匝瑳市八日市場イの八重垣神社の概要


八重垣神社は、匝瑳市八日市場イに鎮座する神社です。明治期から終戦期まで村社に列格していました。
祭神として次の神様が祀られています。
- 神素盞之男命(すさのおのみこと)
- 事代主命(ことしろぬしのみこと)…大国主神の子神
- 稲生大神(いなおおおかみ)…稲荷大神と同一か?
創建の概略
弘仁年中(810~824年)、物部匝瑳 足継(もののべそうさ たりつぐ)が、その祖、物部小事(もののべのおごと)の記した八雲神詠の大塚を築き、のちにこれを勧請したのが当社の由来とされます。
正中二年(1347年)より「牛頭天王」と称し、明治二年(1869年)に「八重垣神社」と改称しました。古くは「福岡明神」とも称していました(八日市場町の旧町名は福岡町)。
上記の物部小事のエピソードに関し、『八日市場市史』は、生尾神社(匝瑳郡総鎮守の式内社)の由緒とほぼ同じであるため明治初年に新たに追加したものだろう、としています。確かに、物部小事と「八雲神詠」は、あまり関係がないように思えます。ともかく、当社は須佐之男命系の神社を勧請したのでしょう。
ところで、勧請元についての情報が見つかりません。出雲大社か、足継同名の社か、「福岡明神」の別称のごとく福岡県の社か。
- 島根県松江市佐草町227
- 香取市新里983
- 茂原市猿袋835
- 長生郡睦沢町大谷木530
- 熊本県玉名市永徳寺430
- 正八幡宮(福岡県行橋市神田町8-1)の境内社「八重垣さま」
「匝瑳市八日市場八社参り 短路コース」の判子


八社参り短路コースの判子はお賽銭箱の左手に掛けられています。
八社参りのスタンプラリーについては下記をご覧ください。
創建・由緒
八重垣神社 旧村社
祭神
神素盞之男命(すさのおのみこと)事代主命(ことしろぬしのみこと)稲生大神(いなおおおかみ)
由緒沿革
弘仁年中、外物部匝瑳連足継公の勧請。古くは福岡明神と称され、享禄三年神興を新造し大祭を執行す。明治二年別当寺見徳寺に仏祭の神体を分かち、当社は御神家にちなみ八重垣神社と改称す。
第三編 寺社編 一 中央区地
八重垣神社
東本町字大塚(イの二四九〇番地)にある。『匝瑳郡誌』に「正中二年(一三四七)より牛頭天王と称す。明治二年に至り八重垣神社と改称す。祭神は素盞嗚命にして弘仁三年(八一二)二月、物部匝瑳連足継公鎮守将軍として本州を鎮せし時、その祖小事大連の真蹟に係る、八雲神詠の大塚を築て、ここに奉安し、後これを勧請せしものなりという」とある。この社伝は「生尾神社」の由緒とほぼ同じであり、おそらく明治初年の神社名改称の際に生まれたものであろう。さらに『匝瑳郡誌』には「中古神社改造の棟札、正中二年乙丑八月十五日遷宮と記したるもの今本殿に存すのみにして、その余の記録、宝物はともに天保十一年(一八四〇)二月、間様(火災)の災に罹り焼燼す」とある。つまり、同神社も天保の大火で焼失したのである。
写真図鑑
拝殿
1666年に社殿を焼失、1715年に社殿建立、1808年に改修し現在にいたるようです。












拝殿向拝の彫刻
















本殿










狛犬








鳥居




境内社




小祠、石碑等








手水舎・社務所




その他




浅間神社か?
境内風景




参拝順路














詳細情報
社号 | 八重垣神社 |
ご祭神 | 神素盞之男命(すさのおのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、稲生大神(いなおおおかみ) |
境内社 | |
住所 | 匝瑳市八日市場イ2940 |
その他 | ■匝瑳市 8月 八重垣神社祇園祭 https://www.city.sosa.lg.jp/page/page000941.html ■匝瑳市観光協会 八重垣神社祇園祭 https://sosa-kanko.com/blog/2023/07/20/fest-gion/ ■匝瑳市八日市場 八重垣神社祇園祭 http://yaegaki.web.fc2.com/ ■千葉観光ナビ 八重垣神社 https://maruchiba.jp/spot/detail_10222.html |
参考
- 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987
- 『八日市場市史』八日市場市史編さん委員会 編 1987年