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大六天神社│千葉市若葉区貝塚町

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千葉市若葉区貝塚町の大六天神社の概要

大六天神社は、創建年不詳、千葉市若葉区貝塚町に鎮座する神社です。明治期から終戦期まで村社に列格していました。

手水石の「弘化二年(こうかにねん)」の刻印から、1845年時点での存在が確認されます。

祭神

祭神として次の神様が祀られています。

  • 面足尊(おもだるのみこと)
  • 惶根尊(かしこねのみこと)
  • 菅原道真公(すがわらみちざねこう)
  • 大直日命(おおなびのみこと)
  • 蛭子神(ひるこのかみ)
  • 他3柱

亥鼻城鬼門守護の曽場鷹大明神(そばたかだいみょうじん)を合祀

1911年(明治四十四年)まで貝塚町字下内にあった曽場鷹大明神(そばたかだいみょうじん)が当社に合祀されています。

大明神は祭神は大山津美命(おおやまつみのみこと)で、亥鼻城(千葉市街)守護のために鬼門に山の神を配するために置かれたようです。守護の社の配置は次のようになります。

  • 北東(鬼門):曽場鷹大明神(貝塚町)
  • 南西(裏鬼門):御達報稲荷(稲荷町五田保)
  • 真西:結城の神明(神明町)
  • 真南:竜蔵権現(千葉寺境内)
  • 北西:妙見宮
  • 東南東:堀内牛頭天王

大明神は、香取神宮第一摂社の側高神社(そばたかじんじゃ)の分霊とされていますが、祭神が全く異なります。

大明神が、当社の本殿に合祀されたのか、境内社として合祀されたのかは不明です。

参拝日記

大六天神社は、貝塚町の台地、東京湾側の突端に鎮座する神社です。

車通りの多い地域に存する鎮守のオアシス的な場所で、高い樹々に囲まれた境内と立派な社殿が魅力です。神楽殿やちょっと変わった顔をした狛犬、社内に生えていた巨木の切り株なども見どころです。

高台にあるため、海側からは、千葉城や千葉県庁、千葉駅近辺の背の高いビルを見ることができます。

当社の由来は不明ですが、賽銭箱の赤い九曜紋から、千葉氏との関連を伺えます。

写真図鑑

社殿

鳥居

境内社

狛犬

神楽殿

ご神木

その他

参拝順路

詳細情報

社号大六天神社
ご祭神面足尊(おもだるのみこと)惶根尊(かしこねのみこと)菅原道真公(すがわらみちざねこう)大直日命(おおなびのみこと)蛭子神(ひるこのかみ)他3柱
境内社下田弁財天、富士浅間神社、三峰神社、天満宮、牛頭天王、疱瘡神、道祖神
由緒・歴史
神紋
本殿の向き
住所千葉県千葉市若葉区貝塚町9
その他

参考

下記を参考にさせていただきました。

抜粋

『千葉県神社名鑑』抜粋

大六天神社(だいろくてんじんじゃ) 旧村社

祭神
面足尊(おもだるのみこと)惶根尊(かしこねのみこと)菅原道真公(すがわらみちざねこう)大直日命(おおなびのみこと)蛭子神(ひるこのかみ)他3柱

由緒
創立年代は不詳だが、境内建立の手洗石に「弘化二年五月」の銘があり、他に「万延元年九月」と銘したものがあるところから、今より一四〇余年前に鎮座していたことが明らかである。

『千葉市歴史散歩』抜粋

七 猪鼻築城と都市計画(二)

猪鼻城の大手口を想定する極め手は左の文中に秘められている。「大治元年内午六月期、初めて千葉を立つ。(中略)橋より向御達報までは町人屋敷也。これによって河向を市場と申す也。千葉の守護神は曽場鷹大明神、堀内牛頭天王、結城の神明、御達報の稲荷大明神、千葉寺の竜蔵権現これ也。弓ぜん神と申すは妙見、八峰、摩利支天大菩薩これ也。」(『千学集抄』)。

(中略)

堀内牛頭天王は千葉大学医学部旧付属病院裏手 (旧東金街道の左右)に散在する俗称七天王塚を指し、この中の一つを親天王他を子天王と称する。元来牛頭天王は平安前期に京都祇園寺の守護神として祀り、一名武塔神又の名は素さ鳴尊で疫病や災害よけの神である。これを城内の巽(東南)の方角で「堀内」即ち外堀の内側に勧請し、この社を中心として城外の鬼門(北東)に曽場鷹大明神(貝塚町)裏鬼門(南西)に御達報稲荷(稲荷町五田保)真西に結城の神明(神明町)真南に竜蔵権現(千葉寺境内)を配置し、更に前回述べた如く妙見尊を乾(西北)の方角にあたる金剛授寺の境内に遷座したが、やがてここに八幡神と摩利支天の両軍神を合祀した。つまりこれらは全く陰陽道の思想に従ったものである。

八 猪鼻築城と都市計画(三)

(中略)

城下町千葉の守護神として、『千学集抄』に記載された五種の神々の性格は、どのようなものであろうか。
(中略)
曽場鷹大明神は大山津美命を祀る。これは、明治四十四年十一月までは貝塚町字下内にあったが、その後同町大六天社に合祀された。この神社は香取大神宮第一の摂社で髪撫祭で知られる佐原市大倉山の側高明神の分祀で、性格は山の神である。
(中略)
以上の五社と、猪県築城の翌年九月十五日に、金剛授寺の境内に遷座座したと伝える、妙見宮(現在の千葉神社)の位置とを、正確な地図に照して考察すると、猪鼻城の中心から、鬼門に曽場鷹大明神、裏鬼門に達報稲荷、真南即ち午の方角に竜蔵権現、真西即ち酉の方角に結城の神明、北西即ち乾の方角に妙見宮が配置され、堀内牛頭天王は巽の方角に位置することを知るであろう

書籍

  • 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
  • 『千葉市歴史散歩』千葉市教育委員会生涯学習部文化課 出版 1994

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