伏姫籠穴(ふせひめろうけつ)│南房総市合戸

目次

南房総市合戸の伏姫籠穴(ふせひめろうけつ)

概要

伏姫籠穴(ふせひめろうけつ)は、JR「岩井」駅からおよそ2.6km、南房総市合戸(ごうど)の富山(とみさん)という山の麓にある洞穴です。

江戸時代後期の作家 曲亭馬琴(滝沢馬琴)は、実在する富山とこの洞窟を元に、『南総里見八犬伝』(なんそうさとみはっけんでん)にて、里見家の姫である伏姫(ふせひめ)と犬の八房(やつふさ)が山に籠るストーリーを創りました。

探訪日記

「伏姫」なる人物名がついているため、姫が実在の人物であると勘違いする人もいるのではないでしょうか。

千葉県への来訪経験のない馬琴は、富山とその麓にある岩窟の話を聞き、想像力逞しく姫と八房の話を創りだしました。そして後年、実在するこの岩窟に、「伏姫籠穴」(ふせひめろうけつ)という名が付けられたというわけです。

富山登山の道すがら、『里見八犬伝』未読の身で来訪しましたが、大変楽しめました。深い森の奥、巨大な二枚の岩が「入」の字に重なってできた洞窟は圧巻!

伏姫籠穴の写真

「伏姫籠穴駐車場」からの道中

伏姫籠穴

帰り道

説明書

駐車場目の前の門左の説明書

説明書『伏姫籠穴』抜粋

伏姫籠穴について

伏姫穴はいつ、だれの手により、掘られたものなのか・・・?それは今なお、謎のままである。

伏姫籠穴の【籠穴】という言葉は、多くの文献により、【籠窟】【岩窟】【祠】【洞窟】など、さまざまな言い方がなされていることはおもしろい。

さらに不思議なことは、伏姫も八房も文学の中に登場する架空の主人公であるはずであるが、現実にこうして伏姫籠穴が我々の眼前に存在する事実を、私達はどのように理解すればよいのか、まことに神秘的であり幻想的と言えよう。物語に書かれた空想の世界と、現実との狭間に立つ時、伏姫籠穴は私達に何を語りかけようとしているのだろうか・・・。

文学的考察

「南総里見八犬伝」は、九類、九十八巻、百六冊、からなる膨大な長編小説である。

作者の滝沢馬琴が四十八歳の文化十一年に五冊を出版し、加えて七十五歳の天保十二年に、第九報の第四十六巻から第五十三巻を出版に至る、実に二十八年の歳月を経て世に発表され完成を成した。

滝沢馬琴の円熟した技雨と、渾身の努力とを頃注した作品であり、江戸文学を代表する一大雄編といえる。また近世日本文学において屈指の傑作とも言える。

前田愛氏が置かれた八犬伝の研究害によれば、ハ犬伝は水滸伝の構成を多く学んでおり、処女と動物の相姦を記した物類相感の局面など、世界的な名作マクベスをも思わせる文学、と評価をされている。

作品の創作時、馬琴の身上には、妻と息子の死、婿の死、自身の両眼失明、世の中の世情不安、嫁に口授の筆を執らせるなど、地獄のような暗く壮絶な苦労の中で作品は創られた。こうした作者の苦悩は、そのまま八犬伝物語の根底を流れる理法に繋がっている。

「富山は馬琴の創造の中にありて、因果の車の軸なり。因果の理法のComplication を示したるものは、富山洞(とみやまのほこら)のTragedyにして、富山はこの理法をあらわしたる舞台なり」と、北村透谷は明言する。

「南総里見八犬伝」の福成上、最も重要な意味を持つ場所が、人界を隔て深い狭霧に立ちこめられた、ここ富山の伏姫龍穴である。それは、ハ犬伝物語の世界を支配する原理を潜在的に内包する幻想的空想がこの場であるからだ。

上演史

「南総里見八犬伝」は、映画、演劇、人形劇、テレビドラマなど、さまざまな分野で語られてきた。中でもわが国の伝統芸能である歌舞伎では古くから上演されてきた。

「南総里見八犬伝」初めての劇化は、天保五年十月で大阪若大夫芝居の「金花山雪曙」が上演された。江戸時代の富本舞踊劇「咲海の八房」、明治二十二年中村座初演の「仇名草由縁八房」などは、伏姫がハ房に引かれて籠穴に至る芝居として、演劇史に置き残されている。常磐津「八犬士誉の猛」は、富山の事件を上下に分け語られている。

映画史では、昭和二十九年東映「里見八犬伝』昭和三十二年新東宝「妖雲里見快挙伝」などがあげられる。

伏姫舞台の右の説明書

上記と同内容と思われる。

籠穴手前の門左の説明書き

抜粋

伏姫籠穴『ふせひめろうけつ』

伏姫籠穴へ遠路ようこそお越し下さいました。私は里見義実の原、伏姫でございます。皆様もご存じと思われます、里見八犬士の母でございます。

ここ籠穴に、愛犬「八房」と永遠の眠りについて、どれほど長い年月が過ぎたことでありましょう…。

思い起こせば、「八房」の背中に乗せられ、この山中に辿り着いた時は、私が十六の歳でありました。

ここは富山の山中であり、昔はいつも深い霧が立ちこめた、昼なお暗い、人も訪れね深山四谷の地でありました。

夜ともなると、邪悪な悪霊や妖怪が群れ集まり、谷に不気味な叫びが響き渡る阿修羅の世界に変貌するものでございました。

それはそれは言葉では言い尽せぬ恐ろしい地であり、来る日も来る日も恐怖と孤独に耐え忍ぶ毎日でございました。

私は傍らに「八房」を座らせ、一人に法経経を唱え、心の恐怖と戦う暮らしを続けました。いつしか読経は、富山に木霊し、谷の濃霧を祓い、この谷に明るい陽光が差し入り、闇の悪霊たちも次第に姿をかき済したのでございます。

伏姫と八房の終焉

私が十八歳を迎えた秋の間楽部でございます。

ある日、山中で見知ら不思議な童子に出会いました。童子は私に妙な言葉を告げるのでした。「お前さまは懐胎をした。体内の子は八つ子である。一旦は形無くして生まれ、その後再びこの世に人間として生まれ出よう。その子らは智勇に富み、永来はかならづや里見家の危難を救うことであろう』と…。

そして毎日が過ぎた目、私をこの籠穴から救出せんがため、探索に訪れた父義実の忠臣、金碗大輔(かなまりだいすけ)が私と八房を見つけ、私から八房を引き離すべく放った鉄砲の一弾は、八房を打ち抜き、さらに私の胸元を貫いたのでございます。

けなげにも八房は私を危機から守るがように私の身体を被い、恐しげな皆き声を最期に息を絶ったのでございます。

その時でありました…なんと、童子の予言通り、肌身離さずもっていた私の数珠が身体から放たれ、それは眩く八つの珠となり、天空に向かって飛び散ったのでございます。私は薄れゆく気の中で、その美しい光り輝く八つの珠が、違くへ飛ぶ様を確に見ておりました。

ああ、それはなんと美しい光景でありましたことか…。

富山も辺りも黄金のように光り満ち、籠穴には一条の光りが差し込みました。私と八房は温かな光りに包まれ、無常の幸せを感じたものでした。

こうして私と八房は、ありがたくもみ仏のお側にゆくことができたのでございます。

抜粋

伏姫と八犬上

私と八人の子供についてお話しをいたしましょう。
光り輝く美しい八つの珠が私の子供たちであり、後に八犬士になったのでございます。天空に飛び散った八つの珠には、それぞれ『仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌』という八文字が刻まれていたそってす。子供たちの名前に、この文字がつかわれておりました。
犬江親兵衛仁(いぬえしんぺいまさし)、犬川荘助義任(いぬかわそうすけよしとう)、犬村大角礼儀(いぬむらだいがくまさのり)、犬坂毛野胤智(いぬさかけのたねとも)、犬山道節忠与(いぬやまどうせつただとも)、犬飼現八信道(いぬかいげんぱちのぶみち)、犬塚信乃戍孝(いぬづかしのもりたか)、犬田小文吾悌順(いぬたこぶんごやすより)
子供たちの活躍は、『南総里見八犬伝』の八犬士として書き記されており、正義のために勇猛果敢な働きを為したことは、多くの人々にもご存じのことと思われます。
さらに童子の予言は言い当て、後に子供たちの活躍は、里見家再興に奏し、里見義成より領地と姫を授かり、朝廷からは簡易を賜るなど、名誉と富を受けたのでございます。
あとがき
この世で子供たちの顔を見ることや、共に暮らすことは叶いません。
しかし、役を終えた子供たちは、私と八房が眠るこの籠穴に集い、終生見守ってくれたのでございます。
‘私は、里美家に生まれ、母として、世に誇れる八人の子を残し、そして愛する八房と共に、この祠に永職できたことを、心から幸せと思っております。
ほこらに置かれた白い珠は、私と八房と八人の子供たちの【心】と思し召しください。
私共は、国の安泰と自然と人々の営みと、そして皆様の幸福を、いつの御代も永久に、この籠穴でお守りしております。

富山町

詳細情報

名称伏姫籠穴(ふせひめろうけつ)、伏姫籠窟(ふせひめろうくつ)
住所千葉県南房総市合戸
富山麓付近
その他■千葉観光ナビ 伏姫籠穴
https://maruchiba.jp/spot/detail_10418.html

■南房総花海街道 なぜ館山は房総の中心になったの?
https://hanaumikaidou.com/archives/9535
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