南房総市沓見の莫越山神社(なこしやまじんじゃ)
概要
莫越山神社(なこしやまじんじゃ)は、神武天皇元年(紀元前660年)、天富命に随従した天小民命(あめのこたみのみこと)・御道命(おみちのみこと)により創建された、南房総市沓見(くつみ)に鎮座する神社です。
平安時代の『延喜式』神名帳に載っている「安房国六座 朝夷郡四座 莫越山神社」の比定社の一つで、明治期から終戦期まで郷社に列格していました。
祭神として、天小民命・御道命それぞれの祖神である手置帆負命(たおきほおいのみこと)・彦狭知命(ひこさしりのみこと)の二柱およびその他八柱を祀っています。
主祭神二柱は、天照皇大神の天岩戸開きの際に神殿を建築し活躍した工匠を司る神であるため、古くから、東京の大工組合などからの信仰・奉納が厚いそうです。
全国でも4社しかない「清酒」を造ることが許されている神社で、当社で醸造された日本酒は、鶴谷八幡宮で開かれる大祭「やわたんまち」で振舞われるそうです。
通称、小屋安(こややす)様、小屋安の大神、祖神(そじん)様。昔は神梅明神とも呼ばれたそうです。
御神酒醸造の神事
神事としてお酒造りが許されている神社は全国に40社以上あり、そのほとんどが、白く濁った「濁酒」のみの認可。一方、濁りを除いた透明な「清酒」造りが許されているのはわずか4社のみで、その一つがこの莫越山神社というわけです。ちなみに、その他の神社は、伊勢神宮と出雲大社という錚々たる顔ぶれです。
莫越山神社で醸造したお神酒は、館山市内の鶴谷八幡宮で開かれる「安房国司祭 鶴谷八幡宮例大祭(やわたんまち)」の際、同宮に奉納され、氏子、神輿の担ぎ手や来場者らに振る舞われるそうです。
参拝日記
山が面積のほとんどを占める南房総市ですが、市内を南北方向に流れ、東の白子海岸で海へ合流する丸山川の流域には、広大な田んぼが広がっています。この川沿いには二つの「莫越山神社」(なこしやまじんじゃ)が鎮座しており、このページで紹介するのは川下、海岸から2.4kmほどの「沓見」(くつみ)という集落に鎮座する莫越山神社です。
美しい田んぼのなかにぽつんと浮かぶ小さな台地の上に鎮座しています。山の麓に巨大な白い神明鳥居が屹立しており、遠くからでも本社を確認することができました。
本社は、清酒醸造を行っている珍しい神社とのことですが、周囲の広い田園風景を見ていると、1,000年以上前から酒造りを行っているというのも納得がいきます。
一之鳥居の先を進むと、左手直角に二之鳥居が建っています。私が参拝したのは7月中旬だったのですが、ここから先は、終始アマガエル天国。進むたびに、足元で小さい何かが飛び跳ね逃げていきます。これだけ蛙がいると、それを常食とする蛇も多いはずなのですが、南房総はトンビが多いからでしょうか、蛇を見ることはありませんでした。
丁度良い歩幅の石段を登った正面に、共に神明造の拝殿・本殿が建っています。奥に行くにつれ高くなり、拝殿は一段、本殿はさらに一段高い場所に建っています。境内は非常にきれいに掃除され、大変居心地の良い神社です。
創建・由緒
神武天皇元年(紀元前660年)、天富命に随従した天小民命(あめのこたみのみこと)・御道命(おみちのみこと)により創建されました。
祭神は、天小民命・御道命それぞれの祖である手置帆負命(たおきほおいのみこと)・彦狭知命(ひこさしりのみこと)。そのほか、彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、他五柱を祀っています。
手置帆負命・彦狭知命は、天日鷲命同様、天太玉命が率いた神で、二柱ともに神殿建築や道具制作などの工匠を司り、天照皇大神の岩戸開きの際にも活躍しました。
境内社の若宮神社では、当社を創建した小民命と御道命、および、相殿に10柱を合祀しています。
平安時代の『延喜式』神名帳に記載の「安房国六座 朝夷郡二座 莫越山神社」の比定社の一つで、明治期から終戦期まで郷社に列格していました。
往古は山幸彦を祀る神梅神社だった
一方、『安房志』(1908年)には、往古の異なった姿が書かれていて興味深いです。
当社は元来、彦火火出見命(山幸彦)・豊玉比咩命・鸕鶿草葺不合尊の親子三人神を祀る「神梅神社」(かんうめじんじゃ)または「神梅明神」(かんうめみょうじん)(または子安社)という神社だったそうです(彦火火出見命が神梅大明神と呼ばれました)。
現在の主祭神である手置帆負命と彦狭知命は、別宮の「小屋安大明神」に祀られていたというのです。
また、同書の当社の項の題名が「神梅神社」であり、1908年時点において「莫越山神社」の名前が浸透しきっていなかったことが伺えます。
通称 小屋安様、祖神様
旧郷社
祭神
手置帆負命(たおきほおいのみこと)、彦狭知(ひこさしりのみこと)、彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、他五柱
由緒沿革
神武天皇元年、天富命が斎部の諸氏を率いて東土開拓に来臨された時、天小民命、御道命も随従し工匠の職に奉仕、その祖手置帆負命、彦狭知命を当社に祀る。当社は「延喜式神明帳」所載の安房国六座の一である。手置帆負命、彦狭知命は皇国工匠の祖神であり、その職に奉仕する者の崇敬を集めている。延喜の制には式内小社に列せられ、大化の制には国司の祭祀にあずかる。治承年間には源頼朝の祈願の事あり神田二〇町を寄進、また里見氏、徳川氏より三石の寄進を受ける。
神事と芸能
神酒醸造許可(年間一石を限度とする)。粥占神事(三月一日)。猿田彦の舞(七月九日・一一月三二日)。国司祭に神輿出祭(九月一四・一五日、館山市八幡・八幡宮)。
神梅神社
豊田村沓見の南方丘上に鏡座す 古は神梅明神と称す 今莫越山神社と云 境内九百坪 祭神は 彦火火出見命を 神梅大明神と称し 豊玉比咩命を 子安大明神と称し 鸕鶿草葺不合尊を 問子大明神と称せり 今之を合祀す 別宮一座 小屋安大明神と号す 忌部の神 手置帆負命 彦狭知命を祭る
(中略)
明治十九年十一月 土木の功竣り 更に遷宮せしものにして 本殿 幣殿 拝殿 新撰所 社務所等 相連なり 別に若宮社を拝殿の北位に設け 小民命及び御道命を祀る 又相殿に宗像 八雲 稲荷 山祇 白山 白鳥等の諸社を祭る 金比羅社其の東位に在り 大物主命及び崇徳天皇も祀れり 此社古昔は数郷村の鎮守なりしも 遂に沓見村一社の鎮祭するところとなり
(後略)
延喜式内小社、明治六年八月郷社に列格(旧社格)
祭神本殿
手置帆負命 彦狭知命
小屋安の大神と称す 工匠祖神、家宅守護の神
相殿
彦火々出見尊 敷物の祖神
豊玉姬命 安産育児の神
鸕鶿草葺不合尊 海猟海上安全の神
例祭日七月九日 由緒沿革
創立は神武天皇元年。天富命忌部の諸氏を率いて東方の開拓に安房の国に来臨し、東方の開拓をなされた時、随神として来られ工匠の職に奉仕した、天小民命、御道命が、忌部の神 手置帆負命 彦狭知命を当社莫越山におまつりして祖先崇敬の範を示された。手置帆負命彦狭知命は工匠の祖神で氏上天太玉命に従って宮殿家屋機械器具の類をつくりはじめた神で、工匠の祖神であり家の守護神でもあります。参拝する事により工匠にかかわる人は勿論家屋に住む者すべて御神徳が授けられます。
相殿に彦火々出見尊・豊玉姫命・鸕鶿草葺不合尊がまつられておりますが、日本敷物の祖神、安産育児の神、海猟海上安全の御神徳が授けられます。
南房総市見に鎮座する茣越山神社は、『延喜式」にみられる安房国六座の一社といわれる神社である。社伝によれば、神武天皇の時代に、・阿波から天富命と共にこの地へ開拓に来た、部氏が創建したとされる。
主祭神の手置帆負命と彦狭知命は、工匠の祖神とされ、近世以降は、安房地域だけではなく江戸の建築関係者たちからも仰を集めた。
また当社は、館山市の鶴谷心宮で毎年九月に開催される、地域最大の祭礼である安房国司祭(県指定無形民俗文化財「安房やわたんまち」)に出祭する神社の一つである。祭礼初日の朝に当社を出発した神興は、鶴谷八幡宮で一晩を過ごし、二日日の深夜に還御する慣わしとなっている。
南房総市指定無形民俗文化財神酒造り神事
平成十三年八月一日指定
神酒造り神事とは、神に供える清酒(神酒)を醸造する神事である。かつて当社では、年数回の醸造が行われていたというが、現在は安房国司祭に合わせて、年一回のみ行われる。
清酒の仕込みは、宮司や神社役員の手で八月上旬から始められ、約一ヵ月をかけて醸造される。醸造した清酒は、国司祭の初日に鶴谷八幡宮に奉納されるほか、同祭に参加する当社の神興の担ぎ手などに振舞われる。
清酒醸造の免許を所持している神社は全国的に珍しく、当社以外で所持しているのは、三重県の神宮(伊勢神宮)、島根県の出雲大社、山口県の岡崎心幡宮の三社のみである。
南房総市指定無形民俗文化財 奏楽・猿田彦の舞
平成十三年八月一日指定
奏楽・猿田彦の舞は、七月の例祭と十一月の新嘗祭で奉納される芸能で、始まりは江戸時代中期まで遡るとみられている。奏楽は、二人・一人・太鼓一人の計四人で構成され、原則として、氏子等が伝承している。
猿田彦の舞は、天狗の面をつけて猿田彦命に扮した演者が、奏楽に合わせて舞い、五穀豊穣・天下泰平・国家安穏を祈るものである。猿田彦の所作は、田起こしから収穫までの農耕作業を表現しているといわれ、こちらも氏子が伝承している。
南房総市指定天然記念物 莫越山神社の椎
平成十三年八月一日指定
社殿手前にある椎(スダジイ)は、高が十三・七m、胸高直径が一•五cmに及ぶ大木であり、この地域に生育する椎としては、かなり大きい部類に入るとされる。当社の御神木とされており、齢は二百年以上と推定されている。
南房総市教育委員会
写真図鑑
社殿
『安房志』によると、1886年(明治十九年)に祠廟が竣工され、本殿・幣殿・拝殿・新撰所・社務所等が「相連(あいつら)なり」となるよう建てられたそうです。現在は、社殿と社務所が繋がっています。
社殿は左側で神餅所と繋がってる
奥に、玉垣で囲われた本殿が見える。
鳥居
一之鳥居
左右に石碑が建っています。
二之鳥居
奥の車止めに、複数のアマガエルが張り付いていました。
三之鳥居
左の巨木は、天然記念物のスダジイ
摂社、末社
若宮神社
明治16年(1883)造立、祭神として、莫越山神社を創建した小民命と御道命、および、相殿に10柱を合祀しています。
本殿
小民命 御道命 当莫越山神社を杞った神 工匠の神 家宅守護の神
相殿
稻荷神社 宇迦御魂命 食物の神・産業の神
白鳥神社 日本武尊 平和の神 大物主命 疫神医薬の神
琴比羅神社 崇徳天大 皇海上安全の神
八雲神社 速須佐之男命 山林浴水の神
山祇神社 大山祇神 山の神
宗像神社 市杵島姫命 祭祀の神
猿田神社 猿田彦命 先導の神・ボールの神
石神社 玉依姫命 神霊祭紀の神
白山神社 伊弉那美尊 創造の神・婚礼の神
手水舎
ご神木
南房総市指定文化財 記天「莫越山神社の椎」(スダジイ、子育てのシイ)
社務所・神輿庫
常夜灯基台
以前は基台の上に灯明台があり、夕方になると神主さんが灯を入れていたそうです。
現在は電灯が設置されています。
その他
境内風景
参拝順路
すぐに左前方に現れる丘が目的地です。
左右に、古い鳥居の跡と石碑が置かれています
女坂からの参拝
詳細情報
社号 | 莫越山神社 |
ご祭神 | 手置帆負命(たおきほおいのみこと)、彦狭知命(ひこさしりのみこと)、彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、他五柱 |
境内社 | 若宮神社 |
住所 | 南房総市沓見253 |
その他 | ■館山市立博物館 沓見莫越山神社<丸山> http://history.hanaumikaidou.com/archives/6320 |
参考
上記のWeb サイトのほかに、下記を参考にさせていただきました。
- 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987
- 『房総の杜』千葉県神社庁房総の杜編纂委員会 著 2005年
- 『古語拾遺』斎部広成 編 807年
- 『大麻と古代日本の神々』山口博 著 2014年