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宗像神社│印西市山田

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印西市山田の宗像神社の概要

宗像神社は、111年(?)倭武命(やまとたけるのみこと)の創建、印西市山田に鎮座する神社です。

明治期から終戦期まで村社に列格していました。

祭神として下記の神様が祀られています。

  • 淵津姫命(たぎつひめのみこと)
  • 田心姫命(たごりひめのみこと)
  • 市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)
  • (印旛国造 伊都許利命(いつこりのみこと)?)

印旛周辺最古の宗像神社か?

111年(景行天皇四一年)、倭武命(やまとたけるのみこと)が筑紫の宗像神社を奉斎したのが始まりとされています。そして123年(同五三年)、命の父の景行天皇が東国巡礼の際に「宗像宮」と号しました。

伊都許利命(いつこりのみこと)を奉祀する宗像神社

応神天皇の治世(270~310年)に、印旛国造 伊都許利命(いつこりのみこと)を奉祀したそうですが、現在の祭神には命の名前が見えません。

伊都許利命は、印旛周辺の開拓を行い、麻賀多神社 奥津宮(成田市船形)を創建した人物です。

宗像十三社の一社

宗像神社とは?

「宗像神社」は、交通安全を司る宗像三女神を祀る神社で、総本社は福岡県宗像市田島に鎮座しています。

印旛沼北には、「全国的にも類を見ない(書籍『日本の神々』)」と言われるほど多数の宗像神社が密集しています。現在、各集落ごとに鎮守の社として合計13社が鎮座しています。

印旛の宗像・麻賀多・鳥見神社

宗像・麻賀多・鳥見神社は、お互いのテリトリーを侵すことなく「住み分け」するかのように鎮座しています。

写真図鑑

拝殿

本殿

鳥居

手水

稲荷神社

境内社(社名不詳)

小祠

境内の建物

その他

参拝順路

詳細情報

社号宗像
ご祭神淵津姫命(たぎつひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)
境内社
由緒・歴史
神紋
本殿の向き
住所印西市山田94
その他

参考

下記を参考にさせていただきました。

抜粋

『千葉県神社名鑑』抜粋

宗像神社 旧指定村社

祭神
淵津姫命(たぎつひめのみこと)田心姫命(たごりひめのみこと)市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)

由緒沿革
当社は延喜式外と称し、口碑によれば、景行天皇四一年倭武命が東夷征伐の折、当地に仮宮を造営、筑紫の宗像神社を奉斎し、鎮撫の祈願をした。同五三年大足彦忍代別天皇の鎮定された東国の地を巡覧し、葛飾野御狩の時に参拝なされ宗像宮と号された。勅願所となる所以である。幡に日の印有が丘と称し給い、第十六代応神天皇の御宇、印旛国造伊都許利命を奉祀すと和銅六年の『下総風土記』に記す。

『千葉県神社名鑑』抜粋

(七) 村社宗像神社

山田村宇宮前にあり湍津姫命田心姫命市姫嶋杵命を祭る古老之口神に延長二年五月筑前国宗像郡神湊宗像神社勧請仕候社殿間口六尺二寸奧行五尺八寸三分拜殿間口四間奧行境内三百三十八坪[官有地第一種]あり神官は香取重輝にして氏子百三十四戸を有し管轄應まで六里二十町なり境内四社あり即
一、金刀比羅神社 大物主命を祭る(後略)
二、三峯神社 伊琲端命伊弉命を祭る(後略)
三、星之宮 天御中主命を祭る(後略)
四、疱瘡神社 稲脊脛命を祭る(後略)
〇[神官報告云]祭神田心姫命湍津姫命市杵嶋姫命にして相殿前は日本武尊大足彦忍代別天皇播磨太郎命とす抑当社は延喜式外と称し創立は口碑によれば人皇十二代景行天皇の四十一年皇子倭武命東夷征伐の四月中当地に仮宮を造営して筑紫の宗像神社を奉斎し夷賊鎮撫の祈願をなし給ひ同五十三年大足彦忍代別天皇の鏡定せる東國の地を巡覧し葛飾野御狩の時に参拝せられ宗像宮と号し給ふ是勅願所となる所以なり地形は國の中央印旛沼に突出せる半島の美はしきを以て天皇躬ら丘陵に登りて西北を望めば霧の中に國あるかなと東を顧みて幡に日の印有が丘と称し給ふかかる由緒あるを以て人皇第十六代応神天皇の御字印旛国造伊都許利命奉祀すと和銅六年の下總風土記に見ゆ人皇六十一代朱雀天皇の天慶三年正月正一位を授けられ人皇九十一代後守多天皇の御時北條時宗異賊追伐の祈願をなし給ふ其の奉賽に本村旧山田村の内にて田一貫問め[一町]寄進せり且社領となす爾来變事なく人皇第九十二代後二條天皇の御字乾元元年壬寅三月三日従三位藤原家清をして奉幣あり降て天正十九年徳川内府先規によりて本村旧山田村内にて高一石六斗を寄進せり(中略)[香取重輝氏の同社台帳による]

書籍

  • 『千葉県神社名鑑』千葉県神社名鑑刊行委員会 編 1987年
  • 『千葉県印旛郡誌』印旛郡 編 1913年

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