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側高神社│香取市大倉

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香取市大倉の側高神社(そばたかじんじゃ)の概要

側高神社(そばたかじんじゃ)は「香取神宮」の第一摂社で、神宮同様、神武一八年創建と伝わる、香取市大倉の台地の上に鎮座する神社です。

明治期から終戦期まで郷社に列格していました。

かつて近隣に鎮座していた、落書神社(おとしぶみじんじゃ)(祭神経津主命・武甕槌命)と一夜山神社(祭神木花咲耶姫命)が合祀されました。

祭神

祭神は、「神秘」「言わず語らずの神」とされています。このように祭神を秘密とする社は、県内では他に見たことがありません。

『千葉県神社名鑑』では「側高大神」(そばたかのおおかみ)、『香取神宮小史』では「経津主神の后神側高神」と濁しています。

一方、行政のホームページや『香取郡誌』に具体的な祭神名が記載されています。「言わず語らずの神」のため、気になる方だけ開いてください。忌部氏の祖神に、「春日神社」祭神を後年追加したような雰囲気です。

側高神社の祭神はこちら ↓

千葉県HP

香取市の文化財 側高神社本殿

  • 天日鷲命(あめのひわしのみこと)
  • 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
  • 武雷命(たけいかづちのみこと)
  • 経津主命(ふつぬしのみこと)

香取市HP

2-5.側高神社のひげなで祭に見る歴史的風致

  • 天日鷲命
  • 武甕槌神
  • 経津主神
  • 天児屋根命
  • 姫神

『香取郡誌』側高神社

  • 高皇産霊尊
  • 神皇産霊尊
  • 天日鷲命
  • 経津主命
  • 天児屋根命
  • 武甕槌命
  • 姫御神

或いは

  • 天日鷲命
  • 伊弉諾尊
  • 天照大神
  • 神功皇后

香取神宮にとって重要な社

当社は、香取神宮の第一摂社で、往古はかなり重要な役割をおっていたようです。

神宮の古いしきたりに次のようにあります。

側高天神を以(もっ)て、大行事と為(な)し、糺(ただ)し定め令(し)む可し
訳:側高天神を大行事(重大任務の神) として、物ごとを正しく決めてもらおう。

『旧記』にも次のようにあります。

起請することあれば必ず此の神に質(ただ)す。

  • 起請:ある事柄をなす際、上位者に許可をもらう事

日本の三大神宮のひとつが、当社 側高神社に重要行事の伺いを立てていたというのは、かなり凄いことですね。

ところで、往古、香取神宮が税務を、側高神社が実務を担当していた時期があるようです。当地を「大倉」というのは、当社近隣に大きな屯倉が建てられたことに由来すると言われています(参考:『神里のあゆみ』)。

写真図鑑

拝殿

拝殿の彫刻

本殿

本殿の彫刻

狛犬

新しい狛犬手前の古い狛犬。右側の一体だけが残っていました。変わった体型をしています。

鳥居

境内社

小祠

毘沙門天

手水舎

授与所

四箇の甕

境内の樹木、ご神木

その他

息栖神社一之鳥居から見る側高神社

参拝順路

詳細情報

社号側高神社
ご祭神言わず語らず
境内社
住所香取市大倉1
その他

参考

下記を参考にさせていただきました。

抜粋

入り口右手の由緒書き
入り口右手の由緒書き

千葉県指定有形文化財
側高神社本殿(そばたかじんじゃほんでん)一棟
昭和五十七年四月六日指定

側高神社は、香取神宮の第一摂社で、古来より御祭神は深秘とされ明らかにされていない香取神宮の式年遷宮とともに造営が行われてきたと考えられる。

本殿は寛文五年(1665)の建立で、一間社流造、屋根は現在銅板革であるが、もとは柿葦。正面を方立柱に小脇羽目付の板扉両開きにし、側面・背面は羽目板とする。正面及び側面は切目縁、跳高欄。組物は連三斗、軒は二重繁垂木である。向拝部分の彩色文様や基股内部の彫刻には中世後期の特色がみられる。特に向拝部は見世棚造の前面に浜縁と木階を組み合わせた構造で、当地域では他に類例が無い建築物として貴重である。

昭和六十・六十一年に保存修理工事を実施し、建立当初の状態に復原し、屋根の葺き替えや再塗装を行った。その際に発見された墨書と棟札から建立年代が判明したほか、慶長年間の部材を一部転用していることも明らかになった。

今和三年十一月十一日
千葉県教育委員会
香取市教育委員会

『千葉県神社名鑑』抜粋

側高神社(通称 側高様) 旧郷社

祭神
側高大神(そばたかのおおかみ)

由緒沿革
香取神宮摂社。社伝に、神武一八年の創建という。古来、祭神は神秘としてロにすることを許されず、俗に言わず語らずの神とのみ伝う。香取神宮の古い差定に「以側高天神為大行事可令糺定」とあり、また旧記にも「起請することあれば必ず此の神に質す」と見えるなど信仰の歴史が偲ばれる。境内には老杉が生い茂り、裏山よりは、筑波山、利根川、鹿島の森を一望に見はるかし風光絶佳である。社殿は慶長年間に改築されたもので、桃山時代の建築様式は県の有形文化財になっている。

神事と芸能
俗に「ひげ撫で祭」という酒を飲み競べる神事がある。氏子一八組が毎年交互に奉仕する質朴勇壮なるもので、起原は鎌倉時代である。

『神里のあゆみ』抜粋

(三)村の成立事情
(1)集落のなりたち

(前略)景行紀に、香取神宮は、税務を司り、実務を大倉の側高神社が行つたとあり、その時、大きな屯倉が作られたのが、大倉の地名の起りといはれ、既に、郷土の農業が発達してゐるのを証明してゐる。(後略)

『香取郡誌』抜粋

側高神社
(前略)高皇産霊尊神皇産霊尊を合祀し天日鷲命経津主命天児屋根命武甕槌命姫御神を配祀す(中略)往古の記録及び棟札等には概ね脇鷹社と称号す社伝に曰く神武天皇紀元十八年戊寅の創建也と本社の祭神は往時神秘として其神名を知るものなく或は曰く天日鷲命を祀る又曰く伊弉諾尊天照大神神功皇后を祀る[香取志等]

『香取神宮小史』抜粋

しかして、経津主神の親神、磐筒男、磐筒女の神を大戸神社に、経津主神の后神側高神を側高神社に祀られたが、一族の神を祭られたばかりでなく、交渉のあった大物主命(一名大国主神)を対岸常陸の安馬の大杉神社に建南方神を諏訪神社に祭り、なほ経神嚮導の天夷鳥神を神崎神社に祭られたのは、鹿島神宮に於ける息栖神社(塩土翁)と同様である。

Webサイト

書籍

  • 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
  • 『新修 香取神宮小史』香取神宮社務所 編 1995年
  • 『香取郡誌』千葉県香取郡 編 1921年
  • 『神里のあゆみ』郷土を研究する会 出版 1957年

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