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佐倉市太田の太田麻賀多神社の概要

太田麻賀多神社は、佐倉市太田に鎮座する神社で、祭神として稚産霊命(わかむすびのみこと)が祀られています。

麻賀多十八社の一社で、大蛇町の麻賀多神社同様、鳥居扁額の文字は「摩」の字の「摩賀多神社」です。当サイトでは『千葉県神社名鑑』同様、「麻賀多神社」としています。

当社の創建時期は不明ですが、保存樹の看板に「江戸時代初期に神社が創建された当時」とあるため、400年ほどの歴史があるのでしょうか。明治期から終戦期まで、旧村社に列格していました。

背の高い樹々と綺麗に管理された社内がとても居心地の良い神社です。黒色、朱色、木材色のコントラストが美しい両部鳥居が大変魅力的で、筆者のお気に入りの一つです。

太田字高田の鷲宮神社(廃社)を合祀

当社には、かつて佐倉市太田字高田1326にあった、天日鷲命(あめのひわしのみこと)を祀る鷲宮神社が合祀されています。

天日鷲命は、神武天皇の治世に房総を開拓した忌部氏(いんべし)の祖神の一柱で、千葉県の広い範囲で祀られています。八千代市・四街道市で忌部氏を祀る神社はないようですが、佐倉市ではその足跡を複数確認することができ、当社もその一つです。

式内二社の祭神が祀られている

当社のように、下総国と安房国の式内社それぞれの祭神が同じ社に祀られているケースはなかなか珍しいと思われます(他には船橋大神宮)。

  • 下総国式内社「麻賀多神社」の祭神:稚産霊命(わかむすびのみこと)
  • 安房国式内社「安房神社」「下立松原神社」の祭神:天日鷲命(あめのひわしのみこと)

麻賀多十八社の一社

創建・由緒

『根郷風土記』抜粋

太田区

神社

麻賀多神社 (村社)

宇用替にあり。祭神は雅産霊命。鳥居脇に御手洗あり大きさ。前幅一〇六・五糎、横幅四七・五糎、高四四糎。正面に<奉納>・右側<文化十四年丁丑秋九月吉日>・左側<当邑中>と刻まれている。拝殿前の御手洗は<文政九丙成年二月吉日・当村女人中>と刻まれている。旧御神灯は倒壊し、今はその用をなさないが文政四年(一八二一)に奉納されたもので、次の銘刻がある。

左、<奉納御宝前・文政四辛日年八月吉日・施主当村 宮間利右衛門 高橋伝右衛門 和田三右衛門 和田定右衛門>。

右、<奉納御宝前・文政四辛日年八月吉日・於主当村 田中惣兵衛>。

境内社として三峰社を置く。

(中略)

鷺宮神社(無格社)

もと、宇高田一三二六番地に鎮座していたが、現在は摩賀多神社に合祀されている。祭神は天日鷲命。

(後略)

『千葉県神社名鑑』抜粋

麻賀多神社 旧村社

祭神
稚産霊命(わかむすびのみこと)

境内の由緒書の石碑

太田鎮守麻賀多神社は印旛十八麻賀多の一社にして御神威は広大無辺、正一位の神階を賜りし由緒の社である。その神域は御齢三百年以上の椎が茂り神寂。御本殿の屋根は天高く近隣では類を見ない客居であった。(後略)

境内の保存樹の説明書

(前略)

樹齢 推定300年(選定時)

伝来等 江戸時代初期に神社が創建された当時、境内木として植えられたものと推定される。

(後略)

写真図鑑

社殿

入口周辺

鳥居

境内社、小祠

社日塔、疱瘡神、不明の小祠

鷲宮神社

三峯社

天満宮

手水

倒壊した旧御神灯か

往時は立派であったことが伺える、壊れた御神灯が参道脇に置かれています。

「文政四年」の文字が見えるものは、上記『根郷風土記』にある文政四年(一八二一)のものでしょう。

境内風景

参拝順路

詳細情報

社号太田麻賀多神社
ご祭神稚産霊命(わかむすびのみこと)
境内社疱瘡神、鷲宮神社、三峰神社、天満宮
由緒・歴史
家紋
本殿の向き
住所佐倉市太田1505
その他

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