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袖ケ浦市神納(かんのう)の率土神社(そっとじんじゃ)
率土神社(そっとじんじゃ)は、創建年不詳、埴安姫命(はにやすひめのみこと)を祭神とする、袖ケ浦市神納(かんのう)に鎮座する神社です。
埴安姫命は、火の神 加具土命(かぐつちのみこと)を産み死ぬ間際の伊邪那美命(いざなみのみこと)が産んだ土を司る神です。
マガダ国の后が祭神か?
一方、当社に関し次のようなエピソードがあるようです。
古代、インドのガンジス川下流域にあったマガダ(マカダ、摩伽陀)国の后が国を追われ、718年(養老2年)、日本に逃れてきました。姫は都で「天豊媛命(アメノトヨヒメノミコト)」の名を授かり、東国平定のためこの地に遣わされ、神納の地に館を構えました。その後、亡き姫を思い建てられたのがこの率土神社とのことです(袖ヶ浦市HP、観光協会HP)。
率土神社のなぞ
- 訪日したインドのマガダ国の姫が、なぜ東国(袖ヶ浦)平定を行うのか?
ちなみに房総は、西暦110年ほどに日本武尊に平定された過去がある。 - マガダ国の姫 天豊媛命を偲んで建立されたにも関わらず、祭神にその名が無いのはなぜか?
- 率土(そっと)とは何か?
などのミステリアスな謎が残りますが、そっとしておきましょう。
地元の方のお話
当社は小櫃川流域の広大な田んぼを見下ろす台地の南端に位置しています。
地元の方いわく、当社は往古、農業や狩猟の支持を出す役割を有していたとのことです。
創建・由緒
創建年代および由緒不詳、埴安姫命(はにやすひめのみこと)を祭神とする神社です。
『千葉県神社名鑑』抜粋
祭神
埴安姫命(はにやすひめのみこと)
由緒沿革
創建年代など不詳だが、棟牌に「延宝六年三月吉日御神殿修復前朱雀四代領征夷大将軍源家綱公世話人関庄兵衛多田兵庫多田惣右衛門」とあり、また「明和五年戊子年仲秋吉日御神殿修復塗変金物願主世話人多田庄蔵小野忠七石井源蔵」とある。
写真図鑑
筆者が袖ヶ浦市の祖父母宅で年越しした翌日の活気のある写真となります。
社殿
鳥居
二之鳥居近辺からの眺望
参拝順路
詳細情報
社号 | 率土神社 |
ご祭神 | 埴安姫命(はにやすひめのみこと) |
境内社 | |
由緒・歴史 | マガダ国の后 天豊媛命(アメノトヨヒメノミコト)を偲んで創建 |
神紋 | |
本殿の向き | |
住所 | 袖ケ浦市神納3382 |
その他 | ■袖ヶ浦NAVI 摩伽陀(マカダ)国の妃が眠る、獅子神楽の社 率土神社 https://sodegaurakanko.org/spot/sotto1 ■袖ヶ浦市HP 広報そでがうら+ vol.28 率土神社 https://www.city.sodegaura.lg.jp/soshiki/hisho/koho-sodegaura-plus-vol28.html |