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椿ノ海水神社│匝瑳市春海

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匝瑳市春海の椿ノ海水神社の概要

椿ノ海水神社(つばきのうみすいじんじゃ)は、1670年代創建と考えられる、江匝瑳市春海(そうさしはるみ)に鎮座する神社です。

椿海の干拓地を守る「椿海三社」(椿湖三社、新田三社)の一社で、明治期から終戦期まで村社に列格していました。

祭神

祭神として次の神様が祀られています。

  • 水波賣命(みずはのめのみこと)

命は、伊弉冉命(いざなみのみこと)が火傷で身罷(みまか)る際に産んだ「水」の女神です。

創建の由来

延宝六年(1678年)、椿ノ海の干拓地に移り住んだ定住民のために祀られました。令和10年(2028年)に、御鎮座350年を迎えます。

関連資料を次に記載していきます。

『海上町史 総集編』

1678年に、当社を含めた三社・五ヶ寺が建立された旨が記載されています。

「辻内善右衛門」が幕府に寺社建立を願い出、延宝六年(1678年)に三社・五ヶ寺建立の許可が下された。三社とは、鎌数村の伊勢大明神、春海村の水神社、高生村の八幡宮である。

『日本伝説叢書 下総の巻』

1672年以降に勧請された多くの社のなかに、当社が「椿村の下流の水神様」として記載されています。

天照皇大神宮を勧請し、椿新田惣社と崇め奉った。今の鎌数村の社がこれである。
かつ、水神様を椿村の下流と後草村(うしろぐさむら)の下流に、八幡宮その他を村々に鎮守として勧請した。

これを見ると、1678年の幕府の許可以前から、当社を含めた複数の社があったようにも見えます。「後草村下流の水神様」は、旭市後草の「水神社」のことでしょう。

写真図鑑

拝殿

本殿

本殿の彫刻

堅牢な覆屋のなかにあり見づらいものの、本殿の彫刻は、まるで南房総の社を思わせるほど立派です。

獅子鼻の鼻は、かなり大きく目立ちます。

鳥居

一之鳥居

二之鳥居

狛犬

境内社、石碑、仏像等

春海弁天社

春海弁天社手前の講社の仏像

参詣路右手の小祠、石碑、仏像等①

参詣路右手の小祠、石碑、仏像等②

社殿周辺の小祠、石碑、仏像等

手水舎

参拝順路

基本情報

参考

下記を参考にさせていただきました。

抜粋

『千葉県神社名鑑』抜粋

水神社(すいじんじゃ)(通称 水神様(すいじんさま)) 旧村社

祭神
水波賣命(みずはのめのみこと)

由緒沿革
太古下総の国に椿の巨木の倒れた跡と伝え、漫々と水を湛える椿湖(つばきのうみ)があった。江戸の中期、これを干拓して新田を作り農業振興を図り、大願成就の暁は三社・五カ寺を建立し、神恩報謝を誓う。新たに堀割を造り九十九里浜に湖水を導く。今の新川がこれである。寛文一一年(一六七一)干拓折事業が完了し、いま干潟八万石と称する広大な田畑となる。その中に祀られたのが、鎌数伊勢大神宮(旭市)、椿神社(海上町)と当水神社で、併せて新田三社と呼ばれる。

『海上町史 総集編』抜粋

P80 新田の三社五ケ寺

新田内に居住者が徐々に増してくると、その農民のための寺や神社が必要となってくる。そこで元締辻内善右衛門は、幕府に新田内への寺社建立を願い出た。そして延宝六年(一六七八)に新田内に三社・五ヶ寺の建立が許可された。
三社とは、鎌数村の伊勢大明神、春海村の水神社、高生村の八幡宮である。また五ヶ寺は、真言宗寿山海宝寺(琴田村)、天台宗新岡山東福寺(万歳村)、黄檗宗補陀落山福聚寺(小南村)、同宗如意山修福寺(春海)、同宗仏日山広徳寺(鎌数村)であった。海宝寺は、太田村幸蔵寺の末で、開山は慶範上人、東福寺は溝原村東栄寺の末で、開山は什勧上人、福聚寺他二ヶ寺は山城国浄住寺末で、開山は鉄牛禅師であった。(後略)

『日本伝説叢書 下総の巻』抜粋

それ善悪の二道は、取分大切之儀なるべし、先願白井治郎右衛門・辻内刑部左衛門と両人同じ船に乗り、水とりの時、太田村の下において、此度願望致すにおいて、社地を構ひ、天照皇大神宮を勧請し奉り、椿新田惣社と崇め奉るべき大願かけ、一本の杭を立てしに、不思議や此杭より水干始まり、終に成就せしとかや、いま鎌数村の社是なり。内宮御師梅谷太夫是を支配す。且、又水神は椿村の下後草村下に八幡宮其外に村々に鎮守を勧請し奉るなり。

Webサイト

書籍

  • 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
  • 『海上町史 総集編』海上町史編さん委員会 編 1990年
  • 『日本伝説叢書 下総の巻』藤沢衛彦 編著 1977年

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