森谷ひろみ(もりやひろみ)氏について
森谷ひろみ先生は、36才の若さで亡くなった「歴史地理学的研究」の研究者で、比定社の多い安房国式内社に関し、既存の考古学・文献学的手法に地理学(地形的位置、変化)の概念を取り入れる独創的な手法で論定を行われました。
千葉大学教養部助教授、国学院大学文学部非常勤講師、千葉大学理学部文部技官
略歴
1938年 千葉市若葉区多部田(たべた)町に生まれる。
1957年 千葉大学教育学部第二教育科社会科専攻に入学、同文理学部地学科に転部、1962年 同学科卒業。
1964年 国学院大学大学院文学研究科日本史学専攻修了、1968年 同博士課程単位取得。
1971年 千葉大学理学部文部技官、1972年国学院大学文学部非常勤講師、1974年千葉大学教養部助教授。
1975年7月7日 多部田町の自宅で急逝、36才。
業績
論文・報告書タイトル | 掲載誌 | 著者 | 備考 | |
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1 | 海成段丘の発達と遺跡立地との関係について ー第一報安房郡保田・勝山・岩 井・南無谷・富浦の場合ー | 千葉大学文理学部紀要 第3巻第3号(1961年12月)343ー346ページ | 神尾明正・森谷ひろみ | |
2 | 海成段丘の発達と遺跡立地との関係について ー第二報安房郡館山の場合ー | 千葉大学文理学部紀要 第3巻第4号(1962年9月)603ー611ページ | 神尾明正・森谷ひろみ | |
3 | 安房郡の砂丘列と遺跡立地との関係について | 千葉県史料原始古代編安房国第I部安房郡の全自然史的環境(1963年3月)79ー86ページ | 森谷ひろみ | |
4 | 千葉県安房郡の各海岸平野における砂丘列と遺跡立地との関係について | 地理学評論第36 巻第6号1963年日本地理学会春季大会研究発表要旨(1963年6月)28ページ | 森谷ひろみ | |
5 | 祭祀対象不明の祭祀遺跡の沖積地質について館山市東長田及び大戸等の場合ー | 1964年日本地理学会総会春季大会プログラム研究発表要旨(1964年4月)7ページ | 森谷ひろみ | |
6 | 海成段丘の発達と遺跡立地との関係についてー第三報犬石・長尾・千倉・鴨川の場合および結論 | 千葉大学文理学部紀要第4巻第2号(1964年11月)97ー108ページ | 神尾明正・森谷ひろみ | |
7 | 浮島宮ノ脇貝塚一九六三年トレンチ発掘略報 | 千葉大学文理学部銚子臨海研究所研究報告第6号(1964年)75ー84ページ | 神尾明正・森谷ひろみ | |
8 | 千葉市㸿橋貝塚 | 千葉県遺跡調査報告書(1965年3月)1ー6ページ | 神尾明正・森谷ひろみ | |
9 | 台地上の沖積層について ー菊間台地・市原台地の場合ー | 千葉大学文理学部 紀要第4巻第3号(1965年11月)371ー377ページ | 神尾明正・森谷ひろみ | |
10 | 石製模造品の岩種について | 千葉大学文理学部紀要第4巻第3号(1965年11月)37 9ー383ページ・IーIII図 | 森谷ひろみ | |
11 | 浮島宮ノ脇祭祀遺物包含地一九六四年トレンチ発掘略報 | 千葉大学文理学部銚子臨海研究所研究報告第7号(1965年)33ー44ページ | 神尾明正・森谷ひろみ | |
12 | 習志野市藤崎貝塚 | 千葉県遺跡調査報告書(一九六六年三月)ーー七ページ | 神尾明正・森谷ひろみ | |
13 | 南関東諸台地上の沖積層について | 地理学評論第39巻第6号1966年日本 地理学会春季大会研究発表要旨(1966年6月)26ー27ページ | 神尾明正・森谷ひろみ | |
14 | 浮島后九郎辺(うしろくろべ)貝塚一九六五年トレンチ発掘略報 | 千葉大学文理学部銚子臨海研究所研究報告第8号(1966年8月)32ー36ページ | 神尾明正・森谷ひろみ | |
15 | 下総型板碑の岩種についての予察 | 千葉大学文理学部銚子臨海研究所研究報告第8号 (1966年8月)20ー31ページ | 森谷ひろみ | |
17 | 祭祀対象不明の祭祀遺跡とその沖積地質について館山市東長田および大戸館ノ前の場合 | 千葉大学文理学部紀要第4巻第4号(1966年11月)655ー662ページ | 森谷ひろみ | |
18 | 南関東を中心とした沖積地質学的仮編年表について | 地質学雑誌第73巻第2号 (昭和42年2月)120ページ | 神尾明正・森谷ひろみ | |
19 | 南関東を中心とした沖積地質学的仮編年表 | 千葉大学文理学部紀要第5巻第1号 (1967年11月)179ー182ページ | 神尾明正・森谷ひろみ | |
20 | 伊豆下河津姫宮祭祀遺跡の沖積地質学的再検討 | 千葉大学文理学部紀要第5巻第1号(19 67年11月)183ー194ページ | 森谷ひろみ | |
21 | 祭祀対象不明の祭祀遺跡について 昭和42年度国史学会大会研究発表会発表要旨 | 国史学 第76号(昭和43年3月)103ー104ページ | 森谷ひろみ | |
22 | 千葉ニュータウン遺跡分布調査報告(昭和四三年三月)九ページ写真一ー八・図一ー四 | 森谷ひろみ・他 | ||
23 | 千葉県君津郡平川町岩井北宮ノ台祭祀遺跡一九六八年トレンチ発掘略報 | 千葉大学文理学部紀 要第5巻第2号(1968年11月)319ー333ページ | 森谷ひろみ | |
24 | 黒土0についての予察 | 千葉大学教養部研究報告Bー2(1969年11月) 49ー53ページ | 神尾明正・森谷ひろみ | |
25 | 岩井貝塚発掘調査報告(一九七〇年三月)一二ページ・折込大図表五枚 | 森谷ひろみ・他 | ||
26 | 縄文式時代終末についての先史地理ー千葉県東葛飾郡沼南町岩井貝塚の場合 | 地理学評論 第44巻第6号(1971年6月)397ページ(1971年度日本地理学会春季学術大会研究発表要旨) | 神尾明正・森谷ひろみ | |
27 | 安房国式内社に関する歴史地理学的研究ー第一報朝夷郡天神社の元社地についてー | 国学院雑誌 第72巻第6号(昭和46年6月)41ー53ページ | 森谷ひろみ | ★ |
28 | 千葉県館山市沼つとるば祭祀遺跡の発掘結果からみた遺跡付近の小地誌 | 千葉大学教養部研究 報告 B14(1971年11月)87ー100ページ・写真10 | 森谷ひろみ | |
29 | 安房国式内社に関する歴史地理学的研究ー第二報朝夷郡越山神社についてー | 国史学 第86号(昭和46年12月)43ー63ページ | 森谷ひろみ | ★ |
30 | 安房国式内社に関する歴史地理学的研究ー第三報朝夷郡下立松原神社についてー | 千葉大学教養部研究報告414 (1971年12月)55ー94ページ | 森谷ひろみ | ★ |
31 | 下総・上総諸台地上沖積層最上部の沖積地質について | 日本地質学会第79年学術大会講演要旨(昭和47年4月)207ページ | 神尾明正・森谷ひろみ | |
32 | 安房国式内社に関する歴史地理学的研究ー第四報朝夷郡高家神社についてー | 国史学 第88号(昭和47年9月)56ー69ページ | 森谷ひろみ | ★ |
33 | 沖積地質学的編年の修正 | 千葉大学教養部研究報告B15(1972年11月) 25ー27ページ | 神尾明正・森谷ひろみ | |
34 | 千葉県安房郡丸山町宮下東畑祭祀遺跡の発掘結果からみた遺跡付近の小地誌 | 千葉大学教養部研究報告B15(1972年11月)31ー46ページ | 神尾明正・森谷ひろみ | |
35 | 安房国式内社に関する歴史地理学的研究ー第五報后神天比理乃畔命神社についてー | 千葉大学教養部研究報告A15(1972年12月)61ー127ページ | 森谷ひろみ | ★ |
36 | 古代祭祀遺跡の歴史地理学的研究神道考 | 古学講座第6巻 関係特論(昭和48年6月) 119ー147ページ | 森谷ひろみ | |
37 | 安房国式内社に関する歴史地理学的研究ー第六報安房郡安房坐神社についてー | 千葉大学教養部研究報告A18(1975年11月)1184ページ | 森谷ひろみ | ★ |
38 | 安房国式内社に関する歴史地理学的研究ー第七報安房国式内社六座のまとめー | 千葉大学教養部研究報告418(1975年11月)85ー107ページ | 森谷ひろみ | ★ |
39 | 千葉市大草町南光寺土師小貝塚ー一九七二年トレンチ発掘略報ー | 千葉大学 教養部研究報告 A18(1975年11月)115ー119ページ | 神尾明正・森谷ひろみ | |
40 | 木更津平野の砂丘列と遺跡について | 千葉大学教養部研究報告BI8(1975 年11月)169ー170ページ・砂丘列分布図 | 神尾明正・森谷ひろみ | |
41 | 三宅島式内社に関する歴史地理学的研究-2-「三宅記」に載る「八王子」の神社について | 千葉大学教養部研究報告 A / 千葉大学教養部 編 (通号 7) 1974.12 | 森谷ひろみ | ★ |
42 | 三宅島式内社に関する歴史地理学的研究-1-序論 | (神道教学論攷–小野祖教博士古稀記念号) — (神道と祭祀の篇). 神道宗教. 神道宗教学会. (1975) p.p319-334. | 森谷ひろみ | ★ |
43 | 式内社の歴史地理学的研究 : 安房国・伊豆国三宅島の場合 | 出版:森谷恵 1977年4月 | 森谷ひろみ |
★の論文は43に掲載
43 『式内社の歴史地理学的研究』は、先生が「生前出版を強く念願し、楽しみにしていた」という論文集で、ご尊父 森谷恵 氏が発行されました。多くの論文のなかから、安房国と三宅島の式内社に関するものが選抜されています。序文は岩本徳一 氏(國學院大學)、近藤精造 氏(千葉大学)、あとがきは森谷恵 氏、題字は妹の紀子 氏。
非売品ですが、千葉大学附属図書館と千葉県立中央図書館に蔵書があり、前者は貸出可、後者は不可です。筆者はネットで、良いお値段で購入しました。
筆者の個人的なこと
筆者が森谷先生のお名前を知ったきっかけは、館山市教育委員会の方にご紹介いただいた安房国の神社に関する文献の中に、先生のお名前があったからです。
先生とまったく共通点のないと思われた筆者ですが、大学の大先輩が「森谷先生とふつうに挨拶を交わしていた」そうで、偶然にも「知り合いの知り合い」にあたることが判明しました。また、筆者はどうやら先生のおられた校舎で授業を受けいたようです。
本ページは、森谷先生のまとまった情報をWeb上に発見することができなかったため、自分、後進の学生、神社好き諸兄のためにまとめさせていただきました。