船越鉈切神社│館山市浜田

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館山市浜田の船越鉈切神社(ふなこしなたぎりじんじゃ)の概要

船越鉈切神社(ふなこしなたぎりじんじゃ)は、724年(神亀元年)創建の館山市浜田に鎮座する神社です。明治期から終戦期まで村社に列格していました。

館山市浜田の海岸からほど近い小山の中腹(標高約25m)、海岸段丘を大きく削った場所に拝殿が、その裏の大きな洞窟内部に本殿が鎮座しています。

祭神は豊玉姫命(とよたまひめのみこと)です。一方、さまざまな伝承とともに、

  • 刀切大神(なたぎりのおおかみ)
  • 手斧鑿明神(ちょうなのみみょうじん)
  • 稲田媛命(いなだひめのみこと)
  • 藤原 左兵衛丞(海南神社 祭神 藤原 資盈(ふじわら すけみつ)の嫡子 )

とする説もあります(後述)。

当社は往古、鉈切大明神(なたぎりだいみょうじん)上之宮と称し、道を挟んで目の前の海南刀切神社が下之宮で、二社でひとつの鉈切大明神とされていました。

縄文人が住んでいた洞窟と貴重な文化財あり

縄文人が住んでいたという36.8mの大きな鉈切洞穴は県指定史跡、当社の独木舟(まるきぶね)、鰐口(わにぐち)、かっこ舞は館山市指定文化財に登録されています。

2つの「なたぎり神社」

館山市街から安房国西端の洲崎方向に向かい東西方向に走る県道257号(房総フラワーライン)沿い、西岬(にしざき)の警察署の道路を挟んで北と南に二つの「なたぎり神社」、海南刀切神社と船越鉈切神社が鎮座しています。

現在両社は別の神社となっていますが、往時は鉈切大明神(なたぎりだいみょうじん)の下之宮、上之宮という関係だったそうです。

当ページで紹介するのは、南(陸側)の船越鉈切神社(鉈切大明神 上之宮)です。

創建・由緒

724年(神亀元年)の奉斎、明治期から終戦期まで村社に列格していました。

祭神・由緒は文献ごとに異なり判然としません。祭神と出典を以下の表にまとめました。

祭神の一柱は藤原 左兵衛丞か?

神奈川県三浦市に鎮座する相州三浦総鎮守 海南神社の公式HPに、鉈切大明神の祭神は藤原 資盈(ふじわら すけみつ)の嫡男であるという記述があります。藤原 資盈は、864年に三浦半島に流れ着いた人物です。

一方『安房郡誌』には、祭神を天児屋根命四世の裔孫左兵衛丞としています。

二つの話を合わせると、864年以後の時代、藤原 左兵衛丞が祭神として祀られたことになります。

※藤原 広嗣の五代の孫。864年、皇位継承争いに巻き込まれ配流される道中、暴風に遭遇し三浦半島に着岸、同地の長となり、死後は相州三浦総鎮守 海南神社の祭神となりました。

出典

出典情報はこちらをクリック
『千葉県神社名鑑』「船越鉈切神社」抜粋

船越舵切神社 旧村社

祭神
豊玉姫命(とよたまひめのみこと)

由緒沿革
『房総志料続編』巻―二に、「浜田と塩見の堺に手斧切神明といふあり。道を隔てて左右二社有。上の祠下の祠といふ。上の祠の側に大成石窟有。昔手斧切明神使神をして霊区を求む。使神此の地の霊なるを愛し、窟に隠れて復命せず、主神大に怒り、来り責むれどもつひに窟を出ず。故に主神やむを得ず、今の下祠を領すと。下祠を鉈切明神といひ、上祠を船越明神といふ云云」。当社は即ちこの上宮で、中世当地の領主の崇敬篤く、社殿の修築、社領の寄進等のあったことが伝えられている。創建は神亀元年と伝えらる。

『相州三浦総鎮守 海南神社』公式HP抜粋

由緒沿革

御祭神・藤原資盈公は、天児屋根之命之の苗裔である。(中略)公の嫡男の船は房総半島に着岸し、現在の鉈切大明神は資盈公の嫡子を祀ると伝えられる。

『安房志』P186「鉈切神社」抜粋

鉈切神社

西崎村濱田村と見物村の中間に在り 伝言う 稲田媛命を祭祀す 二社通路を隔て相対す 海岸に在るものを 鉈切神社と称す 境内百八十三坪 山上の祠を船越神社と号す 境内五百三十三坪 土人言ふ 古昔此神 上国より船に乗じて 此海濱に来り 手斧を以て巨岩を鑿開して路を通す 故に一神にして船越鉈切の二名ありと云ふ
(中略)

附記

房総志料に 上の社の側に大なる石窟あり 昔手斧鑿明神使神をして勝地を索む 使神此地霊のなるを愛し 岩窟に隠れて復命せず 主神大に怒り来り責むと云へども 卒に窟内に入て出でず 主神已む事を得ず 今の下の祠を領とす 又手斧鑿明神始め窟を穿ちし手斧 何れの頃の主僧にや 洲崎明神の住持となり移転の日 彼寺に 携え往けり 今に養老寺の什器となれりと

相州三浦郡楫谷山神社記曰 安房刀切神社は当神の御子を勧請せりと見ゆ 又口碑曰 往古此邊に紫池と云へるあり 中に巨蛇潜伏し 往々出で出で人民を悩ます 此時相模より割り舟に乗て渡る神あり 一刀以て大蛇を退治し給ふ 故に刀切神と号す 又其割舟は 隣村濱田村に船越神社あり 此に勧請せり 刳舟今尚ほ存す

筆者注
手斧:「なた」と振り仮名が振ってある。
鑿開(さっかい、さくかい):穴を掘りあけること。また、切りひらくこと。
楫谷(しうこく):楫は、かじ、かいと読む。船の道具。
刳舟(わりぶね):現在は「くりぶね」と読む。刳は、刳(えぐ)る、刳(くりぬ)くなどと使う

写真図鑑

社殿

当社の拝殿は洞窟の外、本殿は内部に建てられています。

鉈切洞窟と本殿

本殿は鉈切洞窟の内部に建てられています。

鉈切洞窟は、開口部の高さ4.19m、幅5.85m、最奥部までの長さ36.8m。開口部から奥に進むに従い、徐々に狭くなっていくようです。

縄文時代は住居、古墳時代は墳墓、近世は神域として利用されていたそうです。

『千葉県神社名鑑』「船越鉈切神社」抜粋

鳥居

一之鳥居脇の石燈籠

1818年、北条の加藤伊助によって造られた石灯篭。

やぐら

鎌倉中期から室町時代にかけて、房総半島や鎌倉で作られた武士階級の墓・供養施設とのことです(境内説明書)。

手水石

1855年の手水石。

鉈研ぎ石

浜田洞穴に住む大蛇を退治するために神様が試し切りしたところ真っ二つに割れたという鉈研ぎ石です。

摂社、末社

八幡神社

浅間様

宝蔵と石灯篭

境内説明書

参拝順路

詳細情報

社号船越鉈切神社
ご祭神
境内社浅間様
住所館山市浜田376
その他■館山市立博物館 鉈切大明神
http://history.hanaumikaidou.com/archives/8180

■館山市立博物館 なたぎり
http://history.hanaumikaidou.com/archives/4301

■館山市立博物館 田原長左衛門と石工俵家の世界
http://history.hanaumikaidou.com/archives/13202

■南房総花海街道 西岬地区 見物
https://hanaumikaidou.com/archives/3679

■館山市観光協会 海南刀切神社
https://tateyamacity.com/archives/2547

■人類學雑誌第参拾萱拾壱巻第拾號 大正五年十月ニ十五日(1916年)
 鉈切船越神社所藏の割舟 西村眞次
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ase1911/31/10/31_10_330/_pdf/-char/en

■巨石巡礼 船越鉈切神社/海南刀切神社
http://home.u08.itscom.net/sakura/s_kanto/ti_natagiri/natagiri.htm

参考

上記のWeb サイトのほかに、下記を参考にさせていただきました。

  • 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
  • 『安房志』斉藤夏之助 著 1908年
  • 『日本の神々 神社と聖地 11 関東』谷川 健一 編 1984年
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