下勝田の「天満神社」と上勝田の「大宮神社」は背中合わせ?
佐倉・酒々井・八街三市の境界に位置する下勝田・上勝田地区は、典型的な里山と谷津田が美しい隣り合う集落ですが、両地区の鎮守の神様は仲が悪いという話があります。
下勝田では「天満神社」を、上勝田では「大宮神社」を鎮守の神様として祀っています。谷向こうに位置しわずか390m ほどしか離れていない二社の社殿が、わざとなのか偶然なのか、お互い「背中合わせ」になるよう建てられているそうです。
「勝田村」が信仰上のもつれから上・下に分裂
近世以前に存在した「勝田村」に、信仰上のもつれが生じ、下勝田地区が戸数36軒(当時)で独立、勝田村は上・下の地区に分かれたそうです。
上勝田の鎮守 大宮神社の祭神は天鈿女命(アメノウズメノミコト)、下勝田の鎮守 天満神社の祭神は菅原道真ですが、この二柱の神様は、出自もこれといった関連性もなく、仲が悪いということはないように思われます。
祭神は菅原道真
祭神は天鈿女命(アメノウズメノミコト)
江戸時代、学問の神様である天満宮を祀るブームが各地で起きた、という記述を目にしたことがあります。その流れが、元来、大宮神社を祀っている勝田村にも到来。谷向こうの集落が新たに天満神社を祀りはじめ、それが原因で村が二分されることに至った、という感じでしょうか。
小話
縁組がない
『和田村誌』(1988年)には、「昔から昭和の今日まで両区の間での縁組は全くない」と書かれています。
私が、勝田地区を探訪した際、終始笑顔でお話を聞かせてくださった地元の方も、この件に関しては「う~ん…。」という感じでした。下勝田ロミオと上勝田ジュリエット、などもいたのでしょうか。
「勝田」は「勝間田」だったのか?
「勝田」の地名の由来はもともと「勝間田」であったという説があります。下勝田には、昔からの名勝地として知られる「勝間田の池」があります。
下勝田では牛を飼ってはいけない
稲荷神社の使いが狐であるように、天満宮の使いは牛、特に、臥牛(がぎゅう)という座って休んでいる状態の牛です。そのため、天満神社を鎮守する下勝田では、牛を飼育しないとされています。
ところで、現在、上勝田の鎮守 大宮神社のすぐ横には牧場があります。
下勝田では牛を飼ってはいけない
詳細情報
住所 | 千葉県佐倉市下勝田、上勝田 |
その他 | ■佐倉市HP 上勝田の盆綱 https://www.city.sakura.lg.jp/soshiki/wadakominkan/4/2501.html ■佐倉市HP 下勝田の獅子舞 https://www.city.sakura.lg.jp/soshiki/wadakominkan/4/1811.html ■佐倉市HP 和田地域めぐり散策コース https://www.city.sakura.lg.jp/material/files/group/64/wada-sansaku-course.pdf ■佐倉市HP 和田地区 https://www.city.sakura.lg.jp/material/files/group/61/sakura_saiken08_wada.pdf |
参考
上記のWeb サイトのほかに、下記を参考にさせていただきました。
- 『和田の伝承』佐倉市立和田公民館他 編 1998年
- 『和田村誌』和田郷土史編纂委員会 編 1988年