佐倉市大佐倉の将門口ノ宮神社
将門口ノ宮神社は、下総の二大英雄、平将門と佐倉惣五郎を祀る神社です。印旛沼(西印旛)東南の広大な台地の上、「大佐倉」駅から南に 200m、本佐倉城跡の西に鎮座しています。
近接し共に将門公を祀る二つの神社、「口宮」(将門明神)および「将門社」が明治以降に合祀され「将門口ノ宮神社」となり現在に至ります。手前の入り口となる「口宮」は佐倉藩家臣が、奥の「将門社」は千葉氏が建てたものだそうです。
鳥居は、承応3年(1654年)11月、佐倉藩主 堀田正信(ほったまさのぶ)が寄進したそうで、以下のような銘があります。
左柱銘「佐倉之城主従五位下 総州印旛郡 堀田上野介紀朝臣正信」
右柱銘「奉寄進石之華表 将門大明神 承応三甲午年十一月吉日」
将門口ノ宮神社の歴史年表
名称 | 説明 |
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口宮 | ・口ノ宮神社 / 口ノ明神(参道左手の碑文)・将門大明神(鳥居の銘文)・将門明神とも呼ばれる ・佐倉藩家臣が建造(『ちば見聞録』#077 ※1) ・堀田正信が鳥居を寄進(社内看板 等) |
将門社 | ・創建は千葉氏で、元は将門明神と称し、現在は桔梗塚となる(『ちば見聞録』#077 ※1) |
妙見社 | |
桔梗塚 | ・奥の宮とされる(参道左手の碑文) ・「将門明神跡」とされる(『ちば見聞録』#077 ※1) |
口宮 | 将門社 | 妙見社 | 桔梗塚 | その他 | 参考文献・出典 | |
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古墳時代 | 箱式石棺が検出 | 「大佐倉花輪台遺跡(第2次)」 根本岳史 | ||||
1654年(承応3年) | 佐倉藩主堀田上野介の創建 | 『印旛郡誌』 | ||||
同上? | 社は佐倉藩家臣が建造 | 『ちば見聞録』#077「義民・佐倉宗吾」【チバテレ公式】 | ||||
1654年(承應三年) | 遷宮に際し堀田正信が石の鳥居を寄進。 ※銘には「口宮」でなく「将門大明神」とある | 社内看板 等 | ||||
1715年 | 「惣五宮」という祠が建てられた(どこに?) | 『総葉概録』 | ||||
1734 ~46年 | 「桔梗之前」の墓である「大塚」が有る | 『古今佐倉真佐子』 | ||||
1746年(延享三年) | 口明神とある | 大佐倉村明細帳(宝珠院文書) コトバンク | ||||
1752年宝暦2年 | 佐倉惣五郎の霊を合祀 | 『印旛郡誌』 | ||||
同年 | 口の明神を造営 | コトバンク | ||||
1825年前 | 大変立派な様との記述 | 『遊歴雑記』 | ||||
1858年頃 | 地図に 記載あり | 地図に 記載あり | 地図に 記載あり | 記載なし | 『成田参詣記』 | |
1870年(明治三年) | 藩が惣五郎の合祀を廃し「将門神社」となり神体書類全てを上納させ廃屋となる | 『印旛沼周遊記』 『印旛郡誌』 | ||||
1919年(大正八年) | 本社拝殿等を出火により焼失 | 参道左手の碑文 | ||||
1980年代 | 鳥居、灯篭、小さな社が映った写真が掲載 | 『房総の史跡散歩』 『印旛沼周遊記』 | ||||
2001年以後 | 八幡宮御神木を素材として消失した社殿を再建 | 参道左手の碑文 | ||||
2024年 | 神社と鳥居あり | ? | ? | 塚と石碑あり | 現在の実地検分 |
1654年
佐倉藩主 堀田正信により佐倉惣五郎(通称 宗吾)が磔刑に処された翌1654年、正信が「口宮」に鳥居を寄進、これが現在に残ります。鳥居の柱に「将門大明神」の記載があり、御祭神が将門公であることがわかります。惣五郎についての記載はありません。
左柱銘「佐倉之城主従五位下 総州印旛郡 堀田上野介紀朝臣正信」
右柱銘「奉寄進石之華表 将門大明神 承応三甲午年十一月吉日」
1820年前後
「口の明神」は目を驚かすほど立派だったそうです(『遊歴雑記』)。(『印旛周遊記』)
1858年頃の「口宮」「将門社」
『成田参詣記(成田名所図会)』(中路 定俊、中路 定得 著 1858年)に「本佐倉村千葉家故城址の図」として本社近隣の地図が描かれています。
北を上に向けるために図を90°回転させた
下図は、上図の左上を拡大させたものです。1858年頃の「口宮」「将門社」の位置関係が伺えます。明治以降、前者の場所に二社が合祀され現在の社となり、後者の跡地は「桔梗塚」(後述)になっています。
その近隣に「妙見社」「八幡社」なる社も目に止まります。前者は私有地のため詳細不明、「八幡社」は八幡神社として現存しています。
「将門社」「口宮」「八幡社」は現在も残る
中央に将門口ノ宮、その右に八幡神社、左下に桔梗塚が
1980年代の将門口ノ宮神社
『房総の史跡散歩』(篠崎 四郎 著 1987年)および『印旛沼周遊記』(小川 元 著 1988年)に、本社のありし日の貴重な写真が掲載されています。該当箇所を撮影、掲載させていただきます。
どちらも鳥居正面から撮影した写真です。鳥居は本来、明神式のはずが、両写真とも貫の両端部が欠落しています。現在は貫が柱を貫通した明神式の造りをしており、よく見ると貫のみ新しいように見えます。近年、鳥居の改修をしたのでしょうか? その右手前の看板と石灯篭は現存のものと同じでしょうか? 社殿は現在と異なり、小さな社が奥にちんまりと鎮座しています。現在社殿裏にある摂社は、この名残でしょうか?
P23を撮影
P179を撮影
現在の写真
社殿
鳥居
摂社、末社
その他
参拝順路
詳細情報
社号 | 将門口ノ宮神社 |
ご祭神 | |
境内社 | |
由緒・歴史 | |
家紋 | |
本殿の向き | |
住所 | 佐倉市大佐倉1929-1 |
その他 | 佐倉市HP https://www.city.sakura.lg.jp/soshiki/bunkaka/bunkazai/genre/3413.html |