成田市中台の中台麻賀多神社の概要


中台麻賀多神社は、1704年に「台方の麻賀多神社」より勧請されたと考えられる、成田市中台に鎮座する神社です。
複数の資料をあわせ考えると、「米野の麻賀多神社」(『千葉県神社名鑑』)と 「公津新田の麻賀多神社(真形大明神宮社)」(『成田市史 中世・近世編』)が当社にあたると考えられます。
祭神
次の祭神を祀ると考えられます。
- 稚産霊神(わかむすびのかみ)
由緒、由来に関する考察
当社周辺の地名に関し、後述の複数の参考資料を統合すると、
米野 = 公津新田 ≒ 公津新田村 ≒ 公津新田字中臺
となります。そのため、当社「中台の麻賀多神社」は、
中台の麻賀多神社 ≒ 米野の麻賀多神社(『千葉県神社名鑑』) ≒ 公津新田の麻賀多神社(真形大明神宮社)(『成田市史 中世・近世編』)
となることが推察されます。
恐らく当社は、宝永元年(1704年)に「台方の麻賀多神社」を勧請した「真形大明神宮社」でしょう。
公津新田を米野に改称。
公津新田の麻賀多神社は、宝永元年(一七〇四)に台方村の本社より勧請し創建されたもので、棟札には「奉新造立真形大明神宮社一字郷中安全」と記され、
印旛郡公津新田村(今八生村公津新田字中臺)に在り、
麻賀多神社(まかたじんじゃ)
鎮座地
成田市米野一二一番地
祭神
稚産霊神(わかむすびのかみ)
写真図鑑
社殿





鳥居


境内社







境内風景






参拝順路
郵便局通りからの参拝





谷の下からの参拝


基本情報
| 社号 | 麻賀多神社(まかたじんじゃ) |
| ご祭神 | 稚産霊神(わかむすびのかみ)か? |
| 住所 | 成田市中台4丁目26 |
参考
下記を参考にさせていただきました。
抜粋
麻賀多神社(まかたじんじゃ)
鎮座地
成田市米野一二一番地
祭神
稚産霊神(わかむすびのかみ)
(前略)
本社は台方・下方両村の総鎮守であり、六月三十日(現在は七月二十一日)の祭礼を両村で隔年に受けもっているが、安永三年(一七七四)にはこの順番をめぐり争論を起こしている。また、奥宮は船形・北須賀・八代の
三か村の総鎮守であった。
公津新田の麻賀多神社は、宝永元年(一七〇四)に台方村の本社より勧請し創建されたもので、棟札には「奉新造立真形大明神宮社一字郷中安全」と記され、別当は真言宗門能寺有性、神主は太田出雲守屋広とあり、そのときの遷宮導師は円能寺の本寺である成田村の成田山新勝寺中興一世照範が働めている。社地五反歩は除地に認可され、本殿は表三尺の建物である。
(後略)
印旛郡公津新田村(今八生村公津新田字中臺)に在り、
(前略)
いずれにしても麻賀多神社は、国造一族が創建したことはほぼ確実であり、守護神と印波国の開拓・農耕の神として祭祀したものといえよう。
旧印権郡内には、麻賀多神社を社名とする神社が十八社あり、これを称して「麻賀多十八社」とよんでいる。
すなわち、本社と奥宮のほか成田市米野に一社、佐倉市に十一社、酒々井町に二社、八千代市と富里町に各一社の分社である。これら十八社はすべて印旛沼の東岸か南岸に位置し、沼を渡った北ないし西側には一社もない。
十八社の区域が、国造一族の直接の掌握圏であったとすると、印波国といっても沼の北側(現在の印西町・本埜村・印旛村など)までは国造の支配が及んでいなかったというべきか。
公津新田を米野に改称。
Webサイト
- ─
書籍
- 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
- 『成田市史 中世・近世編』成田市史編さん委員会 編 1986年
- 『成田山史』
- 『成田・寺と町まちの歴史』小倉博 著 1988年
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