MENU

薗生神社 拝殿│千葉市稲毛区園生町

  • URLをコピーしました!
2026年の合同祭・神社系イベント

奥千葉御朱印めぐり
7月30日〜8月30日

岩井のまつり
8月21日、22日

鴨川地区合同祭
9月12日、13日

上総十二社祭り
9月10日、13日

大原はだか祭り
9月?日

安房やわたんまち
9月19日、20日

館山のまつり
10月17日、18日

園生神社コンテンツ

目次

千葉市稲毛区園生町の薗生神社 拝殿の概要

「園生神社」の拝殿と本宮(本殿)はまったく別の場所にあり、本稿で取り上げるのは「金蔵院」の境内に鎮座している「園生神社 拝殿」です。

当社の背後の高台は「金蔵院裏山」と呼ばれており、ここを300mほど北にいった場所に、「園生神社 本宮」が鎮座しています。現在は、拝殿・本宮の間は住宅地となっているため、本宮までは少し遠回りする必要があります。

当地は千葉氏との関係が深い?

「金蔵院」「園生神社」ともに、詳しい情報は残されていないようです。

しかし次の点から、「金蔵院」「園生神社」「金蔵院裏山」は、千葉氏との関連が深かったと推察されます。

  • 「金蔵院裏山」にはかつて千葉氏の園生城(園生館)があったといわれる
  • 「園生神社」の祭神に、「天御中主命」のお名前がある
  • 「園生神社」は古くは「妙見社」と呼ばれていたという伝承がある
  • 「金蔵院」の所有地である「長者山」には千葉氏累代の墓があったとされる
園生神社コンテンツ

写真図鑑

社殿周辺

鳥居

石段

本殿

神紋は、千葉氏の月星紋のようです。

狛犬

左の狛犬

右の狛犬

手水

常夜灯

その他

参拝順路

基本情報

参考

下記を参考にさせていただきました。

抜粋

『千葉県神社名鑑』抜粋

園生神社(そんのうじんじゃ) 旧村社

祭神
天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)国常立命(くにとこたちのみこと)面足命(おもだるのみこと)伊弉諾命(いざなぎのみこと)伊弉冉命(いざなみのみこと)他八柱

主要建築物
本殿・板葺流造一坪、拝殿・銅板葺流造六坪

由緒沿革
創建年代不詳。明治四一年一二月一八日、同所無格社七社大神と日枝神社を本社に合祀する。

『千葉県千葉郡誌』抜粋

園生神社

都賀村園生宇大屋敷に鎮座す。天御中主命、國常立命、國狭槌命、豊斟淳尊、泥土慈尊、沙士慈尊、大戸之道命、大若邊面足命、皇根命、伊弉諾命、伊弉冊命、大山祇命を合祀す。社殿間口三尺奥行二間三尺、境内七百七十四坪、氏子六十七戸あり。
由緒詳ならざれども、明治四十一年十二月十八日同所西街道の七社大神及谷津日枝神社の二社を本社に合祀す。

『千葉市文化財調査報告 第1集』抜粋

園生村(高三百九十石)

本村の字古屋敷に鎮座する園生神社は天御中主命を主神として、外、十社の神々を祀るお宮で、古くは妙見社と呼ばれていた。千葉家一族及び家来の居住地に妙見を勧請するもの多し。

『市指定史跡「千葉山」の確認調査結果について(報告)』抜粋

(前略)

千葉市稲毛区園生町444-1の一部他

(中略)

『千葉大系図』に記載される、千葉介常胤を葬った「千葉山」とされ、千葉宗家累代の墓所と伝えられる場所である。
現在、稲毛区轟町の大日寺にある16基の五輪塔は、かつてこの地にあったとされ、寛文10(1670)年に千葉村の人々によって大日寺に移されたと伝えられている。
なお、大日寺は戦災によって現在の地に移転しており、以前は中央区院内の千葉神社向いにあった。
明治39(1906)年、安川辰蔵による調査で、星宮塚の他、南北約180mにわたって直線に並ぶ13基の塚が確認され、現在は星宮塚を含む5基の塚が残存している。

(後略)

https://www.city.chiba.jp/kyoiku/shogaigakushu/bunkazai/documents/r7-1_siryou2-1.pdf

『千葉市立郷土博物館:研究員の部屋3』抜粋

園生町(そのうちょう或はそんのうちょう)

(前略)

当町の小字「長者」には貝塚があって、住居跡も発見されています。縄文時代の人々が居住していたことが判明し、古い時代から部落が発生していたことが考えられます。また、小字「長者」地域は、一名「長者山」あるいは、「金蔵院山」と呼ばれて、その地域が千葉家代々の菩提寺跡とも伝えられています。ともかく由緒ある土地柄であることには、間違いありません。

(後略)

https://www.city.chiba.jp/kyodo/katsudo/kenkyuin3.html

『 レファレンス協同データベース』抜粋

稲毛区園生町に跡がある園生城(そんのうじょう)について知りたい。

「園生城とよぶ城址が残り、陣屋・馬場・長者・古屋敷などの地名がある」との記載あり。
『日本歴史地名大系 12 千葉県の地名』(平凡社 1996)p121「園生村」の項

「金蔵院裏山に中世の園生城址がある」
『角川日本地名大辞典 12 千葉県』(角川書店 1984)p505

「園生城址 中世 園生町字高崎・古屋敷・西街道・屋敷(金蔵院裏山) 台地平坦部(22~26) 平山城 丘陵台地・多郭式 昭45 加曾利博確認 周辺に「陣屋」「屋敷」「馬場」「原彫込」などの字名あり」
『千葉市史 史料編 1』(千葉市 1976)p282表「千葉市内の城・館・砦址地名表(渡辺太助・後藤和民作成一九七五)」

https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000074940&page=ref_view

『千葉県誌 巻下』抜粋

千葉氏古墳

都賀村大字園生字長者山石塔[又星之宮と云ふ]に在り、金藏院所有の林中にて大小の塚十餘所あり、最も大なる者二箇、上に老櫻あり千葉介の塚と云ふ、塚下に小石祠を置き星神宮と刻す。口碑に云ふ、此の地は千葉氏累世の瑩域なり、もと墓石ありしが寛文十年千葉町と境界を爭ひ、園生村の陳ずる所理ありしを以て、此の地同村に屬せり、由りて千葉町の民夜に乘じ竊に墓石を運び去れり、今千葉大日寺の古墓是なりと。或は以て平良文の墳なりとなす。

『千葉県中近世遺跡調査目録 1971 本編 (昭46中近世調査抄報)』抜粋

1.千葉市 [館12、城1、砦3、計16]

園生館・園生町園生神社境内

Webサイト

書籍

  • 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
  • 『千葉県千葉郡誌』千葉県千葉郡教育会 編 1972年
  • 『千葉市文化財調査報告 第1集』千葉市教育委員会 1976.3
  • 『千葉県誌 巻下』千葉県 編 1919

関連コンテンツ

園生神社コンテンツ

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次