大鳥神社

『千葉市南部の歴史』の該当箇所をカラー化し掲載させていただいた
「大鳥神社」は、かつて千葉市立生浜東小学校の校庭にあった「七廻塚古墳(ななまわりづかこふん、ななめぐりづかこふん)」の上に鎮座していた社(祠)です。「鷲宮(わしのみや)」「鷲宮大明神」とも呼ばれました。
祭神は、麻植神「天日鷲命」を祀っていました。
明治四三年(1968年)二月一日付で、北生実の鎮守「生実神社」(当時の社名は「御霊社」)に合祀されたと言われます。一方、「生実神社」の祭神や境内社を調べても、「大鳥神社」や「天日鷲命」の名が見当たりません。
七廻塚古墳(ななまわりづかこふん、ななめぐりづかこふん)

概要
「七廻塚古墳」は、生浜東小学校(当時の生浜中学校)の校庭にかつて存在した、市内最大の古墳です。
昭和33年、生浜中学校(当時)の校庭拡張工事に先立ち記録保存調査が行われ、被葬者と多数の遺物が出土しました。
五世紀半ばの築造、直径54m、高さ8.8mの円墳と考えられ、墳頂には「鷲宮」の祠と戦後建立の忠魂碑が建てられていました。
当古墳は、墳上の「大鳥神社」(鷲宮)に麻植神「天日鷲命」が祀られていることから、麻績連の墓であろうと推定されています。「七廻塚」の名前の由来となった「七回まわると機織りの乙女が現れる、音が聞こえる」という伝承もこれを裏付けるでしょう。

左上:生浜東小学校(当時の生浜中学校)、左:七廻塚古墳、右:大覚寺山古墳
参考:『千葉市史 史料編 1 (原始古代中世)』
現在
当墳は校庭拡張工事に伴い消滅。現在、学校の南には忠魂碑が建っており、生実川・浜野川流域の低地を見下ろすことができます。往古、古墳の南には一面の麻畑と水田が広がっていたのでしょうか。




古墳の形状・年代
墳丘の形態はすでに旧状を失っており詳細不明ながら、調査当時の状況では直径54m、高さ8.8mの円墳をなしていたと言われます。
墳内には、北(破壊)・南・西三つの主体部と祭祀遺構が確認され、南・西側主体部からは被葬者と多数の遺物が出土、祭祀遺構からも多くの副葬品が出土しました。主体部の配置は『千葉市史 史料編 1 (原始古代中世)』に詳しく記載されています。
出土品から、当墳は五世紀半ばに築かれたものと考えられています。
出土物
| 南側の主体部 | 被葬者(頭が西)、滑石製立花、直刀、鉄鉾、鎌・鉄斧など |
|---|---|
| 西側の主体部 | 被葬者(頭が北)、滑石製立花、鉄剣、鉄鉾、鉄製農耕具など |
| 主体部東の祭祀遺構 | 銅鏡、石釧(いしくしろ)、滑石製模造品(刀子・斧・鎌など) |
石釧(いしくしろ)
石釧(いしくしろ)は、石製の腕輪型装身具のこと。本墳から出土した石釧は、滑石製、直系16.5cmの良品で、1992年の資料に「わが国で最も大きなもの」とあります(『千葉県の不思議事典』)。千葉市埋蔵文化財調査センターに展示されており、表側だけでなく、裏側の見事な彫刻も見ることができます。

(写真:千葉市埋蔵文化財調査センターの展示を筆者が撮影)

(写真:千葉市埋蔵文化財調査センターの展示を筆者が撮影)
立花(りっか)
二つの主体部の中間部からは、それぞれ5つの立花(りっか)が出土しました。一方、石枕(いしまくら)は出土していません。
石枕は、被葬者の頭を固定するそこそこ厚みのある石製の枕のことです。立花は、勾玉を二つ背中合わせに付けたような石製の飾りです。
一般的に、立花は石枕にくっつけたと考えられますが、当墳には石枕が出土していません。被葬者頭部の周辺に直接置いたのでしょうか?

上が石枕、中央が立花
(写真:千葉県立中央博物館の展示を筆者が撮影)

右下の写真のように、石枕の周囲に指して飾ったと考えられる。
(写真:千葉市埋蔵文化財調査センターの展示を筆者が撮影)
その他



発掘された遺物の一部は、千葉市埋蔵文化財調査センターに展示されています。近傍の大覚寺山古墳と共に大変お勧めいたします。
・千葉市埋蔵文化財調査センター
・大覚寺山古墳
出土時の様子は『千葉市史 史料編 1 (原始古代中世)』に詳しく記載されています。
機織りの逸話


当塚には、かつて当地で機織が行われていたことを偲ばせる美しい逸話が残っています。
この塚を片足で七回左まわりすると、美しい乙女が機を織っている姿が現れるとか、梭(おさ)の音が聞こえてくるといわれ、神聖視されていた。
「梭・杼(ひ・さ)」は、機織りで縦糸の間に横糸を通す際に用いられる舟形の木製道具のことです。シャトルとも呼ばれます。


片足で七回左まわりとは?
『延喜式』に、麻績氏が伊勢神宮に荒妙衣(あらたへのみそ)を献上する際は十四日間かけて機織りすることが定められています。
片足で七回、両足なら十四回。麻績氏の古い風習でしょうか。
和妙衣は服部氏、荒妙衣は麻績氏、各自ら潔斎して、祭の月の一日より始めて織り造り、十四日に至りて祭に供へよ
七回まわると言えば、奈良県桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)も思い出されます。
ご神体である三輪山を、大物主神(巳さん、蛇さん)が7回半巻いているという伝承があります。
玉作集団がいたか
当古墳の北方1.5kmほど、同期の築造と考えられる大森第一遺跡・大森第二遺跡などから、滑石製模造品の完成品と未完成が多数発見されていることから、周辺には玉作集団が居住していたと推定されています。
基本情報
| 社号 | 大鳥神社(鷲宮) |
| ご祭神 | 天日鷲命 |
| 住所 |
参考
下記を参考にさせていただきました。
抜粋
大鳥神社(生実町一九二六番地)
字峠ノ台の七廻り塚古墳上にあり、祭神は天日鷲命で、もと鷲宮(わしのみや)と称していた。文政二年(一八一九)四月吉日、願主の篠崎平七が鷲宮大明神の石塔を造立している。当祭神からみるとこの古墳は麻績連の墓であろうと推定する。明治四三年二月一日付で御霊社に合祀。
Webサイト
- 千葉市HP 七廻塚古墳出土品(市指定文化財)
https://www.city.chiba.jp/kyoiku/shogaigakushu/bunkazai/nanamawaritukakofun.html - 千葉市HP ようこそ!千葉市埋蔵文化財調査センターへ
https://www.city.chiba.jp/kyoiku/shogaigakushu/bunkazai/maizoubunkazai/maibuntop.html
書籍
- 『千葉市風土記 : 郷土史読本』
- 『千葉市史 第1巻』千葉市史編纂委員会 編 1974年
- 『千葉市南部の歴史』宍倉健吉 原著, 千葉市史編纂委員会 編 1986年
- 『千葉東南部ニュータウン 4 (生浜古墳群)』千葉県文化財センター 編 1977年
- 『千葉市の民俗芸能』千葉市教育委員会 編 1981年
- 『千葉市風土記 : 郷土史読本』千葉日報社編集局 編 1981年
- 『千葉県の不思議事典』森田保 編 1992年
- 『千葉市史 史料編 1 (原始古代中世)』千葉市史編纂委員会 編 1976年
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