館山市大井の手力雄神社の概要


手力雄神社は、館山市大井に鎮座する神社です。明治期から終戦期まで郷社に列格していました。
祭神
祭神として次の神様が祀られています。
- 天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)…主神
- 天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)
- 太田命(おおたのみこと)
社名について
当社々名は、江戸時代までは「神力山神社(みたきやまじんじゃ)」、明治初年に「手力雄神社」と改称しました。
現在、鳥居と社務所の扁額に「神力山(みたきやま)」の文字が見えます。


社名の変遷
参考までに、社名の変遷について、各資料の断片的な情報を時系列に並べました。
- 舎人親王が当社祭神を「見たきの神」と呼んだことから、「見度山(みたきやま)」さらには「神力山」と称す
- 古来、「神力山明神」「安東明神」※と呼ばれる
- 明治初年まで「神力山神社(みたきやまじんじゃ)」と称し、神社制度改正に伴い「手力雄神社」と改称。
一般には「手力雄神社」「手力雄大明神」「大井明神」※「大井大名神」と呼ばれる
- 本件とは関係ないかと思いますが、安房神社も「安東明神」「大井名神」という別称があるようです
創建
当社創建の由来は以下の二つがあるようです。
- 神武元年、忌部族に鎮祭される(『神社名鑑』)。
- 養老二年(七一八)、舎人親王により創建される(神社由緒書)。
忌部氏との関連
次の事柄が、当社と忌部氏の関連を匂わせます。
- 当社祭神の天手力雄命を、天日鷲命(あめのひわしのみこと)の父神とする説がある(『館山市史』等複数の資料)。
- 「忌部と縁者の神々の<神集い>のような感がある」(『館山市史』)と記される「八幡の祭(やわたんまち)」に、当社は出祭する。
当社は、この地に移住した日鷲系の忌部氏が奉斎を開始、養老二年に立派な社殿が築かれたのかもしれません。
余談
忌部氏と手力雄命の関係を匂わせる別の神社に、袖ヶ浦市の「坂戸神社」があります。
「坂戸神社」の祭神は、手力雄命と太玉命で、往古の社名は「磐戸神社」でした。
創建・祭神に関する参考情報
手力雄神社(たぢからおじんじゃ) 旧郷社
祭神
天手力雄神(あめのたぢからおのかみ)
御由緒
神武元年、忌部族が鎮祭した神社と伝承。鎌倉、室町、戦国の時代を通じ各武将より七〇貫文の寄進を受け、徳川時代には四三石三斗の寄進を受けた朱印状を現存している。
手力雄(たぢからを)神社
大字大井に鎮座まします。
祭神は、天手力雄命を主神に、天御中主神(大元尊神)、太田命の三柱である。
天手力雄命は、『古事記』『日本書紀』の岩戸神話に登場し、天の岩戸の重い扉を引き開けて、中にこもられていた天照大神を、表へお連れした神で、お名前は、無双の力の持ち主であることを象徴する。下立松原神社の祭神、天日鷲命の父神である。(平田篤胤説)天手力雄命をお祀りしている神社は、館山市・安房郡を通じてこの一社だけである。
元正天皇の養老二年(七一八)戊午七月の創建と伝えられる。明治初年まで、神力山(みたきやま)神社ととなえた。しかし、一般には、手力雄大明神とか、大井大名神の名で尊崇された。
(中略)
市内屈指の杉の大木がある。本殿は三間社流造。市の有形文化財である。鳥居は寛政年間(一七八九─一八〇〇)に造られた両部鳥居である。


千葉県指定有形文化財(建造物)
手力雄神社本殿(たぢからおじんじゃほんでん)
<県指定:昭和五十五年(一九八〇)二月二十二日>
当神社は、養老二年(七一八)に舎人親王により創建された古社と伝承され、天手力雄命、天御中主命、太田命の三柱の御祭神をお祀りしています。古来、大井大明神や神力山(みたきやま)手力雄大明神とよばれ、明治時代の初めには手力雄神社と称し人々に尊崇されてきました。
社殿の形式は三間社流造りといい、神社建築の本殿の形式としては、全国的に多く用いられているものです。
屋根は現在檜皮葺ですが、昭和一五年(一九四〇)、屋根を修理する時に覆屋を取り除き柿葺を檜皮葺に改め、千木、勝男木を置きました。前方に二重に浜床を設け、正面、両側面の三方に回縁をめぐらし、擬宝珠付高欄、登高欄、脇障子を付けています。全体に朱塗りが施され、彫刻も極色彩で色どりよく仕上げられています。
この建築の特徴は、墓股や拳鼻、花肘木・蓑束等の装飾部分の様式で、浮彫様の趣向がこらされた点には中世末の地方的装飾法がみられます。また、手挟の先端や通肘木に各種の地紋彫をしている点は桃山時代の建築様式の一技法で、二つの装飾技法が入りまじった独特の雰囲気を出しています。地方色のかなり強烈な建築といえるもので、天正十二年(一五八四)に里見義頼が大檀那として神社を造営したときの棟札と時期が一致するものと考えられています。
しかし、向拝の虹梁や蟇股、木鼻影刻、脇障子や、妻飾などには江戸時代中期の特色を示すところがあり、神社の記録から、元禄十六年(一七〇三)の元緑地震後、宝永六年(一七〇九)に修理・改修が加えられた部分が含まれていることがわかります。
昭和一五年までは覆屋のなかにあったため、よく保存がなされています。
令和七年三月 館山市教育委員会
写真図鑑
社殿周辺の風景












拝殿




















本殿(千葉県指定有形文化財)
中世末・桃山時代・江戸時代中期の技法が見られるという、大変古い本殿は、昭和一五年まで覆屋のなかにあったため、よく保存されているそうです。




















入口、鳥居


















狛犬
















常夜灯








小祠、石碑等




手水舎、社務所








ご神木








石碑




その他




参拝順路
行き


養蜂所さんが飼われている(?)鷹が、鋭い目で見てくる。


















帰り








基本情報
社号 | 手力雄神社 |
ご祭神 | |
境内社 | |
住所 | 館山市大井1129 |
その他 |
参考
上記のWeb サイトのほかに、下記を参考にさせていただきました。
- 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
- 『館山市史』館山市史編纂委員会 編 1981年
https://dl.ndl.go.jp/pid/9642196