか?
  • なぜ茂原の地で両者を結びつけたのか?
    聖人が日蓮宗を開宗した清澄寺境内には、忌部神を祀る「天富神社」が鎮座している。
    聖人と忌部の民には、深い繋がりがあったことが指摘されている(石川氏)。
    日蓮宗と忌部神を結びつける機会は、それまでいくらでもあったはずだが、なぜこの時この場所なのか?

藻原鷲巣には天日鷲命を祀る社があった?

日蓮聖人が招かれた、小早川内記の邸宅のある藻原鷲巣には、その地名に「鷲」が付くように、もともと天日鷲命を祀る社があったのではないでしょうか?

1265年、鷲巣の地を聖人が訪れ祈ると、「天日鷲命の社」「金星」に関連した、神の顕現を思わせる何かしらの奇跡が起こったのでしょう。すると、「天日鷲命」「金星」「妙見信仰」を神仏習合させた「鷲妙見大菩薩」なる神様(仏様)を創造し、これを信仰するようになるのは自然なことのように思えます。

そもそも日蓮宗と忌部神との親和性は決して低くありません。上述のように、清澄寺には天富神社が鎮座し、聖人は忌部の民とも関係が深かったからです。

このようにしてできた鷲妙見大菩薩信仰のもと、当地に古くからあった「天日鷲命の社」は、「鷲山寺」境内にそのまま存続。1689年には立派な社殿を建てられ、「鷲山寺」管理の「鷲神社」となります(『千葉県神社名鑑』)。そして、明治初頭には神仏分離し現在に至る、というのが大まかな流れではないでしょうか。

ところで、当社の北西3.7kmに鎮座する安房洲神社(茂原市国府関)、さらに北西650mの國府里神社(長生郡長柄町国府里)も、忌部の祖神を祭神として祀っています。当地は往古より、忌部一族に縁のある土地だったのかもしれません。

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創建・由緒

『千葉県神社名鑑』抜粋

鷲神社 旧村社

祭神
日本武尊(やまとたけるのみこと)瓊々杵尊(ににぎのみこと)蒼稲魂尊(うがのみたまのみこと)大日靈貴命(おおひるめむちみこと)天穂日命(あめのほひのみこと)他四柱

由緒沿革
元禄二年の創立である。昭和三四年二月二七日、鷲巣一四一の第六天神社、鷲巣五二五の天神社、鷲巣五二九の稲荷神社の三社を合祀。

境内由緒書『鷲神社縁起』

鷲神社縁起

この宮は、鷲神社とゆう。またの名を、鷲宮大明神とゆう。昔々より多くの信仰を集めている神社で
御祭神は
天日鷲神 日本武尊 天穂日命 倉稲魂命 大日靈尊
外五柱を奉斎する
御神徳は
開運招福 商売繁盛 五穀豊穣

創建以来、産土の神、鷲宮大明神(鷲妙見大菩薩)は郷土の安穏繁栄にご加護下さいました。
平和で健康な過程を築かれますよう祈願いたします。

写真図鑑

社殿

社殿向拝の彫刻

鳥居

境内の坂と御神木

境内社、摂社、末社

手水舎

境内風景

参拝順路

基本情報

社号鷲神社
ご祭神天日鷲神、日本武尊(やまとたけるのみこと)、瓊々杵尊(ににぎのみこと)、蒼稲魂尊(うがのみたまのみこと)、大日靈貴命(おおひるめむちみこと)、天穂日命(あめのほひのみこと)、他四柱
境内社
住所茂原市鷲巣18
その他■法華宗(本門流)の公式ページ 大本山 鷲山寺
http://www.hokkeshu.or.jp/honzan/jusenji.html
■法華宗 獅子吼会 日蓮大聖人
https://www.shishikukai.or.jp/?page_id=73
■浅草・鷲在山 長國寺/開山・宗派
https://otorisama.jp/kaizan/kaizan01.html
■法華宗(本門流) 大本山 鷲山寺 鷲山寺伝
https://jyusenji.sakura.ne.jp/service.html
■浅草・酉の市 鷲妙見大菩薩 [鷲大明神(おとりさま)]
https://torinoichi.jp/goriyaku/
■一葉桜開運振興会 長國寺
http://ichiyousakurakaiun.com/shoplist/23.html

参考

上記のWeb サイトのほかに、下記を参考にさせていただきました。

  • 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
  • 『宗祖生国の先住者─安房に移住した阿波忌部族の動向について』石川 修道
  • 『日本各地を開拓した阿波忌部の足跡 : 古の『古語拾遺』の記憶. 安房国編』林 博章 編著 2006年

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