麻賀多神社本社コンテンツ
公津原古墳群第三十九号墳の概要
公津原(こうづはら)古墳群は、総数120基を超える千葉県を代表する古墳群で、県の指定史跡にも登録されています。このなかの39号墳が伊都許利命の墓とされています。
墳丘は、東西約35m、南北36m、高さ約5mの方形墳です。
遺体埋納施設は、後期古墳の主体部に多く見られる凝灰質系軟質砂岩の切石積みによる横穴式石室(南側裾部)と、絹雲母片岩の板石を組み合せた箱式石棺の二施設があります。
写真図鑑









公津原第39号墳横穴式石室


説明書


この古墳は伊都許利命のお墓と伝えられます。
命は去る約千七百年の昔(4世紀)、印波の国造としてこの地を治められ、麻賀多神社を創建されました。古墳は、古来、命の神霊が宿るむのとして崇められ、人々の信仰を集めて参りました。現在、古墳そのものが「伊都許利神社」として神社庁に登録されています。なお、南側(道路側)の階段から古墳の頭頂部に上がることができ、大墓標や顕彰史碑をご覧いただけます
伊都許利命墓の由緒書

伊都許利命は 神武天皇の皇子神八井耳命の八代目の御孫で 応神天皇の命を受けて 印旛國造としてこの地方を平定され 産業の指導などに多くのご功績を残されています。
(中略)
なお 佐倉藩磯部昌言氏の記す佐倉風土記を始め塚上の古建碑等によって治績が広く知られ 又明治四十四年大正三年の二回に亘って古墳が保存され 近年成田市の史跡に選ばれました
御墳墓は土砂が少しけづられている様ですが 周囲一二〇米 高さ七米の 方形墳で 南の麓には 広さ約五平方米の岩屋と 西麓には 直刀 金環 鎧片等を納めた石棺と その出土品が現存しています
伊都許利神社々務所
奥津宮鳥居脇の由緒書

(上略)
本墳墓は、『先代旧事本紀』の中の「国造本紀」に見える”印波国造伊都許利命”の墳墓と伝えられています。墳丘の大きさは、東西辺約35m、高さ約5mの方形墳です。
遺体埋納施設は、後期古墳の主体部に多く見られる凝灰質系軟質砂岩の切石積みによる横穴式石室(南側裾部)と、絹雲母片岩の板石を組み合せた箱式石棺の二施設があります。
昭和54年3月1日
成田市教育委員会 麻賀多神社
伊都許利神社々務所

江戸後期の様子
『成田参詣記(成田名所図会)』(1858年(安政5年))の「麻賀多神社図」に、江戸後期の麻賀多神社 本社および奥津宮の様子が描かれています。


「印播國造塚」「金比羅」「手黒社」などの文字が見える。
かなり大きな山の上に金比羅神社があるように見える
詳細情報
名称 | 公津原古墳群第三十九号墳 |
住所 | 成田市船形827 |
その他 | ■麻賀多神社 公式HP https://makata-jinja.com/ |
参考
上記のWeb サイトのほかに、下記を参考にさせていただきました。
- 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
- 『千葉県印旛郡誌』印旛郡 編 1913年
- 『成田参詣記(成田名所図会)』中路 定俊、中路 定得 著 1858年
- 『房総の古社』菱沼 勇、梅田 義彦 著 1975年
- 『日本の神々 神社と聖地 11 関東』谷川 健一 編 1984年