大鷲神社│印旛郡栄町安食

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印旛郡栄町安食の大鷲神社の概要

大鷲神社は、天乃日鷲命(あめのひわしのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)を祭神とする、印旛郡栄町安食に鎮座する神社です。

創建年不詳なるも豊臣/徳川時代には存在、文化・文政(1804~1831年)の年代には鷲賀岡神社と呼ばれていたそうです。

往時は、台東区の鷲神社と「同体」であったようです。正徳寺の管理下にありましたが、神仏分離令により独立した神社となりました。

印旛沼北側、南側には、天乃日鷲命を祭神とする神社が複数密集しています。往古、安房より上陸した命の一族がこの地を開拓したのでしょうか?

当社の逸話

  • 日本武尊(やまとたけるのみこと)が当社を御野立所(おのだてしょ。野外で貴人が休憩する場所)としたそうです。
    現在、当社北の入り口は「草薙参道」と呼ばれていますが、この逸話と関係しているのでしょうか?
  • 春日局(竹千代のちの3代将軍 家光の乳母)が当社に祈願、大願叶い家光が将軍になったため、将軍の御座船 (ござぶね)の船飾り「金の大鷲」を当社に奉納したそうです。

入母屋造りの本殿と彫刻、魂生大明神(魂生神)など見所多し

珍しい入母屋造りの重厚な本殿、県内数例しかない竜の丸彫りの海老虹梁、日本一の大きさの男根神など、見所が多数あります。

関連コンテンツ

境内社 魂生大明神、天日鷲命を祭神とする房総の社、生殖器信仰を行う社については下記をご覧ください。

創建・由緒

創建年代および由緒不詳、天乃日鷲命(あめのひわしのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)を祭神とする神社です。

豊臣、徳川時代に至るまで天下泰平・国土鎮護の神として尊敬され、殊に春日局(竹千代のちの3代将軍 家光の乳母)の崇敬が深かったそうです。

元来、東京下谷区龍泉寺町に鎮する鷲神社と同体で、正徳寺の管理下にあったようです。同社は、現在の太東区の鷲神社の事でしょうか。神仏分離令ののちに、独立した神社となりました。

西の鳥居左手の神社由緒書由緒書 抜粋

大鷲稗社

主祭神 天乃日鷲尊
合祭神 大己貴命 少名彦命

当神社の鎮座地である安食は、もとは下総国埴生郡安食村と呼ばれ、古言によると下総国の「総」は布(麻)のことを表し、麻の縁の地であったと思われます。

主祭神の天乃日鷲尊は、その子孫代々麻植の神として神功があり、麻に係わりのある当地においても祭神になつております。

文化文政の年代には鷲宮(鷲賀岡神社)と称していましたが、明治二六年頃より大鷲神社と言うようになりました。

また、江戸時代に春日局の崇敬が非常に厚く、竹千代君が三代将目となったとき、そのことを祝い、将軍の船の舳先に魔除けとして飾ってあつた金の大鷲を将軍より願い受けて奉納したといわれ、現在、宝物として保た世開運の神として知られています。

『千葉県神社名鑑』抜粋

大鷲稗社

祭神
天乃日鷲命(あめのひわしのみこと)大己貴命(おおなむちのみこと)少彦名命(すくなひこなのみこと)

由緒沿革
創建年代など詳らかでないが、豊臣、徳川時代に至るまで天下泰平・国土鎮護の神として尊敬され、殊に春日局の崇敬が深かったという。

『千葉県印旛郡誌 後編』抜粋

第ニ十七 安食町誌

無格社鷲賀岡神社

安食村字谷前にあり天日鷲命を祭る由緒不詳(中略)

利根川図誌云
安食村印旛江へ指出たる山の頂にあり別当正徳寺(中略)

新撰佐倉風土記云
鷲神社は同所[安食]印旛沼の下流に突起せる岡上に在り元来東京下谷区龍泉寺町に鎮する鷲神社と同体にして初め正■寺の保管せし所なりしが神仏混淆の令下るに及び分離して純粋なる神社となれり(後略)

※新撰佐倉風土記云の「■」は判別不能だが、利根川図誌云の記載に「正徳寺」とあるので「徳」の字か?

写真図鑑

社殿

拝殿

本殿:栄町指定文化財(有形文化財建造物)

神社の本殿は流造(ながれづくり)が一般的ですが、当社は本殿建築では珍しい入母屋造(いりもやづくり)をしています。

巨大な屋根と美しい彫刻が目を惹く重厚な建築物で、栄町HPによると、建立は1831年(天保2年)、竜の丸彫りの海老虹梁は千葉県内でも数例(他に安食の駒形神社も)とのことです。

鳥居

常夜灯

摂社、末社

魂生大明神(こんせいだいみょうじん)

日本武尊お手植えの松、御嶽神社、石上神社

麗峰神社

鷲乃社 稲荷神社

ご神木

縁むすび合体椎の木

看板の説明書

縁むすび合体椎の木

神代の昔、イザナギの神とイザナミの神たらざる所とあまりたる所を重ね合せて八百万の神々を生みたもうた。
そのお姿をこの椎の神木になぞらえて、御縁むすびの椎という。

子授け乃大樹

看板の説明書

子授け乃大樹

正面の魂生名神が鎮座されてから徐々に出現した自然の神霊の御陰(みほと)です。魂生名神と共々御参拝ください。

小祠、石碑等

手水舎、休憩所

その他

境内風景

参拝順路

西側、正面(男坂)からの参拝

西側、女坂からの参拝

北側、草薙参道からの参拝

基本情報

参考

上記のWeb サイトのほかに、下記を参考にさせていただきました。

  • 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
  • 『千葉県印旛郡誌』印旛郡 編 1913年
  • 『日本各地を開拓した阿波忌部の足跡 : 古の『古語拾遺』の記憶. 安房国編』林 博章 編著 2006年
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