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成田市台方の麻賀多神社 本社(稷山社(あわやましゃ))の概要

麻賀多神社(まかたじんじゃ)は、1700年ほど前に印旛国造 伊都許利命(いんばのくにのみやつこ いつこりのみこと)により創建された、稚産霊命(わかむすびのみこと)を祭神とする、成田市台方に鎮座する神社です。

平安時代の『延喜式』神名帳に「下總國十一座 印播郡一座 麻賀多神社」として記載される式内社で、明治期から終戦期まで郷社に列格していました。

奥宮、伊都許利命の古墳あり

当社から北へ1kmほど(徒歩1.2km)の船形という場所に、当社の奥宮・伊都許利神社・伊都許利命墳墓(公津原古墳群第三十九号墳)が固まって所在しています。

三社の所在地と祭神がややこしいので、下記にまとめました。本社と奥宮で祭神が異なっているのが興味深いです。

神社名創建者祭神所在地
麻賀多神社 本社(稷山社)伊都許利命稚産霊命成田市台方
麻賀多神社 奥津宮(手黒社)伊都許利命稚日霊命成田市船形
伊都許利神社伊都許利命、
大名持命
成田市船形

船形の奥津宮と伊都許利神社については下記をご覧ください。

創建までの歴史概要

年代出来事
日本武尊東征期
(110~111年)
成田市船形にて、尊が大木の虚に鏡をかけ、根本に七つの玉を埋め、伊勢神に豊穣を祈願。
鏡をご神体として、稚日霊命を祀る(→奥津宮)
応神紀
(270~310年)
伊都許利命が珠と御鏡を霊代(たましろ)として成田市船形に祀る(→本社)
推古紀
(593~628年)
成田市台方に宮居を定め、「麻賀多大宮殿」と号す

印旛周辺のみに密集する「麻賀多神社」の惣社

「麻賀多神社」の名を冠する神社は、印旛周辺に現在30社ほど確認され(印旛十八麻賀多含む)、当社はこれらの惣社となります。

天日津久神社、東日本一の大杉など見所多し

台地の下に屹立する大鳥居、県指定天然記念物の社叢、樹齢1,200年越えの東日本一の大杉、日月神示で有名な岡本天命氏が参拝した天之日津久神社(あめのひつくじんじゃ)、氏の住居跡、谷向こうの奥津宮、裏の古民家カフェなど、見所が大変多い神社で、あっという間に時間が過ぎてしまいます。

創建・由緒

応神紀(270~310年)創建、平安時代に『延喜式』神名帳に記載(式内社)、明治期から終戦期まで郷社、稚産霊命(わかむすびのみこと)を祭神とする神社です。

次の境内神社が鎮座しています。

印施国造神社・馬来田神社・天日津久神社・幸霊神社・猿田彦神社・他二社

『伊都許利命由緒』
伊都許利命墓の由緒書

伊都許利命は 神武天皇の皇子神八井耳命の八代目の御孫で 応神天皇の命を受けて 印旛國造としてこの地方を平定され 産業の指導などに多くのご功績を残されています。
その昔、日本武尊 ご東征の折大木の虚に鏡をかけ 根本に七つの玉を埋めて 伊勢神宮に祈願されました 命は「この鏡をあがめ祀れば永く豊作が続く」との教をきゝ その鏡をご神体として この地に稚日霊命(わかひるめのみこと)を(手黒神社)祀り、その後 ご霊示によって 七つの玉を掘り出して稚産霊命(わかむすびのみこと)(台方神社)を祀り 共に麻賀多眞大神として 里人の崇敬を指導されてから 益々豊年と楽土が続きました
なお 佐倉藩磯部昌言氏の記す佐倉風土記を始め塚上の古建碑等によって治績が広く知られ 又明治四十四年大正三年の二回に亘って古墳が保存され 近年成田市の史跡に選ばれました
御墳墓は土砂が少しけづられている様ですが 周囲一二〇米 高さ七米の 方形墳で 南の麓には 広さ約五平方米岩屋と 西麓には 直刀 金環 鎧片等を納めた石棺と その出土品が現存しています

伊都許利神社々務所

『麻賀多神社由緒』

その昔日本武尊御東征の折 この地方の五穀の実りが悪いのを知り 里人を集め大木の虚に鏡を掛け その根本に七つの玉を埋めて伊勢神宮に祈願いたしましたところ その後は豊年がつづきました 又三世紀の頃 印旛国造伊都許利命は この御鏡を霊代として祀られる 稚日霊命の霊示をうけ 玉を掘り御霊代として 稚産霊命(伊勢外宮の親神)を祀り 麻賀真の大神と崇め 八代公津の両郷を神領として奉斎しました その後推古天皇十六年(608年)新に宮居をこの地に建て 麻賀多の大宮のなづけました 

木地南鎮座以来一千三百六十余年 印旛郡下十八麻賀多の総社として 筒粥祭 御田植祭 豊年神楽などの古い儀式が継承され柳祭神にゆかりのある古い地名等も現存しています 又明治五年に御社に 昭和十年御神本大杉は 県の天然記念に 更に近年御本殿は市の文化財に 神域は史跡に撰ばれ 産業 開運 長寿厄除けの守護神として崇められていることはよく知られています

こに伊勢神宮御遷宮記念の当社改修を機に 本碑を奉献して神徳のいよいよ万民に 光被されんことを祈る次第です

昭和四十九年四月

境内看板

式内社・麻賀多神社

麻賀多神社は、平安時代に編修された『延喜式』の神名帳に記載されている由緒ある神社で、船形区の手黒と、ここ台方区稷(あわ)山の2社あります。船形社は奥の宮で稚日霊神(わかひるめのかみ)を、台方社は稚産霊神(わかむすびのかみ)をお祭りしています。

麻賀多神社本殿

現在の本殿は、「一間社」の流れ造りで江戸時代中期初頭の寛文13年(1673)に建築されたものです。とくに構造柱の斗栱(ときょう)、木鼻、高欄の擬宝珠などに、創建時の特色がよく残っています。

成田市教育委員会 麻賀多神社

『千葉県神社名鑑』抜粋

麻賀多神社 旧郷社

祭神
稚産霊命(わかむすびのみこと)

境内神社
印施国造神社・馬来田神社・天日津久神社・幸霊神社・猿田彦神社・他二社

由緒沿革
当社は遠く『延喜式』に名を止める由緒ある神社。応神紀、印旛国造伊都許利命が神託を受け、地中より珠を得て御鏡と共に霊代として公津郷手黒の地に祀り、推古の御代、現在の稷山の地に宮居を定め麻賀多大宮殿と号した。現本殿は元禄一〇年、拝殿は宝永五年の再建。桓武治世には大伴家持卿が勅使として参拝、印旛沼畔に大鳥居を建て寄進し、以後六一年毎に建替え現在に至っている。また本殿裏の御神木は樹齢一、三〇〇年と称せられ、幹廻わり一〇メートルの大杉。昭和一〇年千葉県天然記念樹に指定される。

神事と芸能
往古より伝わる筒粥は一月一五日未明にその年の吉凶を占う神事として、また獅子舞は市の無形文化財として共に当社の誇る伝統行事である。

写真図鑑

社殿

拝殿

本殿

朱と黒を基調とした本殿と玉垣が大変美しいです。

拝殿・本殿

鳥居

境内の鳥居からの参拝

大鳥居

本社から西へ1kmの低湿地に石造りの大きな鳥居が屹立しています。往時は、印旛沼もしくは香取海を船で渡り、この鳥居をくぐって参拝したのでしょうか。

この鳥居は、延暦二年(783年)、勅使として当社を訪れた大伴家持(おおとものやかもち。万葉集の編纂や歌人として有名)が建立したのが始まりで、以来1,200年余り、61年ごとに建て替えられてきました。その後、平成7年の開発で移動、新たに現在の石造りの大鳥居が建てられました。

『鳥居建立記念碑』

烏居建立記念碑

印藩治畔に一大華表あり延暦二年九月勅便大伴家持卿が参向の折り建立せる所なりという雨来六十一年毎に建替を定例とす又郡内の一勝地たりと古書に記されている。

その音より村人達はこれを守り伝えて麻賀多神社大鳥居の沼面に映える壮厳な御影は絶えることなく、以来実に一二〇〇年余りの間、ごの鳥居は類無きものとして遠く他郷にも誇り、現代に至ったのであるが、平成七年に成田市の主要道路計画に協力するため、当神社の代々重要神事の行われて来た浄地「御はしり」の中央部が道路となり分断されて、大鳥居をも移動するの余儀無き事情となった。

此れに従り氏子一同は失われ行く名趾を惜しみ、茲に改めて大鳥居を石造として建立することとなり、併せて残る「御はしり」の跡地を往古の面影を永遠に後世に留め、以って賀多神社の御神霊を案じ奉り御神徳に謝し奉り畏みて碑文と為す。

平成七年秋月 建之

狛犬

神楽殿

『台方麻賀多神社の神楽』

毎年7月31日に行われる台方の麻賀多神社の大祭において奉納される神楽です。この神楽は、今から 400~500年ほど前に、常陸国からこの地方を訪れた万大夫一座が、由緒ある麻質多神社の尊厳さに感銘し、伊勢神楽の流れを汲む十二神楽のひとつの獅子神楽を里神楽として奉納したことにはじまると伝えられています。

現在は、台方地区と下方地区が年番でその任にあたっています。舞手は、年番に当たった地区の中で、その年(2年間)のうちに結婚した新郎の中から、特に選ばれたものが奉納する習わしになっています。

神楽は、「御神楽」、「巫女神楽」、「里神楽」の三部からなり、さらに「四方固め」、「鈴振りの舞」「御弊の舞」、「はながかり」等7種の舞に別れ、雄獅子と雌獅子の二匹で舞います。なお、この神楽は、印旛沼近くの鳥居河岸においても奉納されます。

成田市教育委員会 麻賀多神社神楽保存会

神輿蔵

社務所、手水

麻賀多神社の森

摂社、境内社

境内社として、印施国造神社、馬来田神社、天日津久神社、幸霊神社、猿田彦神社、他二社が鎮座しています。

天日津久神社(あめのひつくじんじゃ)

大権現社

その他の境内社

祓戸(はらえど)

御神木「公津の大杉」

本殿左奥には、太さ約8~9m、高さ約40m、樹齢1,200~1,300年の、東日本一大きな杉の御神木が生えています。本木を含め、当社の杜は「麻賀多神社の森」として千葉県指定天然記念物に認定されています。

御神木の由緒書

由緒

西暦六百年頃推古天皇の時代に、当麻賀多神社は船形麻賀多神社(現在の奥宮)で御霊代の稚日霊女神と合わせて祀られていた雅産霊神(ワクムスビノカミ)をこの地に遷宮し、麻賀多神社の本宮として建立されました。

この大杉はその当時に植制されたもので掛齢千四百年と伝えられています。

昭和十年に千葉県の指定記念第一号に指定されました。太さは目通りハメートル高さは四十メートル余りであったとされその威容は東日本一と崇められ、当神社の神木となっています。

古来より、この御神木には心霊が宿っていると言い伝えられ、延命長寿のご利益を授かることでも有名です。

麻賀多神社 令和四年九月吉日

由緒書き以外の看板

江戸後期の様子

『成田参詣記(成田名所図会)』(1858年(安政5年))の「麻賀多神社図」に、江戸後期の麻賀多神社 本社および奥津宮の様子が描かれています。

参拝順路

大鳥居からの参拝

田んぼの目の前の大鳥居から、台地の上の境内を目指し、1.1kmほど歩きます。

境内の鳥居からの参拝

田んぼの目の前の大鳥居から、台地の上の境内を目指し、1.1kmほど歩きます。

女坂を経由して参拝

階段が苦手な方は、鳥居の右横の女坂から参拝することが可能です。

詳細情報

社号麻賀多神社
ご祭神稚産霊命
境内社印施国造神社、馬来田神社、天日津久神社、幸霊神社、猿田彦神社、他
由緒・歴史1700年ほど前、印旛国造 伊都許利命により創建
神紋麻紋(あさもん)
本殿の向き
住所成田市台方1(字稷山1)
その他■麻賀多神社 公式HP
https://makata-jinja.com/

参考

上記のWeb サイトのほかに、下記を参考にさせていただきました。

  • 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
  • 『千葉県印旛郡誌』印旛郡 編 1913年
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