序論
「生実(おゆみ)」「おゆみ野」という地名は、麻織物づくりやその職人を意味する「麻績(をうみ・おみ)」に由来するという説が広く知られています。当サイト筆者が丁寧に調べたところ、これに付随する情報として、古代の房総において麻布づくりを広めた忌部氏(いんべうじ)の関与が、新たに浮かび上がってきました。
忌部氏は、古代より天皇家に仕えた名門氏族で、宮中祭祀に携わるとともに、祭祀用具の制作や宮殿造営などを担いました。令和天皇の即位儀礼である大嘗祭に際し、その子孫が麻織物を調進したことが報じられ、記憶にとどめている方もおられるでしょう。
伝承によれば、初代神武天皇の時代、天皇の命により忌部氏の首長らが房総へ赴き、開拓にあたったとされます。彼らは各地で麻織物づくりや水田稲作を広め、麻織物の祖神とされる「天日鷲命」の社を創建しました。現在も千葉県内、とりわけ下総地方には同神を祀る神社が数多く鎮座し、その周辺には麻織物に関連する地名が残されています。これらは、古代以来の麻生産の痕跡を今に伝えるものといえるでしょう。

(当サイト筆者作成。合祀・遷座による重複を含む)
生実についても詳細に検討したところ、古墳時代前後には忌部氏系の人々が麻織物づくりに関与し、その後、平安期にはやや系統を異にする麻神信仰の神官層が定着し、地域の鎮守へと展開していった可能性が見えてきました。
本稿では、麻織物づくりに関連する神社・伝承・遺跡・地名を整理し、地図上に可視化しました。往古の生実集落において麻織物づくりが営まれていたであろう情景が、徐々に輪郭を帯びてきます。
生実集落周辺の麻織物づくりに関連する神社・伝承・遺跡・地名
赤:麻布神を祀る神社、関連遺跡
緑:麻織物生産に関連する地名、場所
【廃社】大鳥神社(鷲宮、鷲宮社、鷲宮大明神)

(『千葉市南部の歴史』の該当箇所をカラー化)
| 祭神 | 天日鷲命 |
|---|---|
| 住所 | 生浜東小学校の校庭にかつて鎮座 |
創建年・由緒不詳、かつて千葉市立生浜東小学校の校庭にあった「七廻塚古墳(ななまわりづかこふん」(後述)の上に鎮座していた社(祠)です。

(『絵にみる図でよむ千葉市図誌 上巻』「北生実村絵図」(1751年か))

祭神は麻植神「天日鷲命(あめのひわしのみこと)」です。
明治四三年(1968年)、北生実の鎮守「生実神社」(当時の社名は「御霊社」)に合祀されたと言われます。
【消滅】七廻塚古墳(姫塚)

(『千葉市史 史料編 1 (原始古代中世)』の該当箇所をカラー化)
生浜東小学校(当時の生浜中学校)の校庭にかつて存在した、五世紀半ばの築造、直径54m、高さ8.8mの市内最大の古墳です。墳上にあった「大鳥神社」とともに現在は消滅しています。
昭和33年、校庭拡張工事に先立ち記録保存調査が行われ、被葬者とともに多数の遺物が出土しました。被葬者は、麻績連であろうという説があります。
当塚の名称は、次の伝承に由来します。
この塚を片足で七回左まわりすると、美しい乙女が機を織っている姿が現れるとか、梭(おさ)の音が聞こえてくるといわれ、神聖視されていた。
- 「梭・杼(ひ・さ)」は機織りで用いられるシャトルのこと
かつて当地で機織が行われていたことを偲ばせる、美しい逸話ですね。
八剣神社

| 祭神 | 日本武尊(やまとたけるのみこと)含む三柱 |
|---|---|
| 住所 | 千葉市中央区南生実町880 |
平安時代創建と考えられる、小弓村(おゆみむら)の総鎮守で、明治期の南北分村以降は南生実の鎮守となりました。
祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)含三柱で、麻織物の神様は祀られていません。
「麻績神祠」なる社と関係があったとみられる吉野家の後裔が、平安期以降、当地・生実に定住しました。同家は「麻績連(おみのむらじ)」を称し、当社「八剣神社」の神官職を代々務めたと伝えられています。
同家の伝承には、(あえて)「麻績連は『長白羽神(ながしらはのかみ)』の後裔である」と記されています。「長白羽神」は、麻植神「天日鷲命」と縁戚関係にあるとされる神であり、この記述は同家が日鷲命系忌部氏との系譜的つながりを意識していた可能性を示唆します。
当社の傍ら、東に約370メートルの場所には、麻績連が麻を浸して繊維を採取したと伝えられる大百池(後述)が所在します。
鷲宮神社

| 祭神 | 鷲宮大神(わしみやのおおかみ)、天日鷲命 |
|---|---|
| 住所 | 千葉市中央区大巌寺町96 |
創建年不詳、大巌寺・淑徳大学の南350mほどの小丘の上に鎮座しています。
祭神は、麻植神「天日鷲命」と言われています。
当社の周辺には、「鷲宮台」「鷲宮下」などの地名が残ります。

上中央:大巌寺
その南南西:鷲宮神社・鷲宮台・鷲宮下
(『千葉市史 史料編 3 (近世)』「生実郷小字図」を抜粋)
飯香岡八幡宮

| 祭神 | 応神天皇含む十柱 |
|---|---|
| 住所 | 市原市八幡1057-1 |
675年(天武天皇 白鳳三年)の勧請、生実地区から少し離れた南西3.6km、浜野川・村田川流域の低地の対岸に鎮座しています。
祭神は「応神天皇」含む十柱で、境内の「阿葉大杉神社」にて麻植神「天日鷲命」を祀っています(神主様ご教示)。
大百池

往昔、麻織物を生産するために、
- 麻績連が麻を浸し繊維をとった(『絵にみる図でよむ千葉市図誌 上巻』P343)
- 麻績氏が布をさらした(上記看板)
などの伝承が残っています。
麻織物を作る際、原料となる麻茎や麻糸は、加熱と冷却の工程を何度も繰り返すことで、ようやく柔らかな織物へと仕上がるといわれています。
地名
麻織物生産が行われたと推測される地名には、次のような地名が知られています。
- 鷲とつく地名:「天日鷲命」に由来
- 麻生:麻績部(おみべ)が麻からの麻糸生産を行った
- 羽鳥・服部:服織部(はとりべ)が麻糸からの布生産をおこなった。機織り→はたおり→はとり
- 麻布
生実集落周辺では、次の地名が残ります。
| 旧地名 | 推定される現在地 |
|---|---|
| 生実郷鷲宮台 | 現 中央区大巌寺町の一画。「鷲宮神社」の鎮座場所から北のブロック。 |
| 生実郷鷲宮南 | 現 中央区大巌寺町の一画。鷲宮台の南のブロック |
| 村田村服部 | 現 中央区村田町の一画。 |
少し遠いが念のため。
| 旧地名 | 推定される現在地 |
|---|---|
| 千葉寺村鷲谷 | 現 中央区千葉寺町の一画。 |
参考
下記を参考にさせていただきました。
抜粋
八剱神社(やつるぎじんじゃ) 旧指定村社
祭神
日本武尊(やまとたけるのみこと)大日靈貴尊(おおひるめむちのみこと)大己貴尊(おおなむちのみこと)
由緒治革
日本武尊が御東征の折、相模国三浦よりこの地に渡海なされ、争乱を平定し、東国を二カ国に分割して南を上総、北を下総とし永く国境とせよと命じられた。人々は御徳恩に浴し深く敬ってこの神を国家守護神と仰ぎ、東国鎮護征夷神八劔神社とし、天神社を併せ祀って崇敬した。大正二年四月神饌幣席料供進社に指定される。元小弓村の総鎮守だったが、南北に分村するにあたり南生実の鎮守となった。
P36
南生実町の八剣神社という、平安時代の創建と言われる由緒ある神社にまつわるものです。
Webサイト
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書籍
- 『千葉市風土記 : 郷土史読本』
- 『千葉市史 第1巻』千葉市史編纂委員会 編 1974年
- 『千葉市南部の歴史』宍倉健吉 原著, 千葉市史編纂委員会 編 1986年
- 『千葉東南部ニュータウン 4 (生浜古墳群)』千葉県文化財センター 編 1977年
- 『千葉市の民俗芸能』千葉市教育委員会 編 1981年
- 『千葉市風土記 : 郷土史読本』千葉日報社編集局 編 1981年
- 『千葉県の不思議事典』森田保 編 1992年
- 『千葉市史 史料編 1 (原始古代中世)』千葉市史編纂委員会 編 1976年
- 『千葉歴史散歩 : 50コース』千葉歴史散歩編集委員会 編 1980年
関連コンテンツ
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弁財天神社│千葉市中央区生実町
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蘇我比咩神社│千葉市中央区蘇我町
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千葉市中央区の神社


登渡神社(登戸神社)│千葉市中央区
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千葉市中央区の神社


寒川神社│千葉市中央区寒川町
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千葉市中央区の神社


西千葉稲荷大明神
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五田保稲荷神社│千葉市中央区稲荷町









