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押手社│鹿嶋市城山

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鹿嶋市城山の押手社(おしでのやしろ)の概要

押手社(おしでのやしろ)は、創建年不詳、鹿嶋市城山に鎮座する鹿島神宮 境外末社です。

「茨城県立鹿島高等学校附属中学校」と民家の間、猫の額よりは広そうな、何とも言えない木立の茂みのなかにあります。

祭神は押手神(おしでのかみ)

「押手」「璽」(おしで)とは、この場合は天皇の印章を意味すると思われます。「神璽」(しんじ)とも書くようです。

当社祭神は、朝廷から奉納された押手(=天皇の印章)を神格化したもののようです。

神輿の形の社殿?

書籍『鹿島神宮』に、光仁天皇の治世(770~781年)、押手を運んできたお神輿をそのまま社殿とし、いまでも社殿は神輿の形をしている、とあります。

一方、現在の社殿は、流造の一般的なものです。

往古の神輿の形状は見当がつきませんが、参考として、香取神宮 末社 押手神社(おしでじんじゃ)の写真を掲載しておきます。

鹿島神宮 押手社と香取神宮 璽神社(おしでじんじゃ)

参拝の難易度高し

当社の鎮座場所は、学校と民家の狭間に位置する境界のないグレーゾーン、もしくは、完全に学校のなか、という認識が正しいかもしれません。

安全と思われる参拝経路を後述しますので、自己責任でご参拝ください。

筆者は当日、多数の学生や先生方とすれ違いましたが、”あえて挨拶しない”というリスクヘッジを適用。行きかう人々とは一切目を合わせず、真摯な態度で鳥居と社殿のみに向き合い、「うわ、またこういう(神社好きの変わった)人が来てる…」と思わせることで、不要な災厄から逃れることができました。

当社に、「警察を呼ばれませんように」とお願いするのは本末転倒でしょうか。

創建・由緒

『鹿島神宮』抜粋

P159

押手社[末社]

押手(おしで)の神とは「神璽」のことである。光仁天皇の御代に朝廷から神璽を奉納され、その時にかついできた神輿をそのまま社殿とし、いまでも社殿は神輿の型である。

『鹿島町史 第1巻 鹿島の歴史』抜粋

押手神社
鎮座地 宮中・押手
御祭神 押手神

境内由緒書 抜粋

末社 押手社(おしでのやしろ)

祭神 押手神(おしでのかみ)

押手とは印のことで社も都から神璽(しんじ)を運んだ輿の形をしています

写真図鑑

社殿

鳥居

形状は鹿嶋鳥居。

参拝順路

安全そうな参拝経路は、学校の正門の西側、薬局の目の前の道を北進、民家や学校、すれ違う生徒・先生には一瞥もくれず、いかにも「歴史好きの変わった観光客」然で、ひたすら鳥居と社殿を目指しましょう。

基本情報

社号押手社(おしでのやしろ)
ご祭神押手神(おしでのかみ)
住所鹿嶋市城山2-2
その他■鹿島神宮
https://kashimajingu.jp

参考

上記のWeb サイトのほかに、下記を参考にさせていただきました。

  • 『鹿島神宮』東 実 著 1968年
  • 『鹿島町史 第1巻 鹿島の歴史』鹿島町広報課内鹿島町史編さん委員会 著 1972年
  • 『鹿島町史 第2巻 鹿島の文化史』鹿島町広報課内鹿島町史編さん委員会 著 1974年

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