旭市鎌数の鎌数伊勢大神宮の概要


鎌数伊勢大神宮は、1671年に勧請された、旭市鎌数に鎮座する神社です。
椿海の干拓地を守る「椿海三社」(椿湖三社、新田三社)の一社で、「干潟八万石総鎮守」「椿新田惣社」とも呼ばれます。
明治期から終戦期まで郷社に列格していました。
祭神
祭神として次の神様が祀られています。御霊は伊勢神宮から1672年に勧請されました。
- 天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)
創建の由来
寛文十一年(1671年)に、伊勢内宮 荒木田の神主「梅谷長重」により創建され、寛文十二年(1672年)に、伊勢神宮の御霊が勧請されました。
関連資料を次に記載していきます。創建年に若干の差異が見られます。
『海上町史 総集編』
1678年に、幕府の許可のもと、当社を含めた三社・五ヶ寺が建立された旨が記載されています。この三社が「椿海三社」(椿湖三社、新田三社)と称されます。
「辻内善右衛門」が幕府に寺社建立を願い出、延宝六年(1678年)に三社・五ヶ寺建立の許可が下された。三社とは、鎌数村の伊勢大明神、春海村の水神社、高生村の八幡宮である。
『日本伝説叢書 下総の巻』
1672年以降に勧請された多くの社のなかに、当社が「太田村の下流の天照皇大神宮を祀る社」として記載されています。
先願白井治郎右衛門・辻内刑部左衛門と両人同じ船に乗り、水とりの時、太田村の下において、此度願望致すにおいて、社地を構ひ、天照皇大神宮を勧請し奉り、椿新田惣社と崇め奉るべき大願かけ、一本の杭を立てしに、不思議や此杭より水干始まり、終に成就せしとかや、いま鎌数村の社是なり。内宮御師梅谷太夫是を支配す。
写真図鑑
拝殿





本殿







本殿の茅葺屋根


本殿背後の御神木と御神砂





鳥居
一之鳥居






二之鳥居




境内社
出世稲荷大明神










手水舎
南側の手水


西側の手水


神楽殿



椿海古図と由来の看板



塩の化石


境内の御神木、境内樹木
御神木




夫婦杉


その他
落花生の碑



厄割の桃


参拝順路




基本情報
| 社号 | 鎌数伊勢大神宮 |
| ご祭神 | 天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ) |
| 住所 | 旭市鎌数4314 |
参考
下記を参考にさせていただきました。
抜粋
鎌数伊勢大神宮(かまかずいせだいじんぐう)(通称 お伊勢様) 旧郷社
祭神
天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)
曲緒治革
寛文一一年伊勢内宮荒木田神主梅谷長重の創立である。寛文初年伊勢桑名の藩土辻内刑部左衛門等によって下総国椿の湖の開発工事が起工されたが、時の普請奉行久松越中守は梅谷長重に依頼し、伊勢神宮に大業の完成を祈った。長重の祈薦後数年でようやく大洋に通じる大疎水を開き、干湯となった椿の湖に一八カ村を開拓した。
そのため現在地に社殿を造営し、干潟郷土の総鎮守とした。昭和三年郷社に列した。
P80 新田の三社五ケ寺
新田内に居住者が徐々に増してくると、その農民のための寺や神社が必要となってくる。そこで元締辻内善右衛門は、幕府に新田内への寺社建立を願い出た。そして延宝六年(一六七八)に新田内に三社・五ヶ寺の建立が許可された。
三社とは、鎌数村の伊勢大明神、春海村の水神社、高生村の八幡宮である。また五ヶ寺は、真言宗寿山海宝寺(琴田村)、天台宗新岡山東福寺(万歳村)、黄檗宗補陀落山福聚寺(小南村)、同宗如意山修福寺(春海)、同宗仏日山広徳寺(鎌数村)であった。海宝寺は、太田村幸蔵寺の末で、開山は慶範上人、東福寺は溝原村東栄寺の末で、開山は什勧上人、福聚寺他二ヶ寺は山城国浄住寺末で、開山は鉄牛禅師であった。(後略)
それ善悪の二道は、取分大切之儀なるべし、先願白井治郎右衛門・辻内刑部左衛門と両人同じ船に乗り、水とりの時、太田村の下において、此度願望致すにおいて、社地を構ひ、天照皇大神宮を勧請し奉り、椿新田惣社と崇め奉るべき大願かけ、一本の杭を立てしに、不思議や此杭より水干始まり、終に成就せしとかや、いま鎌数村の社是なり。内宮御師梅谷太夫是を支配す。且、又水神は椿村の下後草村下に八幡宮其外に村々に鎮守を勧請し奉るなり。

鎌数伊勢大神宮の由来
当地は寛文十一年(西暦一六七一年)迄は椿の湖という周囲約四十二キロメートル、東西十二キロメートル、南北六キロメートルの湖でした。
江戸の人、白井治郎右衛門、伊勢桑名の人、辻内刑部右衛門という二人がこの湖の干拓の工事を始めた。農民、漁民からの強い反対があり工事を中止することにした。この上は神様の御助けに依らねばと考え両氏は伊勢内宮梅谷左近大夫長重神主に工事遂行の大祈願をお願いした。両氏は御神木と御神礼を持ち帰りこの湖水に浮かべたら、流れ流れて今の大神宮近き東方の岸に着いた。これは神様のお示しだと考え工事を始めたら、不思議な事に農民漁民から反対もなく工事が進んだ。
寛文十一年十二月二十八日に〆切の式を行って九十九里浜に水を流した。寛文十二年五月に待望の大干潟が生れ十八の村が出来た。これを干潟八万石という。寛文十二年五月に大業完成感謝記念として梅谷左近大夫長重(現宮司十二代前)神主により現地に伊勢皇大神宮より御分霊をおうつしして干潟の総鎮守産土神としておまつりした神宮である。
Webサイト
書籍
- 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
- 『千葉県印旛郡誌』印旛郡 編 1913年
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