印旛郡栄町矢口(やこう)の矢口一之宮神社の概要


矢口一之宮神社は、創建年不詳、印旛郡栄町矢口(やこう)に鎮座する神社です。社名の読み方は「やこういちのみやじんじゃ」でしょうか?
麻生、須賀、興津、安食、佐野、北邊田、夫口(矢口)七ヶ村の氏神で、明治期から終戦期まで村社に列格していました。
当社の情報は、安食の駒形神社の公式Webサイトの「一之宮神社(矢口)」に詳しく、創建年は856年(斉衡(さいこう)3年)よりさらに古いと書かれています。
二つの鳥居をくぐり長い道を進む本来の参詣路は、現在あまり機能していないように見えます。
祭神
『千葉県神社名鑑』によると、祭神は経津主命(ふつぬしのみこと)とされています。
こちらに加え、安食の駒形神社の公式Webサイトの「一之宮神社(矢口)」には、次の祭神が書かれています。
- 経津主命(ふつぬしのみこと)
- 建御雷命(たけみかずちのみこと)
- 饒速日命(にぎはやひのみこと)
- 日本武尊(やまとたけるのみこと)
- 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
『印旛郡誌』に、「矢口の一の宮は熱田を祀れりとぞ」ともあります。熱田神宮のことでしょうか?
埴生郡の一之宮、二之宮、三之宮神社
当社は、埴生郡の一之宮にあたります。
一宮埴生神社
印旛郡栄町矢口の「矢口一之宮神社」。祭神は経津主命。
二宮埴生神社
成田市松崎の「二宮神社」。祭神は経津主命。
三宮埴生神社
成田市郷部994の「埴生神社」。祭神は埴安姫命等。
紛らわしい神社に、成田市並木町199の「三ノ宮埴生神社」がありますが、こちらは郷部の社の勧請。
印旛沼の入り口を守るような場所
当社は、北印旛沼東の大きな丘陵の最北端に鎮座しています。
この場所は、高い樹々がなければ崖の上から利根川と茨城を広く見据えられるような場所で、個人的に、香取神宮 第一摂社 側高神社(香取市大倉)の鎮座地を彷彿とさせられます。
実際、当社は経津主命を祀るかなりの古社で、創建に関し経津主神の何かしらの意図を感じさせられます。
境内社
『印旛郡誌』には、次の境内社の記述がありまが、それらしい社は見当たりません。
- 一、五社宮 天照皇太神大己貴命御魂命大宮姫命太田命を祭る(後略)
- 二、天満宮 菅原道員公を祭る由緒不詳(後略)
- 三、浅間社 木花開耶姫命を祭る由緒不詳(後略)
- 四、三峰神社 日本武尊を祭る由緒不詳(後略)
- 五、伊勢神社 天照皇太御神を祭る由緒不詳(後略)
- 六、妙見社 天御申主命を祀る由緒不詳(後略)←天御中主命の誤植でしょうか
創建・由緒
一之宮神社 旧村社
祭神
経津主命(ふつぬしのみこと)
境内神社
浅間神社
第二十七 安食町誌
第五章 沿革誌
第一節 郷土の総説
往古如何なる沿革ありしか詳ならず和名抄の埴生郡麻生郷は本町の邊なりと云ふ(中略)麻生須賀興津安食佐野北邊田夫口[野神の義なるべし]の七ヶ村矢口の一之宮を氏神とする由なれば共に麻生の郷の内にてありしなるべし[北邊田にて此村に城王明神といふ社あり矢口の一の宮は熱田を祀れりとぞ](後略)
第二十七 安食町誌
第七章 神社誌
村社一之宮神社
矢口村字花輪にあり由緒不詳(中略)境内六社を祭る即
一、五社宮
天照皇太神大己貴命御魂命大宮姫命太田命を祭る(後略)
二、天満宮
菅原道員公を祭る由緒不詳(後略)
三、浅間社
木花開耶姫命を祭る由緒不詳(後略)
四、三峰神社
日本武尊を祭る由緒不詳(後略)
五、伊勢神社
天照皇太御神を祭る由緒不詳(後略)
六、妙見社
天御申主命を祀る由緒不詳(後略)
写真図鑑
拝殿






拝殿の彫刻




拝殿向拝左側の彫刻




拝殿向拝右側の彫刻




本殿










本殿




鳥居



境内社、小祠等
多賀大明神




小祠

ご神木


北側の階段

境内風景


参拝順路






基本情報
社号 | 矢口一之宮神社 |
ご祭神 | 経津主命(ふつぬしのみこと)、建御雷命(たけみかずちのみこと)、饒速日命(にぎはやひのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ) |
境内社 | |
住所 | 印旛郡栄町矢口1 |
その他 | ■駒形神社 公式HP 一之宮神社(矢口) http://komagata-ajiki.net/yakou/ |
参考
上記のWeb サイトのほかに、下記を参考にさせていただきました。
- 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
- 『千葉県印旛郡誌』印旛郡 編 1913年
- 『日本の神々 神社と聖地 11 関東』谷川 健一 編 1984年