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莫越山神社│南房総市宮下

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南房総市宮下の莫越山神社(なこしやまじんじゃ)

莫越山神社(なこしやまじんじゃ)は、神武天皇元年の創建、大工・工匠の神様を祀る、南房総市宮下(旧 丸村大字宮下小字石神畑)に鎮座する神社です。

房総に上陸した忌部氏のうち、工匠職に奉仕する「天小民命(あめのこたみのみこと)」「御道命(おみちのみこと)」の一派が当地に定住、奥山と平地の境界に位置する「莫越山」に、彼等の祖神「手置帆負命(たおきほおいのみこと)」「彦狭知命(ひこさしりのみこと)」を祀りました。

『延喜式』神名帳に記載のある「安房国六座 朝夷郡四座 莫越山神社」の比定社の一つで、明治期から終戦期まで郷社に列格していました。

千葉県では珍しい、神奈備山(神霊の宿る山)を崇拝する神社です。

祭神

大工・工匠の祖神二柱と、その孫裔二柱が祀られています。

主祭神

手置帆負命・彦狭知命の御神像
(森谷ひろみ氏の論文より)
  • 手置帆負命(たおきほおいのみこと):讃岐忌部氏の祖神。
  • 彦狭知命(ひこさしりのみこと):紀伊忌部氏の祖神。

二柱は、天照大神の天岩戸開きの際、瑞殿(みづのみあらか。宮殿のこと)を造営し、笠・矛・盾を作った神々です。

相殿神

  • 天小民命(あめのこたみのみこと):「手置帆負命」の孫またはひ孫(四世の孫)。「天道根命」の弟にあたり、岩波氏の遠祖と言われる。
  • 御道命(おみちのみこと、みじのみこと):主祭神の孫裔か?
  • 大稲興別命

「天小民命」「御道命」は、「天富命」に従い東国を開拓、当社を創建しました。

鎌倉時代初期、「源頼朝」を案内した「丸五郎信俊」が、社殿を修造した際、この二柱を相殿神に祀りました。

御神体

当社の御神体は、神社の後方230mほど、少し左にそびえる「渡度山(とどやま、止々山)」、別名「莫越山(なこしやま)」です。

奥宮「渡度神社(とどじんじゃ)」

「莫越山」の頂上には、「莫越山神社」の奥宮(奥の院)「渡度神社(とどじんじゃ)」が鎮座しています。祭神は、「莫越山神社」の主祭神の二柱です。

  • 手置帆負命(たおきほおいのみこと)
  • 彦狭知命(ひこさしりのみこと)

現在は「莫越山神社」の境内社となっていますが(『千葉県神社名鑑』)、『千葉県誌 : 稿本 巻上』(1919年)に「下立松原神社·莫越山神社·渡度神社·熊野神社…」と記され、近代まで独立した社として扱われていたことが伺えます。

山の麓に先祖代々住んでいるという方曰く、「奥宮は年に一度、集落の皆で掃除をする。それ以外に行くことはない。道中は草ぼうぼうだから、登るのはお勧めしない」とのことです(当サイト筆者は参拝を断念しました)。

「渡度山」信仰が「莫越山神社」の起源か?

「莫越山神社」は、「渡度山」の遥拝所がその起源とされます。以下に時系列で整理していきます。

  • 往古、当地には「渡度山」信仰があり、山の麓にはその遥拝所があった。
  • いつの頃からか、山頂に「渡度山神社」が、遥拝所に「莫越山神社」が創建された。
  • 天正七年(1579年)の棟札に、「莫越山両社」の文字が見える。
  • 大正八年(1919年)では、両社を独立した社として記載している。
  • 現在、「渡度山神社」は、「莫越山神社」の奥宮(奥ノ院)と呼ばれ、境内社として登録されている。

うなぎのあたま

昭和7、8年まで、当地には「うなぎのあたま」と呼ばれる頭部の欠損した60cm、径17×18cmばかりの石棒が地面に突き刺さっていたそうです。これを石神とし、当地は「石神畑」と呼ばれたのでしょうか?

これに関し、千葉大学の森谷氏は、厳密には、石そのものに神霊が宿る「石神」ではなく、神霊を召降する「磐座」では? と推察されています。

「莫越山神社」の名前の考察

特段目立った山ではない

「〇〇山神社」のように山の名を冠した神社は、「神体山を崇める山岳信仰」と関連付けたくなります。しかし、実際に参拝してみて、当社はそういった神体山崇拝とは異なる印象を受けました。

というのは、「莫越山」は、神体山として崇めたくなるほど「特段に目立つ山ではない」のです。

下記は「莫越山」周辺の風景ですが、どれが「莫越山」か分かるでしょうか? 実は筆者も、参拝後わずか一週間たらずで、どれが「莫越山」かわからなくなってしまいました…。

そもそも「莫越山」の名前の由来は?

ここで、周辺地形をGoogle map の衛星写真からチェックしてみましょう。1枚目が「莫越山」近隣、2枚目はさらに上空から見たものです。赤い大きなバルーンが莫越山(渡度山神社とある)で、その奥の山から丸山川が南を目指し流れています。川沿いには田んぼが広がっています。

山のすぐ北東の小さな沖積平野がまだ形成されていなかった時代、丸山川に面する肥沃な平地の北のどん詰まり、つまり、平野と山の「地理的遷移点」が莫越山だったように思われます。

この地を最初に開拓した古代の人は、「人間界はここまで」「この山から先は定住するには厳しいぞ」という思い込めて、

な越しそ = 越してはならない
莫越 = 越す莫(なか)れ = 越してはならない

という意味で、「莫越山」と名付けたのではないでしょうか。

「渡度山」(莫越山)崇拝? 工匠神崇拝?

当社は、神体山信仰でありながら、忌部工匠神を祀るという、二つの側面を持っています。

当サイト筆者は、現地民が縄文時代から祀る「渡度山」に、移住してきた忌部氏が祖神を重ね祀った、とするのが自然ではないかと考えています。

忌部工匠隊が、三官林と呼ばれるほどの良い木が採れる当地を選ぶのは当然で、地元住民の「渡度山」信仰に、自らの祖神信仰を重ねさせてもらったのでしょう。

原住民と忌部氏、どちらが「渡度山」を「禁足地の開始点」と捉えはじめたのはわかりません。

両者が共存した証となるのか、千葉大学の神尾教授・森谷助教授らによる昭和43年・45年の調査で、莫越山の南側に三か所の古代祭祀遺跡を発見し、勾玉・丸玉などを発掘しています。

参拝日記

莫越山を望む田んぼの中に、島のようにぽつんと浮かんで見えるのが、当社鎮守の杜です。

大きい神社ではありませんが、地元の方に綺麗に維持されています。周囲の風景と相まって、明るく清々しい晴れやかな神社です。

写真図鑑

社殿遠景

拝殿

本殿

鳥居

一之鳥居

二之鳥居

摂社、末社

宮下地区の惣社として、往古は21社もの摂社・末社を有していたとされます(森谷 1971年)。

『千葉県神社名鑑』には、八幡神社・渡度神社・八雲神社・浅間神社・山神社・天神社の境内社の名が見えます。

八幡神社

小祠、石碑等

手水舎、社務所

狛犬

1827年、江戸橘町の石工 伊賀屋定吉と地元宮下の渡辺久左衛門の倅(せがれ)により奉納されたそうです。腕が太く全体的にがっしりしています。

南房総市指定文化財 有建「莫越山神社永夜灯」

1845年、忍(おし)藩主 松平下総守(元 宮下村領主)奉納の石灯籠です。

市指定文化財の見事なもので、上から順に、麒麟、鳳凰、龍、唐獅子が彫ってあります。

常夜灯

1921年奉納の石灯篭。

ご神木

境内看板

参拝順路

詳細情報

社号莫越山神社
ご祭神手置帆負命(たおきほおいのみこと)、彦狭知命(ひこさしりのみこと)
境内社八幡神社、渡度神社、八雲神社、浅間神社、山神社、天神社
住所南房総市宮下27
その他

参考

下記を参考にさせていただきました。

抜粋

『千葉県神社名鑑』抜粋

祭神

手置帆負命(たおきほおいのみこと)、彦狭知命(ひこさしりのみこと)

境内神社

八幡神社・渡度神社・八雲神社・浅間神社・山神社・天神社

由緒沿革

「莫越山神社記」「莫越山神社往昔記」並びに古文書等によれば、神武天皇辛酉元年の創立。延喜式内安房六座中の一と称せられ、古来より領主等の崇敬篤く、天正一九年七月二六日、領主里見義康より丸本郷その他に二貫文の地を賜わり、慶長一八年には里見忠義が社殿を再興、また元和四年の水帳には神田若千を載せる。特に工匠の祖神として一般庶民の尊信を受ける。明治五年村社に列し、大正二年四月八日神饂幣吊料供進神社、同三年六月三〇日会計規定を適用すべき神社に指定され、昭和一九年六月一五日郷社に列す。昭和初期、宮下地内から六、七世紀ごろの屋根瓦などが出土し、往時の史実を偲ばせる。

神事と芸能

二月の節分に、神前境内(往古馬場といわれる)で大藁火焚を行ない、竹のはねる音につれ一同ヤンヤと声を発し、その年の無病息災を祈る。

『房総昔話散歩』抜粋

P137
火祭り

十二月三十一日に付近の老婆が莫越山神社境内に集り、大きなかがり火を囲み、万葉集の「わがせこをなこせの山の呼子鳥、君呼びかえせ夜のふけぬとに」を初日の昇るまで歌ったという。なこせのこせは奈良県の古瀬のことで、安房の莫越の称の由来ともいうが、房総開拓に尽した忌部一族の許世氏の関係も考えられる。だが古い習俗では十二月と六月は対応しているから六月の名越(ナゴシ・夏越)の大祓にかかわるかも知れぬ。ともあれ大みそかに身を清め、神の天降る目標としての火をたき、寝ずに年神迎えするのは古風である。(丸山町)

『大場磐雄著作集 第8巻』抜粋

P339 
(前略)
神社へ参拝、先ず岩波氏の案内にて莫越山に登る。同山は渡度山と称し余のいう神奈備式に属せり。先ず鳥居松の辺りより登る。男坂とて急坂なり。麓に筒井と称する地あり。古井跡あり。もと神水を汲めりという。又行の井とも称せりという。少し上れる所に石の小祠あり「イマシャウゴンアヤノジョウ社」という。何を奉祠せるか不明。径はいと急にして滑りつつ辛うじて昇るに、間もなく頂上に出ず、莫越山神社の奥社にして旧渡度神社なり。その規模下社と同じく彩色なけれど流造の彫刻巧みなるものなり。南面せり。この本殿下に岩組ありという。裏へ廻るに椎の巨木二本ありて、何となく奥床しき心地し、この樹こそ意味あるらしく思わる。それより裏道を下り途中本社の末社八雲神社へゆく。(後略)

『千葉県誌 : 稿本 巻上』抜粋

P500
(前略)
莫越山神社
同郡[同上]丸村大字宮下宇字石神畑に在り、境内三百二十三坪、創建詳ならず、手置帆負命を祀り彦佐知命を合祀す、社格村社なり。(後略)
渡度神社
同村大字宮下字筒井の山頂に在り、境内四百二十坪、創建年月詳ならず、手置帆負命・彦佐知命を祀る、里人伝へ云ふ、本村莫越山神社は此の社の遥拝所所なりと。村名を宮下と稱するを見ても往古の名社たりしを知るべし。(後略)

Webサイト

書籍

  • 『安房国式内社に関する歴史地理学的研究ー第二報朝夷郡莫越山神社についてー』森谷 ひろみ 1971年
  • 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987
  • 『房総の杜』千葉県神社庁房総の杜編纂委員会 著 2005年
  • 『古語拾遺』斎部広成 編 807年
  • 『大麻と古代日本の神々』山口博 著 2014年
  • 『日本各地を開拓した阿波忌部の足跡 : 古の『古語拾遺』の記憶. 安房国編』林 博章 編著 2006年
  • 『房総昔話散歩』高橋 在久, 平野 馨 著 1973年
  • 『千葉県誌 : 稿本 巻上』千葉県 編 大正8(1919年)
  • 『丸山町史 史料集』丸山町史編集委員会 編 1986年
  • 『大場磐雄著作集 第8巻 (記録考古学史楽石雑筆 下-昭和12年より昭和20年まで)』雄山閣出版 1977年

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