香取市返田(かやだ)の返田神社(かやだじんじゃ)の概要


返田神社(かやだじんじゃ)は、香取市返田(かやだ)に鎮座する神社です。
香取神宮の第一摂社で(ほかに側高神社も第一摂社)、明治期から終戦期まで村社に列格していました。
創立年は、不詳とも、香取神宮創建と同時の神武天皇一八年とも言われています。
「返田」の地名は、昔、「萱田」とも書いたため、「返田神社」は「かえだじんじゃ」でなく「かやだじんじゃ」が正しそうです。
軻遇突智神(かぐつちのかみ)を祀る悪王子神社(あくおうじじんじゃ)
祭神として次の神様が祀られています。
- 軻遇突智神(かぐつちのかみ)
- 埴山姫神(はにやまひめのかみ)(または埴安姫神(はにやすひめのかみ))
自らの母神を死に追いやった加具土命(かぐつち-)を祭神とするため、古来より「返田悪王子神社」(かやだあくおうじじんじゃ)とも呼ばれていました。
六十六の一宮の石祠、真っ赤な本殿
参詣路の両脇に、日本全国の一宮の石祠がずらりと66基も並んでいます。お気に入りの社を探してみましょう(安房神社はありません)。
当社の真っ赤な本殿は大変見事です。犬もしくは狼の木鼻は、房総ではかなり珍しいので、是非観察してみましょう。


創建・由緒
返田神社
また萱田とも作る。佐原市返田にある。細祭神は軻遇突知(かぐつちの)命、埴安姫(はにやすひめ)神。世人、此の神を惡王子(あくわうじの)神とも云ふ。是は母神所焦退給ふ故に然か云ふと。(後略)
返田神社
返田字宮本に鎮座。祭神は正殿に軻遇突知命、相殿に埴山姫神を祀る。もと香取神宮の摂社に属し、別に返田悪王子神社といわれた。社伝によると、本宮香取神宮の神武天皇一八年と同時に創建し、古来社殿の造営修理などみな本宮と同年に行なわれ、その費用は官から賜わったとしている。(中略)
境内の参道の両側には、日本国中の一宮の石祠がある。社寺明細帳にはその由緒として「天神地祇ノ石標ノ裡面ニ国中一宮六十六箇加之以伊勢両宮与天神地祇惣六十九社用石為詞文化三年丙寅十月吉辰発願人黒田三右衛門豊昌ト鐫付有之」と記している。つまり、文化三年(一八〇六)中、返田村の素封家黒田三右衛門豊昌という人は、敬神の念篤く、伊勢講発願の記念として、社前に六六社を経営し、その意をあらわしたものである。その後、伊勢参宮をする者は、社頭に詣で旅行安全を祈願し、出発の元標を鳥居前をよこぎる坂上の樹上高く掲げ、下郷して標をはずす。これをボンデン(筆頭に藁でつくった束子ようのものをさす)というが、今もこの坂をぼんでん坂と称している。
返田神社(かえだじんじゃ) 旧村社
祭神
軻遇突智神(かぐつちのかみ)、埴山姫神(はにやまひめのかみ)
由緒沿革
創立不詳。当社は香取神宮第一摂社で、神宮大祭のうち霜月一三日の返田祭には大宮司以下神官が参向して祭典を執行、明治維進後も神宮の支配で祭典を行ない、現在も神宮より奉幣使が参向される。古来当社を返田悪王子神社とも称し、長治三年の香取古文書に「寄進悪王子御社神田事合三段半在草那谷里云々」と記し、また康永四年ーニ月の同古文書に「香取大神宮廿年一度造替云々」の項に「一宇返田悪王子神社国司御沙汰の由」とあり、神宮と共に社殿が改造され、元禄より天明まで香取神宮の経毀を以って奉祀された。

御祭神
軻遇突智大神、埴山姫大神
写真図鑑
社殿周辺の風景




拝殿





本殿




本殿の彫刻













鳥居




常夜灯




日本国中の一宮の石祠
江戸時代の1806年、返田村の黒田三右衛門豊昌という人が伊勢講発願の記念として造営した六六社の小祠です。



右:下総国香取郡
香取大神宮 経津主神

玉前太明神 前玉命
右:名称不明の小祠
順番的に「安房国 安房神社」か?
屋根の綺麗な状態から、故意に社名を削ったような雰囲気が感じられる

左:伯耆国川村郡
倭文太明神 建羽槌命
右:因幡國法美郡
宇倍太明神 武内宿禰

物部大明神 宇摩志間治命
右:出雲国神門郡
杵築宮 大己貴神
境内社、摂社、末社





手水舎、社務所


御神木


石祠には「大杉大明神」とある
巨木


その他



参拝順路









基本情報
社号 | 返田神社 |
ご祭神 | 軻遇突智神(かぐつちのかみ)、埴山姫神(はにやまひめのかみ) |
境内社 | |
住所 | 香取市返田729 |
その他 |
参考
上記のWeb サイトのほかに、下記を参考にさせていただきました。
- 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
- 『新修 香取神宮小史』香取神宮社務所 編 1995年
- 『佐原市史』佐原市 著 1966年
- 『鹿島神宮』東 実 著 1968年