南房総市白浜町滝口の天神社(あまつかみのやしろ)
概要
天神社(あまつかみのやしろ)は、創建年および由緒不詳、高御産巣日神、神産巣日神を祭神とする、南房総市白浜町滝口の下立松原神社(小鷹明神)の境内に鎮座する神社です。
平安時代の『延喜式』神名帳に、「安房国六座 朝夷郡四座 天神社」と記載されている式内社です。
滝口の下立松原神社(小鷹明神)、房総の式内社については下記をご覧ください。
流転の式内社
「地元の人々にさえ忘れられてしまった式内天神社」(千葉大学 森谷ひろみ氏)と記されるほど、当社の鎮座地は流転を重ねています。
地震・山津波等により流れ流れて本郷谷(谷(やつ))に祀られるも、経営の都合で1928年(昭和三年)に下立松原神社の神輿殿に移され(二之鳥居右手に招魂社と並んで祀られていたという記録あり)、近年、現在の下立松原神社 社殿の右に祀られることになりました。
このような理由で、『延喜式』「朝夷群四座」筆頭の神社が、「安房郡」に鎮座しているわけです。
社名の読み方
一般的な「天神社」は菅原道真公を主祭神とするタイプのもので、「てんじんじゃ」と読みます。
これと異なり、当社は、天神(あまつかみ)である高御産巣日神、神産巣日神を主祭神とするため、「あまつかみのやしろ」と読むのが通例のようです(例:館山市立博物館HPの下立松原神社の項)。
一方、本来は「あまのかみのやしろ」と読んだのでは、という説もあります(『房総の古社』菱沼 勇)。海人・海女・海士はみな「あま」と読みますし(例:市原の海士有木(あまありき))、海そのものを「あま」と読ませる場合もあります。漁労を生業とする人々が海の神様を祀ったのが当社の始まりであったろうというわけです。
創建・由緒
創建年代および由緒不詳、平安時代に『延喜式』神名帳に記載(式内社)、高御産巣日神、神産巣日神を祭神とする神社です。
当天神社は高御産巣日神、神産巣日神を祀り下立松原神社と同様延喜式内社でもとは白浜城址の北方片倉に鎮座で後に本郷谷部落に移り三月廿五日の大祭には村芝居も行われていたが経営の都合上昭和三年に下立松原神社に合祀となり社殿も此の所に移し下立松原神社の神興殿となったが後別に神興殿を改築しもとの如く天神社を祀ったものである。
平成十五年三月ニ十三日
下立松原神社宮司 高山義丸
神社写真
社殿
下立松原神社と天神社
詳細情報
社号 | 天神社 |
ご祭神 | 高皇産霊命、神皇産霊命 |
住所 | 南房総市白浜町滝口1728 (下立松原神社の境内社) |
その他 | ■館山市立博物館 滝口下立松原神社<白浜> http://history.hanaumikaidou.com/archives/6304 |
参考
上記のWeb サイトのほかに、下記を参考にさせていただきました。
- 『式内社の歴史地理学的研究 : 安房国・伊豆国三宅島の場合』森谷恵 出版、森谷ひろみ 著 1977年4月
- 『房総の古社』菱沼 勇、梅田 義彦 著 1975年
- 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987
- 『安房神社並びに安房神社周辺特定地区文化財総合調査概報』千葉県教育委員会 1968年3月
- 『安房志』斉藤夏之助 著 1908年