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坂戸神社│袖ケ浦市坂戸市場

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袖ケ浦市坂戸市場の坂戸神社の概要

坂戸神社は、古代(飛鳥時代以前)の創建と伝わる、袖ケ浦市坂戸市場の独立丘陵 坂戸山の頂に鎮座する神社です。明治期から終戦期まで郷社に列格していました。

祭神として下記の神様が祀られています。

  • 手力雄命(たぢからおのみこと)…天岩戸開きで活躍(忌部祖神の親神とも)
  • 天児屋根命(あめのこやねのみこと)…中臣氏の祖神
  • 天太玉命(あめのふとだまのみこと)…忌部氏の祖神

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近隣には2基の古墳、坂戸神社古墳と坂戸神社境内古墳があります。詳しくは下記をご覧ください。

創建の由来、社名の変遷

創建の由来

創建についての伝承は、次の3つがあるようです。

  • 「天富命」が忌部氏を率い房総で麻穀を育て人々に業を教えたため、当地に祀られた
  • 110年(景行天皇四十年)、「日本武尊」による創建
  • 673年(白鳳二年)、十一面観世音菩薩を本地仏として創建

社名の変遷

その後、社名と祭神が次のように変わったと伝わります。

  • 元来は「手力雄命」を祭る「磐戸神社」であった
  • 718年(養老二年)、信濃の「戸隠神社」に倣って、「天小屋根命」と「天太玉命」を合祀
    社名を「坂戸神社」に改称した( 「坂戸」は「逆手」とも)
  • 信州「戸隠神社」の主祭神は「天手力雄命」。その他の祭神に「天小屋根命」「天太玉命」の名はない

当サイト筆者の考え

上述の創建・社名に関する逸話は、悠久の時の間に、かなりゴチャゴチャになってしまっているようです。

次の二点の情報

  • 往古、小櫃川上流は忌部氏の開拓を受けたと伝わる。その流域には上流から下流にかけて、同氏祖神の神社が当社を含め四社も鎮座している
  • 鹿島神宮の境外摂社に「天児屋根命」を祀る「坂戸神社」という社がある

を踏まえると、当社の沿革は次のような流れが自然に思われます。

  • 忌部氏祖神「天太玉命」を祀り創建
  • 「戸隠神社」を勧請し、主祭神に「天手力雄命」が加わり、社名が「磐戸神社」となる
  • 『日本書紀』が完成する二年前の718年(養老二年)、鹿島神宮 境外摂社「坂戸神社」を勧請し、主祭神に「天児屋根命」が加わり、社名が「坂戸神社」となる

当社も、中臣氏による「祭神の上書き」=「中臣化」を受けたのでしょう。

年表

念のため、参考資料(後述)に記載の情報を時系列にまとめると下記のようになります。

?年忌部氏の祖神を祀り創建?
110年(景行天皇四十年)日本武尊が先勝を祈願し奉斎?
301年~400年(4世紀代)坂戸神社古墳の造営
673年(白鳳二年)十一面観世音菩薩を本地仏として創建?
712年(和銅5)『古事記』完成
718年(養老二年)・信濃の戸隠神社に倣って、天小屋根命と天太玉命を合祀
・坂戸神社に改称
720(養老4年『日本書紀』完成
江戸時代坂戸明神と呼ばれる
現在祭神は手力雄命、天児屋根命、天太玉命

坂戸神社古墳は創建に無関係?

神社の傍らに4世紀代造営の坂戸神社古墳があります。

神社創建との関連を考えたくなりますが、実際足を運んでみると、古墳は坂戸山(丘陵)頂上の中央ではなく、神社参道を避けるように山の際(きわ)にひっそりとあるため、神社創建の後に造営されたように感じられました。

天岩戸のかけら

Wikipedia「天岩戸」に、「千葉県袖ケ浦市坂戸市場 坂戸神社。天岩戸のかけらという伝承の岩、天磐戸の石碑がある。」とあります。

「天岩戸のかけら」は見つかりませんでしたが、「天磐戸の石碑」は見つかりました。

当社近隣に建てられた天磐戸の石碑

写真図鑑

社殿

拝殿

本殿

鳥居

一之鳥居

二之鳥居

石碑、等

狛犬

手水舎?

龍の彫刻の立派な土台の上に置かれた手水鉢(?)。周囲には柱の基礎だけが残っています。手水舎の跡ででしょうか?

鉢の内部やホースの様子から、現在も手水として使われている雰囲気でした。

常夜灯

一之鳥居近隣の常夜灯

1840年(天保11年)の石灯篭で、所々改修された跡が見え、火袋(光源を入れる場所)がないように見えます。

社殿前の常夜灯

1838年(天保9年)の石灯篭で、こちらも所々改修された跡が見え、火袋がないように見えます。

天岩戸の石碑

月山信仰の石碑

参拝順路

基本情報

社号坂戸神社
ご祭神手力雄命、天児屋根命、天太玉命
境内社
住所袖ケ浦市坂戸市場1441
その他

参考

下記を参考にさせていただきました。

抜粋

『日本の神々 神社と聖地 11 関東』一部抜粋

P250 坂戸神社 

(前略)祭神は手力雄命・天児屋根命・天太玉命であるというが、創建については詳らかでない。伝承では、天富命が阿波の斎部を率いて房総に至り、麻穀を播殖し、人々に業を教えたので、人々はここに忌部氏の祖神を祀ったものという。また一説には、景行天皇四十年に日本武尊が先勝を祈願して奉幣したとも、白鳳二年に十一面観世音菩薩を本地仏とし、養老二年に信濃の戸隠神社に倣って天児屋根命と天太玉命を合祀したともいわれている。古くは磐戸神社と呼ばれていたが、養老二年(七一八)に坂戸神社に改称したという。江戸時代には一般に坂戸明神と言われていたようで、『房総志料』には「坂戸明神の森あり。或いは逆手に作る」とあり、坂戸は「逆手」とも言われたことがうかがえる。(後略)

『千葉県神社名鑑』抜粋

坂戸神社 旧郷社

祭神
手力男命(たぢからおのみこと)

由緒沿革
白鳳二年の創建と伝えられ、もと逆手神社と称した。里見氏が当地に興ると、例祭には重臣を派し神幸を護衛させた。七月二九日の例祭には古来人贄を献ずる神事があった。明治六年郷社に列した。

Webサイト

書籍

  • 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
  • 『日本の神々 神社と聖地 11 関東』谷川 健一 編 1984年

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