佐倉市長熊の五良神社
長熊廃寺跡の奥に鎮座する、長熊地域の村社です。訪れる人のいない雑木林のなか異彩を放つ真っ赤な本殿に目を奪われます。敵に射られながらも奮戦したことで有名な平安後期の武将 鎌倉景政(景正、通称権五郎)を祭神としています。
廃寺跡と言っても現在、建物の跡はありません。ここには、奈良・平安時代、印旛周辺の技術や仏教の中心地であった高岡寺(高罡寺。長熊廃寺の正式名称?)があったとされていますが、100年程度しか続かなかったようです。現在は、廃寺跡の両脇に、五良神社と愛宕神社が鎮座しています。
なぜこんなところに神社が? 高岡寺との関連性は? 寺焼失後も人の往来はあったのか? なぜ鎌倉景政が祭神なのか? など、今や解明できない謎が多い魅力的な場所です。
愛宕神社と長熊廃寺跡については下記をご覧ください。
祭神は鎌倉権五郎景政
祭神は平安後期の武将、鎌倉景政(景正、通称権五郎)。後三年の役(1083年~1087年)の際、敵に右目を射られながらも奮戦し相手を打ち取ったことで有名な人物です。
御霊神社という、五良神社と同じ「ごりょうじんじゃ」と読む神社が各地にあり、それぞれ様々な人物を祀っているようです。鎌倉の御霊神社は、本社同様、景政を祀ってるようですが、何か関係があるのでしょうか。
『昔日佐倉拾遺録』に以下のような記述があります。
当地を訪れた景政が杖or鞭を地に刺したまま忘れたところ、その材が桜であったことから芽吹き、後に大桜となった伝説がある。
景政が指した樹はさすがに残っていないでしょうが、昔はこの地に大きな桜があったのでしょう。ところで、本当に景政はこの地に来たのでしょうか? 本社から北へ 13km ほどの千葉市若葉区中田町の御霊神社も、祭神に景政のストーリーが関連しているようです。
社殿
鳥居
その他
2024年3月10日に参拝したところ、御奉射(おびしゃ)の跡がありました。御奉射は、産土神様の交代の儀式に先立つ弓射の祝い行事とのことです(『昔日佐倉拾遺録』内田 理彦 著 2016年)。
具体的にどれが保存樹なのか分かりませんでした
参拝順路
酒々井町本佐倉の愛宕神社の鳥居をくぐり、林の中を260mほど歩いたところに鎮座しています。
庚申塔は白い鳥居の左手にあります
左手に「本佐倉の庚申塔」の看板が見えます
写真左側の林に長熊廃寺の各種の跡があります
左側に、長熊廃寺跡の看板と石碑があります
詳細情報
社号 | 五良神社 |
ご祭神 | 鎌倉景政(景正、通称権五郎) |
境内社 | |
由緒・歴史 | |
神紋 | 巴紋 |
住所 | 佐倉市長熊260 |
その他 | ■聞いて見ましょう 酒々井の伝説を訪ねて https://www.town.shisui.chiba.jp/docs/2014021804927/file_contents/kyoudo_densetu.pdf |
参考
- 『昔日佐倉拾遺録』内田 理彦 著 2016年