鴨川市清澄の天富神社(あまとみじんじゃ)の概要


天富神社は、創建年不詳、鴨川市清澄の清澄山(きよすみやま)の山頂付近に鎮座する神社です。明治期から終戦期まで村社に列格していました。
祭神として次の神様が祀られています。
- 天富命(あめのとみのみこと)
- 事勝國勝長狭命(ことかつくにかつながさのみこと)
- 大山祗命(おおやまずみのみこと)
- 倉稲魂神(うかのみたまのかみ)
後者二柱は1908年の合祀と思われます。当地の往古の地名「長狭郡」と同名の神様の存在が気になります。
清澄山の最高峰 妙見山は標高377mで千葉県三位の高さ。頂上付近には、日蓮が出家・修行をし日蓮宗を開宗した清澄寺(せいちょうじ)があり、その近傍のさらに小高い場所に天富神社が、同寺境内に稲荷堂が鎮座しています。
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参拝日記




高家神社の神職さんより「忌部のことを調べているなら天富神社に行った方が良いですよ!」とご教示いただき、当社のことを知りました。
海辺の安房天津から清澄山頂上までの道中は、300m以上の高低差を直線 6kmで一気に駆け上がるため、とんでもない斜度が延々と続くことになります。筆者は、グラベルロードバイクなら余裕と舐めてかかったのが運の尽き、水分補給エリアも日陰もなく、道中、休んでは進み休んでは進みのカタツムリ登坂となりました。一般の方は、通常のロードバイクか、車やバイクでの参拝をお勧めします。
天富神社と清澄寺の概略年表
- 天富命が妙見山に登る
- 命の旧跡に、住民が命を祀る社を創建
- 771年 (宝亀2年)、清澄寺が開山
- 神仏習合時代、天富神社は清澄寺に所属
- 1233年(天福元年)、日蓮(善日麿、薬王丸)が清澄寺に入山
- 1253年(建長5年) 、日蓮が日蓮宗を開宗
- 明治初期、神仏分離に際し、妙見山を少し下った現在地に遷座
- 1903年(明治三六年)、現社殿に再建
- 1908年(明治四一年)、当地区の無格社山神社と稲荷社を合祀
※②と③は逆転する可能性もあります。
当社創建の理由として、天富命の墳墓があるという富山(とみさん。南房総市)を遥拝するために創建された、という説もあるようです。




天富命はなぜ清澄山に来たのか?
- 近隣で最も高い山を登頂
- 麻栽培の場所探し
- 金属鋳造の場所探し
②に関し、当社の北西2kmに麻綿原高原(まめんばらこうげん)の名が見えます。
③に関し、鴨川市内には「男金神社」「女金山」「金山ダム」「金堀」などの地名が見えます。また、妙見信仰と製鉄には深いかかわりが指摘されています。
創建・由緒
天富神社 旧村社
祭神
天富命(あめのとみのみこと)事勝國勝長狭命(ことかつくにかつながさのみこと)大山祗命(おおやまずみのみこと)倉稲魂神(うかのみたまのかみ)
由緒沿革
創立年代は不詳であるが、古老のロ碑によれば、天富命が当国に渡り国土を経営された時、当山に登られたといわれ、その旧跡に住民が社殿を建てて命を祀られたのが創始であるという。昔は清澄山頂妙見山にあり、清澄寺が社僧であったが、神仏分離に際し現在の地に移ったという。明治六年村社に列した。明治一三年―二月二〇日火災のため全焼、同三六年再建したのが今の社殿である。明治四一年一〇月二三日、当地区無格社山神社・稲荷社を合祀する。
写真図鑑
社殿








天津神明神社の宮司さんが代々管理されている








鳥居




境内社


手水と蛙




足元の岩




草木




天富神社境内地展望台
社殿目の前からは富士山が見えるようで、「関東の富士見100景」に選ばれています。
この日は残念ながらまったく富士山が見えませんでした。いつか見てみたいです。












参拝順路






















基本情報
社号 | 天富神社 |
ご祭神 | 天富命(あめのとみのみこと) 事勝國勝長狭命(ことかつくにかつながさのみこと) 大山祗命(おおやまずみのみこと) 倉稲魂神(うかのみたまのかみ) |
境内社 | |
住所 | 鴨川市清澄323 |
その他 | ■かもがわナビ 天富神社 |
参考
上記のWeb サイトのほかに、下記を参考にさせていただきました。
- 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
- 『日本各地を開拓した阿波忌部の足跡 : 古の『古語拾遺』の記憶. 安房国編』林 博章 編著 2006年
- 『房総地域の山岳宗教に関する基礎的考察』井上 孝夫
- 『安房地域の基層文化』井上 孝夫
- 『房総地域の製鉄文化に関する基礎的考察』井上 孝夫
- 『「鉄の民族」からみた四街道』井上 孝夫
- 『宗祖生国の先住者─安房に移住した阿波忌部族の動向について』石川 修道