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天降神社│香取市本矢作

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目次

香取市本矢作の天降神社(あまくだりじんじゃ)の概要

天降神社(あまくだりじんじゃ)は、1328年(嘉暦三年)または1834年(天保五年)創建と伝わる、香取市本矢作に鎮座する神社です。

香取神宮 境内末社「天降神社」との関係は不明です。

祭神

祭神として次の神様が祀られています。

  • 天御中主命

創建の由来

いくつかの由来が伝わっています。以下に、時代ごとに列挙します。

1328年、後醍醐天皇の神宝を祀り創建

1327年嘉暦二年、「後醍醐天皇」が、皇宮の安産祈願と称し「北条高時」調伏祈願の仰せを下しました。

翌1328年(嘉暦三年)、当地 矢作村に神宝が下され、同年、これを祀り当社が創建されました。社名は、朝廷から下賜されることを「天降る」と言ったことに由来すると言われます。

ところで、「後醍醐天皇」より下された祈願は、「香取神宮」でも行われたと言われます。

参考:『佐原市史』内の『香取新誌』の記述

1834年、御祭神を勧請

1834年(天保五年)、地区の有志が社殿を建立、御祭神を勧請奉斎したと言われてます。

参考:『千葉県神社名鑑』

1848~1855年(嘉永年間)

1848~1855年(嘉永年間)、当地に竜面が天降ったため、祠をたて「天降神社」が創建されました。

干ばつの時にこの竜面を懸け雨ごいをすれば雨が降るといわれており、現在は、「大戸神社」の神宝となっています。

竜面はその製作が奇古で、「人作にあらず」といわれ、裏面に「嘉暦二年三月別当明範」の銘があるそうです。

参考:『佐原市史』

「後醍醐天皇」の呪いの竜面を祀ったか?

上記の3つの伝承は、どれが正しくどれが誤りというわけではなく、

  • 「後醍醐天皇」が当地に天降された、「『北条高時』を呪う竜面」を祀ったのが当社創建の始まり
  • 江戸期、祭神に「天照大御神」を勧請
  • 呪いの竜面は、近隣の「大手神社」へ

と考えるのが自然に思えます。

当社創建の由来の竜面

『佐原市史』によると、当社の竜面は「大戸神社」にあると言います。

「大戸神社」には、蒙古襲来の時に鎌倉武将が奉納したという「羅龍王面」「納曽利面」が伝わります(千葉県指定有形文化財(彫刻)羅龍王面 納曽利面)。

「羅龍王面」には、「嘉歴三年戊辰年三月 別当明範」の銘があり、これは「天降神社」に下った竜面と、名称も記述も大きな相違はありません。

「後醍醐天皇」が「北条高時」を呪い造らせた「羅龍王面」が、「天降神社」創建のきっかけとなった。これは、現在、「大戸神社」の神宝となっている、と考えるのが自然に思えます。

香取神宮 境内末社「天降神社」との関係は?

「香取神宮」境内に、当社と同名の末社があります。こちらの祭神は、「伊伎志邇保神(いきしにほのかみ)」「鍵守神(かぎもりのかみ)」で、現在は、「市神社」(祭神:事代主神)に合祀されています。

同社名にも関わらず、祭神がまったく異なり、共通点が見つかりません。

写真図鑑

拝殿(神楽殿? 能楽堂?)

本殿

背後の御神木

鳥居

境内社

参拝順路

基本情報

社号天降神社
ご祭神天御中主命
境内社
住所香取市本矢作918
その他

参考

下記を参考にさせていただきました。

抜粋

『佐原市史』抜粋

P944

神社名 天降神社

祭神名 天御中主命

創建年代 嘉暦三年

備考 大戸神社の宝物竜面天降るという

『佐原市史』抜粋

P1119

天降神社 本矢作字馬場先にある神社、嘉永年間、ここに竜面が天降ったというので祠をたて、天降神社とよんでいる。干ばつの時にこの竜面を懸け雨ごいをすれば雨が降るといわれている。今、大戸神社の神宝となっている竜面はそのものだと伝えられ、その製作が奇古で「人作にあらず」といわれ、裏面に「嘉暦二年三月別当明範」の銘がある。(市内の文化遺産」参照) 『香取郡誌』には「大戸字宮作に古松あり。里人龍面を樹枝に懸くるを古物とし呼んで雨乞松と称す」とある。今はこの松はない。
『香取新誌』(清宮秀堅著)には、大戸神社の古面について、
嘉暦三年三月、矢作村ニ天降リシモノナリトス、是ハ、後醍醐天皇ノ御世、嘉暦二年ニ、[龍面ニ別当明鑑ト識セリ]中宮僖子御安産ノ細祈リト称シテ、諸寺諸山ノ貴僧ヲ召シテ、宝ハ、北條高時、井ニ其一族ヲ、調伏スベキ由ラ、仰合サレケル、小野文觀僧正浄土寺忠圓僧正ヲパ、別勅ニテ、種々ノ秘方ヲ行ハル、コノヲリ、香取ノ宮へモ、御祈願アラセラレ、楽人楽器等ヲ寄ラレシコトノアリシオ、伝えヘシナルベシ、古へハ、朝廷ヨリ下サルルヲ、天降ルト云へバ、其祠ヲ後ニハ神ニシテ、上天ヨリ降リシモノト言フレシナルベシ、但シ一旦北朝トナリ、下総ハ足利家ノ管國ナレバ、別段其コトヲ秘セシナルベシ
と記されている。

現代語訳

嘉暦三年三月、これ(=当該の宝物・神宝)は矢作村に天から降ったものとされている。

これは後醍醐天皇の御代、嘉暦二年に、「龍の面に、別当・明鑑と記されていたもの」であり、中宮僖子(後醍醐天皇の皇后)の御安産を祈るための密かな祈願であると称して、諸寺・諸山の高僧たちを召し集め、宝をもって、北条高時(天皇と対立)およびその一族を調伏すべきであるとして、仰せが下された。

その際、小野文観僧正、浄土寺忠圓僧正には、別勅によって、さまざまな秘法を修させられた。この折、香取宮においても御祈願が行われ、楽人や楽器などが奉納されたことがあったと、伝えられているのであろう。

古くは、朝廷から下賜されることを「天降る」と言ったため、その後、この祠を神として祀り、天上から降臨したものと語られるようになったのであろう。

ただし、いったん北朝の時代となり、下総国が足利家の管轄国となったため、この件については特に秘されていたものと思われる。

『千葉県神社名鑑』抜粋

天降神社(あまくだりじんじゃ)

祭神
天御中主尊

由緒沿革
地区の有志が相計り社殿を建立、天保五年御祭神を勧請奉斎。

『新修 香取神宮小史』抜粋

大戸神社

佐原市大戸にあり、社家傳説に「天武天皇白鳳年中建此社、所祭手力雄神也」とある。或は云ふ、磐筒男神、磐筒女神、即ち、経津主神の御親神を祭ると。神宝に龍面がある。木にも非ず、金石の類にも非ず、因て人作に非ずとす。昔香取郡矢作野に天降れりと。今此處を天降と称し、里人祠を建てて祭る。早魅する時、乞雨塚と云ふ處に、此の面を出し、三度水を灌ぐ時は、必ず雨を降らすと云ふ。

Webサイト

書籍

  • 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
  • 『新修 香取神宮小史』香取神宮社務所 編 1995年
  • 『佐原市史』佐原市 著 1966年
  • 『千葉県文化財総覧』千葉県教育委員会 1969年
  • 『千葉県文化財総覧 改訂増補版』千葉県教育委員会 1973年

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