千葉市中央区生実町(おゆみちょう)の生実神社(おゆみじんじゃ)の概要


生実神社(おゆみじんじゃ)は、創建年は不詳ながら、天文年間(1532~1555年)に原氏が創建したと推察される、千葉市中央区生実町(おゆみちょう)に鎮座する神社です。
もとの社名は「御霊神社(ごりょうじんじゃ)」または「御霊社」。怨霊を祀ることで祟りから逃れ霊威にあやかる「御霊信仰」の社と思われ、八柱の怨霊を祭神として祀っています(後述)。
明治四年より北生実地区の産土神、明治期から終戦期まで村社に列格していました。
祭神
祭神として、朝廷から謀反の疑いをかけられ流刑・死罪となった次の八柱の怨霊が祀られています。
- 崇道天皇(すどうてんのう。早良親王のこと)
- 伊予親王(いよしんのう)
- 藤原吉子(ふじわらよしこ)
- 藤原広嗣(ふじわらひろつぐ)
- 吉備大神(吉備真備のこと)
- 橘逸勢(たちばなのはやなり)
- 文室宮田丸(ふんやのみやたまろ)
- 火雷天神(からいてんじん。菅原道真のこと)
- 藤原広嗣、橋逸勢、文室宮田丸を除く五霊は桓武天皇に関係がある怨霊
ほかにも、集落のかなりたくさんの神社が合祀されていますが、『千葉県神社名鑑』にそれぞれの神名は見えません。七廻塚古墳上にあった、「天日鷺命(あめのひわしのみこと)」の「鷲宮(わしのみや)」も当社に合祀されました。
創建、沿革
創建年代は不明ですが、室町時代の天文年間(1532~1555年)に千葉氏家臣の原氏により建立されたと考えられています。
もとの社号は「御霊神社」または「御霊社」で、明治四年に北生実地区三〇五戸の産土神となり、同四三年に社号を「生実神社」と改称しました。一方、「御所神社」とも称していました。
明治期以降、周辺に鎮座していた多くの神社が当社に合祀されました。
合祀の流れ
明治初期、(古くは村内各所にあったと推定される)次の境内末社が存在していました。
- 琴平社(祭神崇徳院)
- 天神社(菅原道真)
- 痘神社(大直日命)
- 阿夫利神社(石凝姥命)
- 日枝神社(大己貴命)
明治四年、次の地区の三〇五戸の鎮守となり、北生実地区の産土神となりました。
- 小字中里
- 町並
- 堀井戸
- 松原
- 中宿
- 加藤曲輪
- 下宿
- 横宿
- 坂下
- 木戸下
- 横領賀
- 柏崎前
- 風呂口
- 橋戸
- 旧邸
- 出戸
- 鎌取場
明治三九年七月、次の社が境内社となりました。
- 北隣の稲荷神社
明治四三年二月一日付で、次の十社が合祀されました。
- 宇柏崎前の八幡神社(応神天皇)
- 同所の池の弁財天=厳島神社(市杵嶋媛命)
- 宇柏崎台の頼政神社(源頼政)
- 宇町並の市神様=西宮神社(事代主命)
- 宇町並横宿の山王様=日枝神社(大己貴命)
- 宇出戸の大手口のあたりの道祖神(猿田彦命)と山王社
- 字大明神前の諏訪神社と道祖神
- 宇大覚寺脇の山王社
- このとき、生実町字峠之台の七廻塚古墳上の大鳥神社(鷲宮とも)(天日鷲命)も合祀
- また、境内末社に浅間神社(木花開耶媛命)もあったという
明治四三年一〇月一日、社号を「生実神社」と改称。六社(社名は不明)を合祀し、「御所神社」と称して、境内末社は一社となりました。
写真図鑑
拝殿







本殿






本殿の彫刻





鳥居
一之鳥居



二之鳥居


境内社
八幡神社







子安神社




手水の奥のお稲荷さん?




神社の石碑・石柱




祭主 麻續重悟
石碑等
月山信仰の石碑


仏像・道祖神



手水舎


神楽殿


ご神木



その他



北小弓城の跡







参拝順路







表参道


基本情報
| 社号 | 生実神社 |
| ご祭神 | |
| 住所 | 千葉市中央区生実町1550 |
参考
下記を参考にさせていただきました。
抜粋
生實神社(おゆみじんじゃ)(通称 御靈様(ごりょうさま)) 旧村社
祭神
崇道天皇(すどうてんのう)伊予親王(いよしんのう)藤原吉子(ふじわらよしこ)藤原廣嗣(ふじわらひろつぐ)吉備真備(きびのまきび)他三柱
由緒沿革
創建年代などはっきりしないが、古記によると、往昔、生実城主原式部大夫胤栄の崇敬厚くその鎮守社とされ、また寛永二年森川氏が本村に陣屋を設けたとき深く進行したという。明治四年以来専ら北生実地区の産土神として崇敬の中心となり、今日に及んでいる。
P178 生実神社 (生実町一五五〇番地)
宇町並にあり、もとは御霊神社という。祭神は崇道天皇、伊予親王、藤原吉子、藤原広嗣、吉備大神、橘逸勢、文室宮田丸、火雷天神の八霊である。この八霊はいずれも朝廷から謀反の疑をかけられ、流刑あるいは征討されて滅んだ怨霊で、藤原広嗣、橋逸勢、文室宮田丸を除く五霊は桓武天皇に関係がある怨霊である。
この地は北小弓城の一廓で、大手口からの通路にあたる。創建は不明であるが、中世千葉氏の家臣原氏の建立と推定される。江戸時代の生実藩陣屋東隣りに位置する。宝永四年(一七〇七)四代目藩主森川俊胤が祈願し、同七年に本社、拝殿、幣殿を造営し、以来森川氏の崇敬するところとなった。社殿は寛保四年(一七四四)、安政七年(一八六〇)に再建、造営している。
(中略)
明治四年に小字中里、町並、堀井戸、松原、中宿、加藤曲輪、下宿、横宿、坂下、木戸下、横領賀、柏崎前、風呂口、橋戸、旧邸、出戸、鎌取場の三〇五戸の鎮守と改め、明治四三年一〇月一日、社号を生実神社と改称した。
古くは村内の各所にあったと推定される琴平社(祭神崇徳院)、天神社(菅原道真)、痘神社(大直日命)、阿夫利神社(石凝姥命)、日枝神社(大己貴命)が明治初期に境内末社としてあり、そして明治三九年七月には当社の北隣りにあった稲荷神社が境内社となり、生実神社改称時に六社を合祀し、御所神社と称して境内末社は一社となった。
また、改称前の明治四三年二月一日付で、宇柏崎前の八幡神社(応神天皇)、同所の池の弁財天=厳島神社(市杵嶋媛命)、宇柏崎台の頼政神社(源頼政)、宇町並の市神様=西宮神社(事代主命)、宇町並横宿の山王様=日枝神社(大己貴命)、宇出戸の大手口のあたりにある道祖神(猿田彦命)と山王社、字大明神前の諏訪神社と道祖神、宇大覚寺脇の山王社の一〇社が本社へ合祀された。境内末社に浅間神社(木花開耶媛命)もある。(後略)
P193 大鳥神社 (生実町一九二六番地)
字峠ノ台の七廻り塚古墳上にあり、祭神は天日鷺命(あめのひわしのみこと)で、もと鷲宮(わしのみや)と称していた。文政二年(一八一九)四月吉日、頭主の篠崎平七が鷲宮大明神の石塔を造立している。当祭神からみるとこの古墳は麻績連の墓であろうと推定する。明治四三年二月一日付で御霊社に合祀。
Webサイト
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書籍
- 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
- 『千葉市南部の歴史』宍倉健吉 原著, 千葉市史編纂委員会 編 1986年
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