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鷲尾氏が創建した千葉郷の「鷲宮」はどこか?│千葉市

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目次

概要

平安時代後期、最初に「千葉氏」を称したとされる人物に「千葉常重」がいます。その弟に、匝瑳郡で勢力を持った武士「常広」(匝瑳八郎常広)がいました。

常広の次男にあたるのが、「鷲尾氏」を称した「常定」(鷲尾太郎次常定)です。『千葉大系図』には、この常定が千葉郷に「鷲宮」を建立したと記されています。

本稿では、この「鷲尾太郎次常定」が建立したとされる千葉郷の「鷲宮」が、現在のどの神社に比定できるのかを検討します。

しかし、この問題を複雑にしているのが「千葉郷」の範囲です。千葉郷が具体的にどこからどこまでを指すのかについては、文献によって見解が異なり、明確には定まっていません。

そのため、確定的な結論を出すことは難しいのですが、本稿では既存の研究や史料を踏まえつつ、筆者の見解を整理しておきたいと思います。

下総の鷲尾氏

南関東で反乱を起こした「平忠常」の三代の裔に「常兼」がいます。「常兼」は、「源義家」に従い後三年の役(1083~1087年)で武功をたてた人物です。

「常兼」の息子「常重」は、大治元年(1126年)に亥鼻付近に本拠を移し、ここで千葉氏を称しました。彼の息子が鎌倉幕府の有力御家人となる「千葉常胤」です。

一方、「常兼」の第四子「常広」(匝瑳八郎常広)は、椿海西岸の台地一帯を支配しました。「常広」の四人の子供は匝瑳郡内に勢力を広げ、匝瑳党という武士団を形成したと言われます。その系譜は次の通りです。

  • 常広
    • 常正(匝瑳氏を号す)
    • 常定(鷲尾氏を号す)
    • 政胤(飯高氏を号す)
    • 宗光(湯浅氏を号す)

「常定」が千葉郷に「鷲宮」を建立

「常広」の次男「常定」(鷲尾太郎次常定)は、鷲尾氏を号し、千葉郷に「鷲宮」を創建したと伝わります。

『千葉大系図』

有由建立鷲宮於千葉郷

→ 訳:千葉郷に鷲宮を建立する由あり

この千葉郷の「鷲宮」が現在のどの社かというのが、本稿の主題です。

この問題を複雑にしているのが、千葉郷の範囲です。千葉郷がどこからどこまでを指すのか明確でないため、「鷲宮」の比定社も文献により異なっています。以下の説を見ていきましょう。

①生実村説

明治時代の法制官僚歴史学者、邨岡良弼(むらおかりょうすけ)は、千葉郷の「鷲宮」を、「生実村の祠(ほこら)」に比定しています。

『千葉市誌』

邨岡良弼は『千葉大系図に常広の子常定、鷲尾太郎次と称し鷲宮を千葉郷に建つ其祠生実村に在り以て当時の郷域を知る可し。(中略)』と述べ、(後略)

  • 邨岡は、千葉郷の範囲を断定せず、「生実村の『鷲宮』がある場所を千葉郷の範囲である」と推定していることに注意

現在、生実地域では、次の鷲系神社が確認できます。

鷲宮神社│千葉市中央区大巌寺町

創建年・由緒:不詳。

祭神:鷲宮大神(わしみやのおおかみ)または天日鷲命(あめのひわしのみこと)

住所:千葉市中央区大巌寺町96

【廃社】大鳥神社(鷲宮、鷲宮社、鷲宮大明神)│千葉市中央区生実町

七廻塚古墳にあった大鳥神社(鷲宮)の石塔
(『千葉市南部の歴史』の該当箇所をカラー化)

創建年・由緒:不詳。『千葉県神社名鑑』に記載なし。

祭神:天日鷲命(あめのひわしのみこと)

住所:千葉市中央区生実町

千葉市立生浜東小学校(千葉市中央区生実町1928)の校庭にかつてあった「七廻塚古墳」(鷲塚)の上に鎮座していました。現在は、古墳も社も消失。社は、明治四三年(1910年)に「生実神社」に合祀されたと伝わります。

「大鳥神社」(中央区生実町)ではない?

「七廻塚古墳」(鷲塚)と「大鳥神社」には、次の伝承が残っています。

塚の周りを七回めぐると、機織り乙女が現れる。
機織りの音が聞こえる。

古墳・「大鳥神社」・機織りの伝承の三者は一体となっており、往古の機織り生産を伝える民間伝承とも考えられます。

そのため、この社は平安期に建立された「鷲宮」とは別系統と思われます。

七廻塚古墳の写真
(『千葉市史 史料編 1 (原始古代中世)』の該当箇所をカラー化)

旧都川と花見川に挟まれた地域説

『千葉市誌』(1953年)は、千葉郷の範囲を、旧都川と花見川両河川の下流に挟まれた地域としています。

『千葉市誌』

二、千葉郷

(前略)筆者は既述の如く池田郷の北界を旧都川下流とする為に、千葉郷を池田、山家両郷の間にあるものとする。即ち旧都川、花見川両河の下流に狭まれた地域がそれであつて千葉郷の東には三枝郷があつた。

この条件に当てはまる鷲系神社としては、次のものがあります。

【廃社】鷲宮(鷲神社)│千葉市中央区登戸

松井天山の『千葉市街鳥瞰』(昭和2年)のうち、千葉新地(登戸付近の遊郭の事)付近を抜粋。
上:登渡神社の鳥居がみえる
中央:遊郭のなかに鷲神社が見える
『絵にみる図でよむ千葉市図誌 上巻』より

創建年・由緒:不詳。『千葉県神社名鑑』に記載なし。

祭神:天日鷲命(あめのひわしのみこと)

住所:千葉市中央区登戸

登戸字鷲塚(新千葉三丁目小字鷲宮、農業会館付近)にかつてあった「鷲塚古墳」(通称 鷲宮塚)に鎮座していたと伝わります(「元鷲塚の高台」とも)。現在は、古墳も社も消失。社は、1908年に「登渡神社」に合祀されました。

尾鷲神社│千葉市花見川区検見川町

創建年・由緒:不詳。『千葉県神社名鑑』に記載なし。

祭神:日本武尊(やまとたけるのみこと)

住所:千葉市花見川区検見川町3-341

「検見川神社」の境外末社となっています。

「和田茂右衛門」氏は「鷲宮」(中央区登戸)に比定

千葉市史編纂事業の礎を築いた郷土史家、和田茂右衛門氏(1898~1983年)は、千葉郷の「鷲宮」を、登戸の「鷲宮」に比定されています(『社寺よりみた千葉の歴史』)。

「尾鷲神社」(花見川区検見川町)ではないか?

当サイト筆者は、花見川区の「尾鷲神社」も候補の一つではないかと考えています。主な理由は次の通りです。

  • 他の鷲宮系神社が「天日鷲命」を祀るのに対し、「尾鷲神社」のみ祭神が異なる
  • 「常重」が猪鼻へ移った直後に、すぐ近隣(直線 2km ほど)の登戸に社を建てるのはやや不自然
  • 「鷲尾氏」と「尾鷲神社」という名称の近似

ただし、現時点では決定的な証拠はなく、あくまで可能性の一つにすぎません。

「常定」は鷲尾氏を号し、「鷲宮」を創建したと伝えられます。このことから、社名や呼称が次のような過程で変化していった可能性を考えることもできるでしょう。

鷲尾氏の鷲宮 → 鷲尾の鷲宮 → 鷲尾鷲宮 → 尾鷲宮

その他の説

千葉郷の範囲が確定していない以上、

  • 記録以前に廃社となった
  • 別の場所へ遷座した

などの可能性も考えられます。

この問題は現段階で断定することは難しく、今後の研究や新資料の発見を待つ必要があるでしょう。

参考

下記を参考にさせていただきました。

Webサイト

書籍

  • 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
  • 『千葉市誌』千葉市誌編纂委員会 編 1953年
  • 『社寺よりみた千葉の歴史』和田茂右衛門 原著, 千葉市史編纂委員会 編 1984年
  • 『千葉市史 史料編 1 (原始古代中世)』千葉市史編纂委員会 編 1976年
  • 『千葉市史 史料編 2』千葉市史編纂委員会 編 1977年
  • 『絵にみる図でよむ千葉市図誌 上巻』

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