生実での麻織物づくり
生実(おゆみ)地区は、千葉市の南端付近、西に延びる丘陵の西端に位置します。西には東京湾に面する低地が広がり、南には小櫃川流域の低地を見下ろす地形です。往古には、西方には海越しに富士山を望み、南方には広大な穀倉地帯が広がっていたことでしょう。
また、生実や周辺の椎名崎・ちはら台一帯からは、大型古墳や多くの古代遺物が出土しており、古くから人々が定住し、当時としては高度な文化的生活が営まれていたことが明らかになっています。
本稿では、生実地区および村田川流域における麻織物生産と、これに関わった忌部氏に焦点を当てます。
「生実」の地名
「生実(おゆみ)」や「おゆみ野」という地名は、麻織物やその担い手を意味する「麻績(をうみ・おみ)」に由来するという説が広く知られています。
【麻績(をうみ・おみ)】麻織物、または、その担い手のこと
さらに検討を進めると、古代房総において麻布生産を担った忌部氏(いんべし)の関与が浮かび上がってきます。
七廻塚古墳の機織乙女伝承と「大鳥神社(鷲宮)」
生実には、全長約63mを測る市内最大級の前方後円墳「大覚寺山古墳」があります。その西側、現在の千葉市立生浜東小学校の校庭には、直径約54mを誇るやはり市内最大級の円墳「七廻塚古墳(ななまわりづかこふん)」(姫塚)が存在していました。

(『千葉市史 史料編 1 (原始古代中世)』の該当箇所をカラー化)
| 古墳名 | 大きさと形状 | 築造時代 |
|---|---|---|
| 七廻塚古墳(姫塚) ※現在は消失 | 直径約54m 千葉市内・村田川流域最大級の円墳 | 古墳時代中期(5世紀頃) |
| 大覚寺山古墳 | 全長約63m 市内最大級の前方後円墳 | 古墳時代前期(3世紀後半〜4世紀末) |

(『絵にみる図でよむ千葉市図誌 上巻』「北生実村絵図」(1751年か))

機織り乙女の伝承
この古墳には機織り乙女の伝承が伝わります。古墳の周囲を片足で七度巡ると、美しい乙女が機を織る姿が現れる、あるいは機の梭(おさ)※の音が聞こえるとされ、古くから神聖視されてきました。
- 梭・杼(ひ・さ)は機織りで用いられるシャトルのこと

鴨川市 郷土資料館の常設展示を筆者が撮影
当地で機織が行われていた記憶を伝える興味深い伝承です。
大鳥神社(鷲宮)
さらに、この古墳の上には、かつて天日鷲命を祀る「大鳥神社(鷲宮)」が鎮座していました。天日鷲命は麻織物を司る忌部氏の祖神であり、その後裔が阿波から房総へ渡り、麻布生産を広めたと伝えられています。

(『千葉市南部の歴史』の該当箇所をカラー化)
| 社名 | 大鳥神社(鷲宮) |
|---|---|
| 祭神 | 天日鷲命 |
| 住所 | 生浜東小学校の校庭にかつて鎮座 |
生実において麻織物に従事した集団が、この神を祀ったと考えられます。
現在、「七廻塚古墳」および「大鳥神社」はともに失われ、跡地は東小学校のグラウンドとなっています。「大鳥神社」は近隣の「生実神社」に合祀されたと伝えられます。境内にそれらしい祠はないようで、本殿にお祀りされているのかもしれません。
生実の北側への展開
東小学校から北へ約1.2km、生実川と生実池を挟んだ対岸の台地には、「鷲宮神社」が鎮座しています。ここでも天日鷲命が祀られており、周辺はかつて「鷲宮台」「鷲宮下」と呼ばれていました。

| 社名 | 鷲宮神社 |
|---|---|
| 祭神 | 鷲宮大神(わしみやのおおかみ)、天日鷲命 |
| 住所 | 千葉市中央区大巌寺町96 |

上中央:大巌寺
その南南西:鷲宮神社・鷲宮台・鷲宮下
(『千葉市史 史料編 3 (近世)』「生実郷小字図」を抜粋)
このことから、生実集落だけでなく、周辺一帯において広く麻織物生産が行われていた可能性が考えられます。
大百池(おおどいけ、麻潤池)と麻績伝承
東小学校の南東約900mには、全長約230メートルの大百池があります。この池は、古く麻績氏が麻を浸し繊維をとったり、麻布をさらした場所とされ、「麻潤池(ヲホドイケ)」が転じて現在の名称になったと伝えられています。
この池と麻織物との関係については、以下のような伝承が残されています。
- 古代、この地域は麻績(おみ)氏が開発し、麻布を生産するため、この池で布をさらしたことから、この池の名称が着いたといわれています。(池の南にある説明書)
- 太古、麻の生産地で麻潤池(ヲホドイケ)の意で麻を耕作した池とも言われ(『政令指定都市へのあゆみ』P305)
- 大百池は、古代麻績連(おみのむらじ)が麻を浸して繊維をとったという伝承をもっている。(『絵にみる図でよむ千葉市図誌 上巻』P343)

麻織物の製作には、原料となる麻茎や麻糸は、加熱と冷却の工程を何度も繰り返すことで、ようやく柔らかな織物に仕上がるといわれます。この池がその作業場であったのでしょう。
吉野氏と麻績連
9世紀中頃、大和国吉野郡の大領を務めた吉野家の後裔に、「豊足」という人物が伝えられています。「豊足」は当地・生実に移住し、ここで「豊麿」という子をもうけました。「豊麿」は祖先の系統を継ぎ、氏を「吉野」、姓を「麻績」とし、神々を篤く崇敬しました。その子孫は「麻績連(おみのむらじ)」を称し、「八剣神社」の神官職を代々務めました。

| 社名 | 八剣神社 |
|---|---|
| 祭神 | 日本武尊(やまとたけるのみこと)含む三柱 |
| 住所 | 千葉市中央区南生実町880 |
八剣神社の神主である吉野氏の文書によれば、麻績連は麻植(おえ)の祖神「長白羽神(ながしらはのかみ)」の後裔であり、吉野氏の祖先は「麻績神祠(おみのかみのほこら)」を奉斎していたと記されています。
「長白羽神」は、『古語拾遺』に登場する忌部氏の祖神の一柱です。伊勢国の麻績の祖とされ、天照大御神の天岩戸隠れの際には、
- 「長白羽神」が麻で青和幣(あおにぎて)を調製
- 「天日鷲神」「津咋見神」が穀木(かじのき)で白和幣(しろにぎて)を調製
したと伝えられています。つまり、吉野氏は「天日鷲命」と近しい関係の忌部氏の末裔ということになります。
ここまでのまとめ
上述の場所を地形地図に落とし込みました。

赤:麻織物に関連する神社/遺跡
紫:麻織物に関連する地名、場所
灰:その他の神社
成田市北部では、麻からの製糸を行う地域(麻生集落)と機織りを行う地域(羽鳥集落)を分け、地域ごとに分業を行っていたことが伝わっています。生実においても、大百池で製糸を、東小学校周辺付近で機織りが行った、そんな情景が浮かんできます。
生実周辺は、神社・遺跡・地形・伝承の四点から見て、古代の麻織物生産と忌部系集団の活動を示す重要地域といえそうです。
村田川流域での麻織物づくり
「生実」の南には、東西方向に村田川が流れています。村田川流域の麻織物づくりについては、現在も調査中ですが、「生実」からほど近い下流域で、いくつか麻織物づくりが行われていたであろう痕跡が見られます。
菊間
生実の南、村田川を挟んだ対岸の台地に、菊間と呼ばれる地域があります。
この地に鎮座する「阿波能須神社(あわのすじんじゃ)」の境内由緒書に、当地・菊間に移り住んだ忌部氏が麻と穀物の栽培に成功した、と記されています。

| 社名 | 阿波能須神社(あわのすじんじゃ) |
|---|---|
| 祭神 | 天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと) |
| 住所 | 市原市菊間2341−2 |

「阿波能須神社」の祭神は「天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)」という女神で、上述の「天日鷲命」とは別系統の忌部氏祖神です。
ところで、菊間周辺からは総数50基におよぶ多数の古墳が見つかっており(菊間古墳群)、古墳時代前期から中期の大型古墳も複数存在します。
| 古墳名 | 大きさと形状 | 築造時代 |
|---|---|---|
| 菊間新皇塚古墳 | 全長60m近くの 前方後方墳か? | 古墳時代前期(3世紀後半〜4世紀中葉) |
| 北野天神山古墳 | 全長約90mに復元される 前方後円墳 | 古墳時代前期〜中期 |
| 姫宮古墳 | 全長47m 前方後円墳 | 古墳時代前期〜中期 |
| 東関山古墳 | 約90m級(推定) 前方後円墳 | 古墳時代中期〜後期(未確定) |
| 菊間天神山古墳 | 直径約44m 円墳 | 古墳時代中期末〜後期初頭 |
生実と菊間は、前期~中期の大型古墳の周辺に麻織物づくり集団がいた可能性がある、という点で共通しています。
飯香岡八幡宮
村田川の河口域の低地、八幡宿駅の西側に「飯香岡八幡宮(いいがおかはちまんぐう)」が鎮座しています。675年(天武天皇 白鳳三年)勧請と伝わる古社で、「神功皇后」「応神天皇」「玉依比咩命」が祀られています。

| 社名 | 飯香岡八幡宮 |
|---|---|
| 祭神 | 応神天皇含む十柱 |
| 住所 | 市原市八幡1057-1 |
この神社の境内には、「阿葉大杉神社」と刻された石碑が建っており、「天日鷲命」が祀られています。神主様から、この石碑は当社境内のほど近い場所に建っていたが、当社に遷座した。なぜ大杉神社に「天日鷲命」が祀られているのかは不明、とご教示いただきました。
- 全国の「大杉神社」の本宮である茨城県稲敷市阿波の「大杉神社」は出雲系の神様を祀る

また、当社の北西の上総・下総の境界付近に、村田村服部という地区がありました(現:中央区村田町の一画)。服部(はっとり)や羽鳥(はとり)は、機織(はたおり)が転じたもので、麻布が生産されていた場所に今も残る地名と言われています。
これらの石碑や地名から、丘陵上に住んでいた麻織物製作集団が、村田川河口の低地に移住したことが伺えます。
まとめ
上述の場所を地形地図に落とし込みました。
生実の集団、菊間の集団ともに、東京湾を望む丘陵の西端付近に居住していたことがわかります。

赤:麻織物に関連する神社/遺跡
紫:麻織物に関連する地名、場所
灰:その他の神社
彼らは、村田川下流の広く豊かな平地で麻栽培や稲作を行い、台地上の池で製糸、その周辺で織物製作を行っていたのかもしれません。
生実・菊間両集落ともに、近隣に古墳時代前期~中期の大型古墳が見つかっています。千葉県の他の地域でも、日鷲系神社と大型古墳がセットになっているケースがあります。
今後も、村田川流域の神社を調べるとともに、神社・遺跡・地形・伝承の四点から、古代の麻織物生産・忌部系集団の活動・それらの年代を調べていこうと思います。
参考
下記を参考にさせていただきました。
抜粋
─
Webサイト
- 菊間古墳群【考古】|市原歴史博物館
https://www.imuseum.jp/siryo_chosa_kenkyu/kenkyu/note/310.html - 房総の古墳を歩く/市原市北部の古墳
https://www.haniwakan.com/kenkyu/boso/hokubu.html
書籍
- 『千葉市風土記 : 郷土史読本』
- 『千葉市史 第1巻』千葉市史編纂委員会 編 1974年
- 『千葉市南部の歴史』宍倉健吉 原著, 千葉市史編纂委員会 編 1986年
- 『千葉東南部ニュータウン 4 (生浜古墳群)』千葉県文化財センター 編 1977年
- 『千葉市の民俗芸能』千葉市教育委員会 編 1981年
- 『千葉市風土記 : 郷土史読本』千葉日報社編集局 編 1981年
- 『千葉県の不思議事典』森田保 編 1992年
- 『千葉市史 史料編 1 (原始古代中世)』千葉市史編纂委員会 編 1976年
- 『千葉歴史散歩 : 50コース』千葉歴史散歩編集委員会 編 1980年
- 『政令指定都市へのあゆみ』千葉市 1993年
- 『絵にみる図でよむ千葉市図誌 上巻』千葉市史編纂委員会 編 1993年
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