椿海三社(椿湖三社、新田三社)
江戸時代中期、椿海が干拓され新たに広大な農地が築かれると、各村々に鎮守の社が設けられました。
特に、延宝六年(1678年)に幕府から建立の許可を受けた三社は「椿海三社」(椿湖三社・新田三社)と呼ばれます。
椿海三社一覧
| 鎮座場所 | 社名 | 現在の比定社 |
|---|---|---|
| 鎌数村 | 伊勢大明神 | 鎌数伊勢大神宮(旭市鎌数4314) |
| 春海村 | 水神社 | 椿ノ海水神社(匝瑳市春海15) |
| 高生村 | 八幡宮 | 椿神社(旭市高生320) |
地図
鎌数伊勢大神宮




| 住所 | 旭市鎌数4314 |
|---|---|
| 祭神 | 天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ) |
| その他 | ■公式HP https://kamakazu.com/ ■インスタグラム https://www.instagram.com/kamakazuisedaijingu/ |
椿ノ海水神社




| 住所 | 匝瑳市春海15 |
|---|---|
| 祭神 | 水波賣命(みずはのめのみこと) |
| その他 | ■インスタグラム https://www.instagram.com/tubakinoumi_suijinja/ ■X https://x.com/harumi_suijinja |
椿神社
「高生村(たかおいむら)の八幡宮」として創建され、「高生椿八幡」「椿正八幡宮」とも称していたようです。
現社名は「椿神社」ですが、昔の名残で八幡様とも呼ばれます。
祭神として、「誉田別命(ほんだわけのみこと)」(応神天皇の事)他二柱を祀ります。
| 住所 | 旭市高生320 |
|---|---|
| 祭神 | 品陀別尊(ほんだわけのみこと)他二柱 |
| その他 |
関連資料
『海上町史 総集編』
「刑部左衛門」の養子「辻内善右衛門」が、幕府に新田内への寺社建立を願い出、延宝六年(1678年)に次の三社・五ヶ寺建立の許可が下されました。
三社
①の時期にすでに創建されていた三社が、幕府に正式に建立許可を受けました。この三社が「椿海三社」(椿湖三社、新田三社)です。
| 鎮座場所 | 社名 | 現在の比定社 |
|---|---|---|
| 鎌数村 | 伊勢大明神 | 鎌数伊勢大神宮(旭市鎌数4314) |
| 春海村 | 水神社 | 椿ノ海水神社(匝瑳市春海15) |
| 高生村 | 八幡宮 | 椿神社(旭市高生320) |
五ヶ寺
| 建立場所 | 社名 | 現在の比定される寺 |
|---|---|---|
| 琴田村 | 真言宗寿山海宝寺 | 真言宗智山派 海宝寺(旭市琴田3521) |
| 万歳村 | 天台宗新岡山東福寺 | 東福寺(旭市萬歳691) |
| 小南村 | 黄檗宗補陀落山福聚寺 | 黄檗宗 補陀洛山 福聚寺(ふくしゅうじ)(香取郡東庄町小南690) |
| 春海 | 同宗如意山修福寺 | |
| 鎌数村 | 同宗仏日山広徳寺 |
『日本伝説叢書 下総の巻』
寛文十二年(1672年)以降、「白井治郎右衛門」「辻内刑部左衛門」が、事業成功を願い、次の社を勧請しました。
| 勧請場所 | 勧請された社 | 現在の比定社 |
|---|---|---|
| 太田村の下流 | 「天照皇大神」を勧請した椿新田惣社 | 鎌数伊勢大神宮(旭市鎌数4314)★ |
| 椿村の下流 | 水神の社 | 椿ノ海水神社(匝瑳市春海15)★ |
| 後草村の下流 | 水神の社 | 水神社(旭市後草1923) |
| 他の村 | 八幡宮 | 椿神社(旭市高生320)★ |
| 他の村々 | 他の神々の社 | 不明 |
このうち、★印の三社が「椿湖三社」です。
『高生椿八幡由来書』
「椿神社」(八幡遇)は、延宝二年(1674年)に「辻内善右衛門」「三川村神主往古伊勢守」両人がお上へ書面を奉り、すぐに許され勧請されました。
延宝五年(1677年)に、宮地が遷座されました。
参考
下記を参考にさせていただきました。
抜粋
水神社(すいじんじゃ)(通称 水神様(すいじんさま)) 旧村社
祭神
水波賣命(みずはのめのみこと)
由緒沿革
太古下総の国に椿の巨木の倒れた跡と伝え、漫々と水を湛える椿湖(つばきのうみ)があった。江戸の中期、これを干拓して新田を作り農業振興を図り、大願成就の暁は三社・五カ寺を建立し、神恩報謝を誓う。新たに堀割を造り九十九里浜に湖水を導く。今の新川がこれである。寛文一一年(一六七一)干拓折事業が完了し、いま干潟八万石と称する広大な田畑となる。その中に祀られたのが、鎌数伊勢大神宮(旭市)、椿神社(海上町)と当水神社で、併せて新田三社と呼ばれる。
P80 新田の三社五ケ寺
新田内に居住者が徐々に増してくると、その農民のための寺や神社が必要となってくる。そこで元締辻内善右衛門は、幕府に新田内への寺社建立を願い出た。そして延宝六年(一六七八)に新田内に三社・五ヶ寺の建立が許可された。
三社とは、鎌数村の伊勢大明神、春海村の水神社、高生村の八幡宮である。また五ヶ寺は、真言宗寿山海宝寺(琴田村)、天台宗新岡山東福寺(万歳村)、黄檗宗補陀落山福聚寺(小南村)、同宗如意山修福寺(春海)、同宗仏日山広徳寺(鎌数村)であった。海宝寺は、太田村幸蔵寺の末で、開山は慶範上人、東福寺は溝原村東栄寺の末で、開山は什勧上人、福聚寺他二ヶ寺は山城国浄住寺末で、開山は鉄牛禅師であった。(後略)
P9
御普請は寛文九己酉十二月廿八日成就、元〆切流し見るに水落早き事三羽の矢をいるがごとし、翌十年庚戌三月十一日より、水干始め、同十一年辛亥迄成就せし、底もなき淤泥海なれば、(中略)、翌年より性能き早稲抔仕付見るに、其利十分也。(中略)それ善悪の二道は、取分大切之儀なるべし、先願白井治郎右衛門・辻内刑部左衛門と両人同じ船に乗り、水とりの時、太田村の下において、此度願望致すにおいて、社地を構ひ、天照皇大神宮を勧請し奉り、椿新田惣社と崇め奉るべき大願かけ、一本の杭を立てしに、不思議や此杭より水干始まり、終に成就せしとかや、いま鎌数村の社是なり。内宮御師梅谷太夫是を支配す。且、又水神は椿村の下後草村下に八幡宮其外に村々に鎮守を勧請し奉るなり。
<現代語訳>
干拓工事は寛文九年(1669年)十二月二十八日に完成した。堤の元締切を開いて水を流してみると、水の落ちる速さは、まるで三本の矢を射るように速かった。
翌寛文十年(1670年)三月十一日から水が引き始め、さらに翌寛文十一年(1671年)までに干拓は完成した。
そこは底知れぬ泥の海であったが、(中略)翌年から良質な早稲などを試しに植えてみると、その収穫は十分な利益をもたらした。(中略)善と悪の二つの道は、とりわけ重大なことである。
干拓の願主である白井治郎右衛門と辻内刑部左衛門の二人が、同じ船に乗って水の様子を調べていたとき、太田村の下流において、今回の大願を立てるにあたり、社地を定め、天照皇大神を勧請して椿新田の総社として崇め奉ろうと誓願した。
そして一本の杭を打ち立てたところ、不思議にも、その杭のところから水が引き始め、ついに干拓は成就したという。これが現在の鎌数村の社(鎌数伊勢大神宮)である。伊勢内宮の御師である梅谷太夫がこれを管轄している。
また、水神は椿村の下流、後草村の下流に祀られ、さらに八幡宮をはじめ、その他にも各村々に鎮守の神を勧請して祀ったのである。
椿新田成就なし給うは、延暦二寅年田地植仕付、稲生立よしという。椿正八幡宮勧請は、辻内善右衛門、三川村神主往古伊勢守両人判形にて、お上様へ願い書面さし上奉り、即ち御許容これ有勧請す。(主筆、延宝五巳年今の宮地へ遷す)
『海上町史 総集編』P449
Webサイト
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書籍
- 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
- 『海上町史 総集編』海上町史編さん委員会 編 1990年
- 『日本伝説叢書 下総の巻』藤沢衛彦 編著 1977年
- 『高生椿八幡由来書』
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