中央区寒川町の下総国 寒川神社
「本千葉」駅の海側を南、「蘇我」駅方向少し歩いた場所に鎮座する神社です。
月星紋から、千葉氏との関連性が伺えます。
千葉市地域文化財:寒川神社の御浜下り(おはまおり)
当社の御浜下り(おはまおり)が、千葉市地域文化財に指定されています。
「おはまおり」は、お神輿を担いで海や水辺を渡り歩く儀式で、千葉県を含む東日本の太平洋岸では各地域で多様なおはまおりが行われています。
当社の御浜下りは、毎年8月20日の夕方、千葉ポートパークにて寒川神社氏子青年会により行われています。
社名・ご祭神
1868年(明治元年)に社名を寒川神社と改め現在にいります。それまでは神明社あるいは伊勢名神と呼ばれていたそうです。
ご祭神は天照皇太神、寒川比古命(さむかわひこのみこと)、寒川比売命(さむかわひめのみこと)の三柱。神明社時代の一柱と神奈川県高座郡寒川町の寒川神社から勧請した二柱でしょう。
神社写真
社殿
本社、拝殿は1927年(昭和2年)に再建、社務所も同年に造られました。
鳥居
境内社
神輿庫とお神輿
神輿蔵には金色の豪奢なお神輿が納められています。普段は見ることができませんが、お正月などは解放され、お神輿を見て参拝することができるようです。
これがおはまおりに使用されるのでしょうか?
その他
お正月の写真
お正月は参拝の方が絶えませんでした。普段はありませんが、この時は大きな茅の輪をくぐってご参拝します。
参拝順路
『延喜式』神名帳記載の式内社「寒川神社」は本社か?
『延喜式』(927年完成)神名帳に記載の千葉郡の「寒川神社」というのが、現存する神社のどれなのかについて、二つの候補が上がっています。すなわち、千葉市中央区寒川の寒川神社と船橋市三山の二宮神社です。
本社の公式HP内では、本社を式内社とする文言は見当たりません。
本社を式内社に推す文献としては、『神名帳考証』に下記の記述があるそうです(『房総の古社』(菱沼 勇、梅田 義彦 著 1975年))。
千葉郡寒川村ノ属邑寒川新田ト云フ処ニ古社アリテ、今ハ神明ト称スレドモ式内寒川神社也。
これを正とすると下記のような流れになるでしょうか。
?年 | 「寒川神社」創建 |
---|---|
927年 | 『延喜式』に式内社として記載される |
? | 社名を「神明」に変更 |
1713年 | 『神名帳考証』に「神明」と記載される |
1868年(明治元年) | 社名を「寒川神社」に戻す |
一方、式内社を船橋市三山の二宮神社とする文献も複数存在します。
個人的には、確定的な証拠が見つかるまで「どちらが式内社か」を断定することはできないため、おおらかな気持ちで好きな方もしくは両方を心の中で「式内社」と捉えていれば良いのかな、と思います。
詳細情報
社号 | 下総国 寒川神社 |
ご祭神 | |
境内社 | |
由緒・歴史 | |
神紋 | 月星紋、八稜鏡(はちりょうきょう) |
本殿の向き | |
住所 | 千葉市中央区寒川町1-123 |
その他 | ■公式HP https://chiba-samukawa-jinja.or.jp/ ■千葉市HP 寒川神社の御浜下り(市地域文化財) https://www.city.chiba.jp/kyoiku/shogaigakushu/bunkazai/samukawamihama.html ■千葉市立郷土博物館 研究員の部屋 https://www.city.chiba.jp/kyodo/katsudo/kenkyuin.html |
参考
- 『房総の古社』菱沼 勇、梅田 義彦 著 1975年
- 『房総の史跡散歩』篠崎 四郎 著 1987年