鹿嶋市大字宮中字下生の鎌足神社の概要


鎌足神社は、北浦湖畔に立つ鹿島神宮 西の一之鳥居から神宮までの道沿い、神宮から西へ1kmほどにある中臣鎌足生誕地(鹿嶋市大字宮中字下生)に鎮座する神社です。
創建年は不詳ですが、『新編常陸国誌』(江戸~明治期編纂)に社名を見ることができるそうです。
祭神は中臣鎌足(藤原鎌足)で、鳥居左手の看板にはほかに菅原道真、宇賀御魂命の神名も見えます。
中臣鎌足はこの地で生まれた?
鎌足誕生の記録としては、『大鏡』に鎌足が鹿島神宮の鎮座する地で出生したという記述があるそうです(→鹿嶋市HP)。
ほかに、奈良県橿原市生誕とする説もあるようです。
市の有形指定文化財「鎌足神社境内地」
当社地は「鎌足神社境内地」として、鹿島市指定史跡に登録されています。
創建・由緒

鎌足神社境内地は、古来より藤原鎌足の誕生地と伝えられています。鎌足の出生地には鹿嶋のほか、奈良県の藤原(橿原市)や大原(明日香村)説などがあり、定説はありません。
鎌足は、本姓は中臣といい、推古天皇22年(614)に生まれ、皇極天皇の御代(642~644)に都へ上がり、大化元年(645)、中大兄皇子(後の天智天皇)を助けて蘇我氏を滅ぼし、大化の改新の偉業を果たしました。鎌足は死の直前、天智天皇から藤原の姓を賜り、その子孫は藤原氏として栄え、平安時代には摂政・関白として当時の朝廷を主導しました。
境内地は市指定史跡で、明治25年(1892)に建てられた「大織冠藤原公古宅祉碑」の石碑もあります。

鎌足神社境内地は、古来より藤原鎌足の誕生の地とする伝承が残っているところである。
藤原鎌足の生誕地には、当地と奈良県橿原市の二つの説がある。いつごろ建てられたのかは不明であるが、江戸時代から明治にかけてまとめられた、常陸国の歴史と地理の大著「新編常陸国誌」の鹿島郡・宮中の項に「鎌足社」があり、当地が鎌足の生誕地であるという説が紹介されており、この地域が江戸時代から鎌足ゆかりの地とされていることがうかがえるところである。境内には明治二十五年に建てられた「大織冠藤原公古宅址碑」という石碑もある。
写真図鑑
社殿




鳥居




境内の大木

基本情報
社号 | 鎌足神社 |
ご祭神 | 中臣鎌足 |
住所 | 鹿嶋市大字宮中字下生 |
その他 | ■鹿島市HP 鎌足神社境内地 https://city.kashima.ibaraki.jp/site/bunkazai/50143.html ■鹿島市HP 鎌足神社 https://city.kashima.ibaraki.jp/site/kankou/3058.html |
参考
上記のWeb サイトのほかに、下記を参考にさせていただきました。
- 『鹿島神宮』東 実 著 1968年