鹿嶋市浜津賀(はまつが)の鹿島神宮 北の一之鳥居の概要


鹿島神宮「北の一之鳥居」は、神宮本殿の北北西9.8kmほど、鹿嶋市浜津賀(はまつが)の森の中に屹立する大鳥居です。2017年に地元の方々により再建されたそうです。
当地はかつて、「神戸原(ごうどはら)」の「神戸森(ごうどのもり)」と呼ばれていたそうです。「神戸」とは、神社に仕える人々、もしくは、租庸調を納める人々のことです。
10kmも離れた当地に一之鳥居があるとは、往古の神領の広大さを伺えます。建葉槌率いる香々背男討伐隊はこの道を通ったのでしょうか? わくわくしますね。
千葉県の神戸の話
余談ですが、館山市の安房神社近隣にも「神戸」地区があります。こちらは「ごうど」でなく「かんべ」と読みます。語尾に「だんべ」を付けがちな我々の口癖は、往古からあるのでしょうか。
余談の余談ですが、千葉県には他にも似たような地名がたくさんあります。調べていったら面白いかもしれません。
- 佐倉市の神門(ごうど)
- 市原市の神門(ごうど)
- 富山町の合戸(ごうど)
- 勝浦市の郷渡(ごうど)
鳥居の形状
当鳥居の形状はその名も「鹿島鳥居」型式、材質は表皮を剥いただけの木材で、現在神宮の前に屹立する大鳥居と同じ、古式にのっとった造りをしています。笠木(横向きの円柱の木材)の太さが左右で異なり、外側から見て左が太い方と決まっています(鹿島神宮以外はすべて逆)。注意して見てみると面白いです。

笠木は、外側から見て左が太い

左が太い?
東西南北の一之鳥居
神宮の一之鳥居は、神宮より離れた場所に東西南北それぞれ四基あり、当鳥居は神宮の北の神戸の森を守っています。往古は、四基の鳥居は道案内の神「岐神」(くなどのかみ)を祀るとされ、下記のように神宮の陸・海・湖の入り口を守っています。
- 東の一之鳥居 明石の海岸
- 西の一之鳥居 大船津の湖岸
- 南の一之鳥居 神栖町息栖の川岸(息栖神社一之鳥居)
- 北の一之鳥居 大野村浜津賀の神戸森
創建・由緒

鹿島神宮一之鳥居建立記念
奉納
中島ビニール加工 日立市
治革
鹿島神宮はかつて東西南北に一之鳥居があった。東は明石、西は大船津、南は日川、北は当地浜津賀である。
ここ一之鳥居の建立されている周辺は神戸地区といわれ文字通り鹿島神宮への玄関口の意味でその地名が残っている。
隣接する戸隠神社の境内は神戸森と呼ばれ黒松の巨木が立並ぶ森が形成されていた。その姿は海上から見ると突出しており沿岸漁業者の漁場の位置取りや海上交通の目印として鹿島神宮の森、筑波山、日立銅山の煙突等との組合せで重要な役割を果たしていた。
沖合の海底には神戸根と呼ばれる岩礁群も存在している。
この地方では神戸様という言葉が通用し浜津賀地区をはじめ多くの人々が戸隠神社のことを神戸様と呼んでいる。
一之鳥居は神戸でありその存在は地域の人々の生活や文化等に大きな影響をもたらしてきた。
ここに久しく浜津賀地区関係者が発起し中島ビニール加工様はじめ関係各位の協力を得て一之鳥居を再建することができた。
P726 明石の息栖神社
(中略)
明石の海岸に、鹿島神宮の東の大鳥居がある。この大鳥居は次の四ヶ所に在り、岐神がまつられているのであるが、特殊のまつりはない様である。
東の一之鳥居 明石の海岸
西の一之鳥居 大船津の湖岸
南の一之鳥居 神栖町息栖の川岸
北の一之鳥居 大野村浜津賀の神戸森
写真図鑑
内側(南側)からの写真




外側(北側)からの写真




戸隠神社が鎮座
鳥居脇には戸隠神社が鎮座しています。
こちらは信濃国の戸隠神社の勧請、祭神は手力雄男命(たぢからおのみこと)で、鹿島神宮とは直接関係なさそうです。説明書の祭神名に「雄男」と書いてありました。


基本情報
名称 | 北の一之鳥居 |
ご祭神 | 岐神 |
住所 | 鹿嶋市浜津賀 戸隠神社(鹿嶋市浜津賀734)の目の前 |
その他 | ■鹿島神宮 https://kashimajingu.jp ■きっとあなたも撮りたくなる!鹿嶋の意外を巡ろう! – 鹿嶋市ホームページ https://city.kashima.ibaraki.jp/site/kankou/9338.html |
参考
上記のWeb サイトのほかに、下記を参考にさせていただきました。
- 『鹿島神宮』東 実 著 1968年
- 『鹿島町史 第1巻 鹿島の歴史』鹿島町広報課内鹿島町史編さん委員会 著 1972年
- 『鹿島町史 第2巻 鹿島の文化史』鹿島町広報課内鹿島町史編さん委員会 著 1974年