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諏訪神社│市原市諏訪

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市原市諏訪の諏訪神社の概要

諏訪神社は、大永年間(1521~1528年)に当地周辺へ勧請された「諏訪神社」を起源とすると考えられる、市原市諏訪に鎮座する神社です。

明治期から終戦期まで村社に列格していました。

境内は天神台遺跡・諏訪台古墳群のなかにあり、市内最古の7,000年前の貝塚が地中に一部残るそうです。

社殿向かって右側に諏訪台10号墳、左側に諏訪台9号墳が現存しています。

祭神

祭神として次の神様が祀られています。

  • 武御名方命(たけみなかたのみこと)
  • 八坂刀賣(やさかとめのみこと)…「建御名方命」の妃神とされる

創建の由来

『千葉県神社名鑑』、『市原地方史研究 第1号』、境内由緒書に記載される内容を合わせると、次のように推察されます。

大永年間(1521~1528年)、信濃源氏の村上氏が上総国村上に築城した際、信濃国諏訪の「上下諏訪神社」を勧請したと伝えられる。勧請を行った人物については、「村上義芳」とする伝承と「村上義清」とする伝承がある。

伝承によれば、村上氏は「重臣高沢監物」を信濃国へ遣わし、「上下諏訪神社」の神璽を上総へ遷して奉斎した。その際、神職も同行し、「黒川左近」が奉仕したとする伝承が残されている。一方で、招かれた神職が「信濃関」を名乗り、代々神職を務めたとする伝承も伝えられている。

勧請地については伝承が分かれており、次の二つが伝えられている。

  • 「村上義清」が村上城へ勧請した
  • 「村上義芳」が現在の「上下諏訪神社」の南方にあたる養老川岸へ勧請した
    現在、市原市糸久342に鎮座する「諏訪神社」は、その旧鎮座地にあたる可能性も考えられる。

伝承は見つからないが、恐らくその後、現鎮座地に遷座したのであろう。

同時期に「戸隠神社」も信州より勧請され、現在の「上下諏訪神社」の北方の窪地(ふるみやと称する)に祀られたという。

村上氏が故地信濃の諏訪信仰・戸隠信仰を当地へ遷し、上総・下総へ広がっていったのでしょうか?

写真図鑑

拝殿

本殿

鳥居

狛犬

境内社

出羽三山信仰の供養塚(月山神社、諏訪台9号墳)

諏訪台9号墳は、出羽三山信仰の供養塚に転用されています。

諏訪台10号墳と社殿

その他の社

手水舎

参拝順路

基本情報

参考

下記を参考にさせていただきました。

抜粋

『千葉県神社名鑑』抜粋

諏訪神社(すわじんじゃ)(通称 すわさま) 旧村社

祭神
武御名方命(たけみなかたのみこと)八坂刀賣(やさかとめのみこと)

由緒沿革
いい伝えによれば、大永元年、信濃源氏村上大蔵大輔義芳が上総の村上に築城し、信濃国諏訪の上下諏訪神社を当所に祀ることを願い、重臣高沢監物に申し付けて神璽を遷し安鎮す。その際神主黒川左近も同行奉仕したという。

『市原地方史研究 第1号』抜粋

P2

(前略)

足利時代、信濃源氏の村上義芳が上総村上に築城して、この附近に諏訪神社と戸隠神社を勧請したと伝えられる。現在の諏訪神社の南方で養老川岸に諏訪神社を、現在の諏訪神社の北方で窪地に戸隠神社を勧請したとのことである。

(中略)

天神台の村上諏訪神社寄りに窪地があり、今でもふるみやと称する。これは、以前戸隠のあつたところと伝えられる。惣社部落が移転した時、やはり移動したのであろう。

(後略)

境内由緒書 抜粋

(前略)
大永年間に信濃国に村上義清が領地を与えられ(中略)、村上氏所縁の上総国へ来て在城します。その時、義清は信濃へ使いを送って諏訪大明神を村上城へ勧請(神霊を分祀すること)します。信濃からは神主を召し連れ、信濃関と改名させ代々仕えたとあります。(後略)

境内由緒書 抜粋

Webサイト

書籍

  • 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
  • 『市原地方史研究 第1号』市原市文化財研究会 編 1966年

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