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鵜羽神社│長生郡睦沢町

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目次

長生郡睦沢町の鵜羽神社(うばじんじゃ)の概要

鵜羽神社(うばじんじゃ)は、大同元年(806)の創建と伝わる、長生郡睦沢町に鎮座する神社です。

往古は鵜羽山大明神(うばやまだいみょうじん)と称し、明治期から終戦期まで指定村社に列格していました。

祭神

祭神として次の神様が祀られています。

  • 彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)…山幸彦のこと。豊玉姫命と結婚し、息子の鵜茅茸不合命をもうけた
  • 豊玉姫命(とよたまひめのみこと)…海神の二人の娘の長女。妹は玉前神社祭神の玉依姫
  • 鵜茅茸不合命(うがやふきあえずのみこと)…上記二柱の息子。叔母の玉依姫と結婚し、四人の息子をもうける。そのうちの末子が神武天皇である。

湧水の逸話

『千葉県神社名鑑』に次のエピソードが掲載されています。

  • 日本武尊の軍が当地の湧き水で渇きを潤し地名を「岩井」と改めた
  • 天皇即位の儀式で、当地の清水を奉った

創建・逸話

大同元年(806)、大東の釣ヶ崎付近の海中で光っていた珠をご神体に創建されたと伝わります。

光る玉を拾い神社を創建したという伝承は、海岸沿いを中心に県内で非常に多いため、注意が必要でしょう。

社名の由来

往古は、姥神を祀る「玉崎祖母大明神」だったようです。

ある時、一宮へ出向き威勢をはったところ、訴訟が起こった。役所から「あなたたちは『姥神』なんだから、主人(一宮のことか)の前では慎みなさい」と注意されました。

そのため、「姥山大明神」という社名の「姥」を変えて、「鵜羽山大明神」と改めました。

『房総叢書』に伝わる伝承

上述の創建・社名の由来については、『房総叢書』の次の逸話に記されています。

①大同元年(806)の珠に由来する八社

祭神は彦火火出見尊、豊玉姫命、鸕鷀草葺不合尊である。社伝によれば、大同元年(806)8月、大東の釣ヶ崎付近で、毎夜のように光り輝くものがあった。漁師がその場所へ行ってみると、海水の中に八つの光り輝く珠があった。そこでこれを拾って持ち帰り、保管しておいた。その夜、夢の中に神のお告げがあり、「私は玉依姫の神霊である。速やかにこのことを天皇のお耳に入れ、私を祀りなさい」と告げた。そこで里人たちは、ただちにこの出来事を都へ報告し、その珠を右大臣・百川に献上した。百川が天皇に奏上すると、天皇は上総介に命じて、八柱の神を祀る次の六つの神社を建立させ、八つの珠を御神体(神璽)として祀らせた。

  • 玉前神社
  • 鵜羽山神社(鵜羽神社)
  • 宮原神社(南宮神社)
  • 二宮神社(上埴生郡山崎村)
  • 三宮神社(長柄郡北山田村にあり、三社神社という)
  • 若宮神社(玉垣神社)

その後、玉前神社と鵜羽神社から、それぞれ一社ずつ次の分社が設けられた。

  • 玉前神社(椎木村)
  • 玉前神社(中原村)

そして、鵜羽神を玉前神の御祖神(みおやがみ)と称したという。

②「玉崎祖母大明神」「姥山大明神」から「鵜羽山大明神」へ

往昔、当社は「玉崎祖母大明神」という社名で、土地の人々から「ばあがみさま」と呼ばれていた。

ある時、祭礼の際、この神社が一宮まで出向き、威勢を張るような振る舞いをしたため、訴えが起こった。そこで役所から「この神社の祭神は何という神なのか」と尋ねられ、「姥神(うばがみ)です」と答えたところ、「姥というものは、主人の前では慎みをもって振る舞うべきものである」と言われたという。

そのため「姥山大明神」と呼ばれていたが、現在では「姥」という字をはばかって「鵜羽山大明神」と書くようになった。

ところで、850年(嘉祥三年)の「上総十二社祭り」では、六つの神社から、計十二の神輿が出祭しました。その六つの神社に、当社は含まれていません(一方、「橘樹神社」が出祭している)。この訴訟事件が関係しているのでしょうか?

参拝日記

睦沢町ののどかな里山のふもと、遠目にも見える二基の白い鳥居が目立ちます。二之鳥居は着色されていない両部鳥居で、木の地肌がとても美しいです。

社殿は一段高い場所にあり、下から見上げると大変神々しいです。森のなかの明るい境内、足元は苔でふかふか、とても居心地の良いお勧めの神社です。

写真図鑑

高台の上の境内、社殿

拝殿

拝殿向拝の彫刻

本殿

鳥居

外側から見る一之鳥居・二之鳥居

内側から見る一之鳥居・二之鳥居

境内社

浅間神社

住吉大神、八幡大神、天照大神、八雲大神、春日大神

井戸

手水舎

その他

境内風景

参拝順路

基本情報

社号鵜羽神社
ご祭神彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)鵜茅茸不、合命(うがやふきあえずのみこと)
住所長生郡睦沢町岩井831

参考

下記を参考にさせていただきました。

抜粋

『千葉県神社名鑑』抜粋

鵜羽神社(うばじんじゃ) 旧指定村社

祭神
彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)豊玉姫命(とよたまひめのみこと)鵜茅茸不合命(うがやふきあえずのみこと)

由緒沿革
古くは鵜羽山大明神と称した。縁起には、日本武尊が東征のおり、上総国一之庄祝郷の地を通り、諸軍は湧水で渇をしのいだ。それ以後岩井と改め、帝即位の時高殿の御湯引の清水をこの地から奉ったという。大同元年豊田庄の海辺で一顆の玉を得て漁屋に納めて尊崇する者があり、住民が玉依姫の神霊として右大臣百川に上申した。その頃平城帝の夢に釣ヶ崎天孫降臨の故地に神霊を鎮め奉るようにとの御神託により、上総介に命じて八神六社を祀らせ別に二座を祀り、鵜羽山大明神と称した。

現代語訳

古くは鵜羽山大明神と称していた。

神社の縁起によれば、日本武尊が東征した際、上総国一之庄祝郷の地を通り、軍勢はこの地に湧く清水を飲んで渇きを癒した。それ以後、この地を岩井と改めたという。

また、天皇の即位の際には、宮中の高殿で用いる御湯引の清水を、この地から献上したと伝えられている。

大同元年(806)、豊田庄の海辺で一つの玉が発見された。これを漁師の家に納めて尊崇する者があり、住民たちは、その玉を玉依姫の神霊であるとして、右大臣・百川に申し上げた。

そのころ、平城天皇の夢に神託があり、釣ヶ崎は天孫降臨ゆかりの地であるから、そこに神霊をお鎮めするようにとのお告げがあった。

そこで天皇は上総介に命じ、八柱の神を六つの神社に祀らせ、さらに別に二座の神を祀った。これを鵜羽山大明神と称した。

『房総叢書 第2輯』抜粋

P199

鵜羽神社

長柄郡岩井村の南方宮の前に在り、境内百七十九坪、祭神彦火火出見尊、豊玉姫命、鸕鶿草葺不合尊、社殿に云ふ、大同元年[丙戊]八月大東釣ヶ崎の邊に毎夜光輝有り、漁夫其處に至り見れば、潮水の中八顆の明珠あり、採り歸り之を藏む、其夜夢に神告有り、曰く、吾は玉依姫の神霊なり、速に天聽に達して之を祀る可しと、里人卽ち事を京師に報じ、珠を右大臣百川に上る、百川上奏す、天皇乃ち上総介に命じ、八神六社を建造し、八珠を神璽として之を祀らしむ、即ち玉前神社、鵜羽山神社、[鵜羽神社] 宮原神社、[南宮神社] 二宮神社、[上埴生郡山崎村に在り] 三宮神社、[長柄郡北山田村に在り、三社神社といふ] 若宮神社[玉垣神社] 是なり、後玉前、鵜羽のニ神社を分ち、各一分社を設く、[椎木村玉前神社、中原村玉前神社是なり] 而して鵜羽神を玉前神の御祖神と称すと。

現代語訳

長柄郡岩井村の南方、宮の前にあり、境内は179坪である。祭神は彦火火出見尊、豊玉姫命、鸕鷀草葺不合尊である。

社伝によれば、大同元年(806)8月、大東の釣ヶ崎付近で、毎夜のように光り輝くものがあった。漁師がその場所へ行ってみると、海水の中に八つの光り輝く珠があった。そこでこれを拾って持ち帰り、保管しておいた。

その夜、夢の中に神のお告げがあり、「私は玉依姫の神霊である。速やかにこのことを天皇のお耳に入れ、私を祀りなさい」
と告げた。

そこで里人たちは、ただちにこの出来事を都へ報告し、その珠を右大臣・百川に献上した。百川が天皇に奏上すると、天皇は上総介に命じて、八柱の神を祀る六つの神社を建立させ、八つの珠を御神体(神璽)として祀らせた。

その六社とは、玉前神社、鵜羽山神社(鵜羽神社)、宮原神社(南宮神社)、二宮神社(上埴生郡山崎村)、三宮神社(長柄郡北山田村にあり、三社神社という)、若宮神社(玉垣神社)である。

その後、玉前神社と鵜羽神社から、それぞれ一社ずつ分社が設けられた。椎木村の玉前神社と、中原村の玉前神社がこれにあたる。

そして、鵜羽神を玉前神の御祖神(みおやがみ)と称したという。

P417

●玉崎祖母大明神、里人「ばあがみさま」といふ、往古祭礼の時、一の宮迄参り誇りける故、訴い及び官より神名を御尋有けるに、姥神と申上げれば、姥は主人の前にては、慎むべき事也と、仰せられしとなり、姥山大明神、今は姥字を憚て、鵜羽山大明神と書、(後略)

現代語訳

玉崎祖母大明神は、土地の人々から「ばあがみさま」と呼ばれていた。昔、祭礼の際、この神社が一宮まで出向き、威勢を張るような振る舞いをしたため、訴えが起こった。そこで役所から「この神は何という神なのか」と尋ねられ、「姥神(うばがみ)です」と申し上げたところ、「姥というものは、主人の前では慎みをもって振る舞うべきものである」と仰せになったという。そのため「姥山大明神」と呼ばれていたが、現在では「姥」という字を憚って、「鵜羽山大明神」と書くようになった。

書籍

  • 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
  • 『房総叢書 第2輯』房総叢書刊行会 大正3

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